シリア周辺図(FBI作成のクルド人分布図)
2017年7月イラクモスルでのISIS(イスラム国)をイラク軍が掃討した後、ラッカでもクルド人部隊などで組織されたシリア民主軍により10月ISISを掃討し、都市を解放した。
ラッカでは、2014年からISISの支配地域となり、市民はそこでの生活を余儀なくされた。
ISISは現地の人々にとってみればダーイッシュ(「侵略者」)として暴虐の限りを尽くした。抵抗する者は射殺や斬首され、女性であれば奴隷として売りさばかれる。欧米のジャーナリストやNGO職員であれば、拉致され多額な身代金を要求された。
映画でも、目を背けたくなるようなシーンがたびたび登場するが、ラッカでは一部の市民がISISに支配されている惨状に我慢ならず撮影した人々がいたのだった。スマホを武器に世界に訴えるメディアRBSS(「ラッカは静かに虐殺されている」=Raqqa Being Slaughtered Slowly)である。記者たちは、瓦礫と化した街の大学生やエンジニアなど市民が身の危険を賭して国外の人々に映像や記事を配信し続ける。
2010年よりチュニジアより民主化を求めてまたたく間に広がった「アラブの春」は、高い失業率と長期的な独裁政権への批判などが集中し、人々の怒りに火が付いた。
2011年3月、シリアでも若者たちが、「国民は政権打倒を望む」というチュニジアでのデモで掲げられたスローガンを学校の壁に落書きし、警察に逮捕された事に端を発してデモが発生する 。その後、全国主要都市で、アサド政権に対する「汚職反対」「政権打倒」を掲げた数千人規模のデモに発展。デモに対し、政府は軍・治安部隊を投入して厳しい取り締まりを行った。
「シリア人権ネットワーク(SNHR)」によると、12万8千人近くが監獄から未帰還だが、すでに殺されたか現在も収監されているとみられる。1万4千人近くは「拷問で殺害」された。多くの囚人が非常に凄惨(せいさん)な状況下で死亡しており、国連の調査ではそれを「extermination(駆除)」と表現している。
人々は40年続いたアサド独裁政権への反発から政権打倒を掲げたが、アサド政府軍の激しい反発により国内は内戦のような状態となる。シリア国内だけではなく、ISISの台頭はトルコ政府もこの混乱に乗じてシリア国内のクルド人の掃討に利用できると介入したためシリア北部、北西部は混乱をきわめた。
このようなシリアでの戦争は、「今世紀最悪の人道危機」とか「今世紀のスターリングラード攻防戦」などと称され、23万人以上が死亡し、400万人弱が国外で、また650万人が国内で避難生活を余儀なくされ、1,000万人が被災していると言われる。
映画は、SISの非道に市民がスマホを武器に国際社会に訴えた姿をおう。
彼らはメディアが特定されてしまったためISISに発見され刑務所に収監されたり、次々と命を失っていく。国外に難を逃れるも脅迫や国内にいる家族の安否も深刻である。
彼らは空爆や武器でISISを追いつめる事はできてもイデオロギー的に必ず新たなISISが生まれると主張する。
この野蛮で残忍なISISが新たに生まれるなんて。まるでゾンビ映画じゃないかと思ったが、あながちこれは真実を言い当てている。
ISISには法があるわけではなく、自身のむき出しの利害が法だと思わせる。異教徒や女性であるというだけで拷問やレイプ、手足を切断させられるなどのあらゆる行為を可能とするもの。
それは、私たちが被っているむき出しの資本主義社会の被害を彷彿とさせないだろうか。
話がそれそうだがしばし私が社会問題に目を向けるようになったきっかけのような出来事を話したい。
1988年に発生した女子高生コンクリート殺人事件の事である。私は加害者たちと同じ年齢だったのでこの事件がとても他人事ではないと感じていた。
青年たちは親や教師、誰からも見捨てられたような存在だった。腕力に物を言わせピラミッド式の男社会で固く結ばれ、群れてはワルさをしては憎悪を拡大していった。
彼らが女性をナンパしようと物色中にたまたま通りかかった当時17才だったAさんをクルマに拉致し、自宅に2ヶ月間にわたる監禁がはじまった。
2ヶ月にわたり彼女は屈辱的な辱めを受けた末、彼女はまるでモノ同然にコンクリートに詰められ殺されたのだった。
何度か逃げ出そうとするもそれも発覚されるやリンチを受け、ベンジンの火で腕を燃やされるなどの拷問を受けたという。主犯の人間がやった事を共犯関係と脅してもみ消したのだった。また、両親も人のいる気配があったと思ったそうだが息子から壮絶な暴力を受けるので黙っていたという。
私がここで言いたいのは、彼女の無念は、むき出しの暴力と欲望を誰も止められなかったという事にあった。
主犯が許せないという事よりも社会を度外視したような青年たちのむき出しの暴力の前に無力だった。しかし、それは関係した者だけの事なのか?私もその場に居たらそんなふうに振舞ってしまうのではないのかという問いだった。
彼らを許すその力に勇気を持って立ち向かい外に訴える誰かが居れさえすれば、この事件は最悪の結末を招かなかったのではないか。
そう考えたとき、私の中で何かが音をたてて崩れたものがあった。大人社会でも、正義や道徳を説いていたとしても、暴力を前にしてあっけなく沈黙し、犠牲者がうまれてしまうという真実だった。
その沈黙を打ち破らない限り、私たちの社会はきっとそのような暴力を前にしてにひれ伏すだろう。
ラッカに残り、ISISの不正を許さないRBSSメンバーの勇気に目頭が熱くなるも思いだった。あらゆる暴力や不正もこの勇気さえあれば世界は変えられる事をまざまざと感じられるものだった。
ひとりの力では何もできなくでも、集団的な非暴力で勇気を持って告発すれば実を結ぶ暴力根絶の瞬間をみた。
戦場や事件で多くの人たちが復讐や憎悪の感情を持つことは当然だろう。しかし、ISISのようにむき出しの暴力的社会は、繰り返しその感情を掻き立て深化させ私たちの前に分かるほど拡大させてきたのだろう。
そして私たちは、否定する側であれば、その不正や人間的下劣さの真の原因への究明のために行動できる事が野蛮に打ち勝つ理性的な、人間的な社会の道徳規範と言えるものではないだろうか。