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イスラム国制圧の沈黙都市ラッカから〜『ラッカは静かに虐殺されている』を観た〜

2022-07-30 09:43:00 | 日記


シリア周辺図(FBI作成のクルド人分布図)

シリア北西部の都市ラッカ。
2017年7月イラクモスルでのISIS(イスラム国)をイラク軍が掃討した後、ラッカでもクルド人部隊などで組織されたシリア民主軍により10月ISISを掃討し、都市を解放した。
ラッカでは、2014年からISISの支配地域となり、市民はそこでの生活を余儀なくされた。

ISISは現地の人々にとってみればダーイッシュ(「侵略者」)として暴虐の限りを尽くした。抵抗する者は射殺や斬首され、女性であれば奴隷として売りさばかれる。欧米のジャーナリストやNGO職員であれば、拉致され多額な身代金を要求された。
映画でも、目を背けたくなるようなシーンがたびたび登場するが、ラッカでは一部の市民がISISに支配されている惨状に我慢ならず撮影した人々がいたのだった。スマホを武器に世界に訴えるメディアRBSS(「ラッカは静かに虐殺されている」=Raqqa Being Slaughtered Slowly)である。記者たちは、瓦礫と化した街の大学生やエンジニアなど市民が身の危険を賭して国外の人々に映像や記事を配信し続ける。

Raqqa is Being Slaughtered Silently

Raqqa is Being Slaughtered Silently



2010年よりチュニジアより民主化を求めてまたたく間に広がった「アラブの春」は、高い失業率と長期的な独裁政権への批判などが集中し、人々の怒りに火が付いた。
2011年3月、シリアでも若者たちが、「国民は政権打倒を望む」というチュニジアでのデモで掲げられたスローガンを学校の壁に落書きし、警察に逮捕された事に端を発してデモが発生する。その後、全国主要都市で、アサド政権に対する「汚職反対」「政権打倒」を掲げた数千人規模のデモに発展。デモに対し、政府は軍・治安部隊を投入して厳しい取り締まりを行った。
「シリア人権ネットワーク(SNHR)」によると、12万8千人近くが監獄から未帰還だが、すでに殺されたか現在も収監されているとみられる。1万4千人近くは「拷問で殺害」された。多くの囚人が非常に凄惨(せいさん)な状況下で死亡しており、国連の調査ではそれを「extermination(駆除)」と表現している。

シリアの「秘密刑務所」で続く拷問、レイプ、そして死:朝日新聞GLOBE+

シリアの治安当局者はムハンナド・ガバッシュ(31)を何時間も手首からつり下げ、血が出るほど殴りつけ、電気ショックを加え、口に銃を突っ込んだ。 アレッポ出身で法律学を学...

朝日新聞GLOBE+


人々は40年続いたアサド独裁政権への反発から政権打倒を掲げたが、アサド政府軍の激しい反発により国内は内戦のような状態となる。シリア国内だけではなく、ISISの台頭はトルコ政府もこの混乱に乗じてシリア国内のクルド人の掃討に利用できると介入したためシリア北部、北西部は混乱をきわめた。

このようなシリアでの戦争は、「今世紀最悪の人道危機」とか「今世紀のスターリングラード攻防戦」などと称され、23万人以上が死亡し、400万人弱が国外で、また650万人が国内で避難生活を余儀なくされ、1,000万人が被災していると言われる。

シリア人権監視団発表の死者数統計に潜む政治的偏向/青山弘之・浜中新吾 - SYNODOS

はじめに2011年3月に「アラブの春」の混乱が波及したシリアでは、国内外の様々な当事者による暴力の応酬、欧米諸国などの制裁や干渉により情勢が悪化し、人々の生活は...

SYNODOS

映画は、SISの非道に市民がスマホを武器に国際社会に訴えた姿をおう。
彼らはメディアが特定されてしまったためISISに発見され刑務所に収監されたり、次々と命を失っていく。国外に難を逃れるも脅迫や国内にいる家族の安否も深刻である。

彼らは空爆や武器でISISを追いつめる事はできてもイデオロギー的に必ず新たなISISが生まれると主張する。
この野蛮で残忍なISISが新たに生まれるなんて。まるでゾンビ映画じゃないかと思ったが、あながちこれは真実を言い当てている。

ISISには法があるわけではなく、自身のむき出しの利害が法だと思わせる。異教徒や女性であるというだけで拷問やレイプ、手足を切断させられるなどのあらゆる行為を可能とするもの。

それは、私たちが被っているむき出しの資本主義社会の被害を彷彿とさせないだろうか。
話がそれそうだがしばし私が社会問題に目を向けるようになったきっかけのような出来事を話したい。

1988年に発生した女子高生コンクリート殺人事件の事である。私は加害者たちと同じ年齢だったのでこの事件がとても他人事ではないと感じていた。
青年たちは親や教師、誰からも見捨てられたような存在だった。腕力に物を言わせピラミッド式の男社会で固く結ばれ、群れてはワルさをしては憎悪を拡大していった。

彼らが女性をナンパしようと物色中にたまたま通りかかった当時17才だったAさんをクルマに拉致し、自宅に2ヶ月間にわたる監禁がはじまった。
2ヶ月にわたり彼女は屈辱的な辱めを受けた末、彼女はまるでモノ同然にコンクリートに詰められ殺されたのだった。
何度か逃げ出そうとするもそれも発覚されるやリンチを受け、ベンジンの火で腕を燃やされるなどの拷問を受けたという。主犯の人間がやった事を共犯関係と脅してもみ消したのだった。また、両親も人のいる気配があったと思ったそうだが息子から壮絶な暴力を受けるので黙っていたという。

私がここで言いたいのは、彼女の無念は、むき出しの暴力と欲望を誰も止められなかったという事にあった。
主犯が許せないという事よりも社会を度外視したような青年たちのむき出しの暴力の前に無力だった。しかし、それは関係した者だけの事なのか?私もその場に居たらそんなふうに振舞ってしまうのではないのかという問いだった。

彼らを許すその力に勇気を持って立ち向かい外に訴える誰かが居れさえすれば、この事件は最悪の結末を招かなかったのではないか。

そう考えたとき、私の中で何かが音をたてて崩れたものがあった。大人社会でも、正義や道徳を説いていたとしても、暴力を前にしてあっけなく沈黙し、犠牲者がうまれてしまうという真実だった。
その沈黙を打ち破らない限り、私たちの社会はきっとそのような暴力を前にしてにひれ伏すだろう。

ラッカに残り、ISISの不正を許さないRBSSメンバーの勇気に目頭が熱くなるも思いだった。あらゆる暴力や不正もこの勇気さえあれば世界は変えられる事をまざまざと感じられるものだった。

ひとりの力では何もできなくでも、集団的な非暴力で勇気を持って告発すれば実を結ぶ暴力根絶の瞬間をみた。

戦場や事件で多くの人たちが復讐や憎悪の感情を持つことは当然だろう。しかし、ISISのようにむき出しの暴力的社会は、繰り返しその感情を掻き立て深化させ私たちの前に分かるほど拡大させてきたのだろう。
そして私たちは、否定する側であれば、その不正や人間的下劣さの真の原因への究明のために行動できる事が野蛮に打ち勝つ理性的な、人間的な社会の道徳規範と言えるものではないだろうか。

夜勤明けブラっと秩父双子山へ、ずぶ濡れデスマッチ

2022-07-28 06:55:13 | 日記
秩父双子山に登ってきました。
山間部に入ると小雨が降り出しあやしい雲行きでしたが急いで東岳山頂に登りました。











登頂した途端、ゴロゴロとカミナリの音が聞こえてきて、あっとゆう間にガスってきました。双子山は、山頂が尖っているので、カミナリ落ちやすそうで超危険だと思います。
卽下山開始です。

休みの合間にこうやってフト山に行きたくなる事があります。そういう時はためらわずに行きたいものです。

ただ東岳に登ったら西岳を登るのが通常なのですが、雨足と落雷も激しくなりだして断念しました。
しかし下山はずぶ濡れ、後ろで落雷がするし生きた心地しませんでした。

最終バスのひとつ前に乗ろうと14時00分頃に坂本バス停に到着。服を全部着替えて、いざ温かい昼ごはん。と思ったらライターを忘れたので中本蒙古タンメンは食べられず。




コンビニのカツライスを肴に無事下山できた事をバス停で雨宿りしながらひとりごちでした。

夜勤明けブラっと秩父双子山へ、ずぶ濡れデスマッチ

2022-07-27 18:50:19 | 日記
秩父双子山に登ってきました。
山間部に入ると小雨が降り出しあやしい雲行きでしたが急いで東岳山頂に登りました。











登頂した途端、ゴロゴロとカミナリの音が聞こえてきて、あっとゆう間にガスってきました。双子山は、山頂が尖っているので、カミナリ落ちやすそうで超危険だと思います。
卽下山開始です。

休みの合間にこうやってフト山に行きたくなる事があります。そういう時はためらわずに行きたいものです。

ただ東岳に登ったら西岳を登るのが通常なのですが、雨足と落雷も激しくなりだして断念しました。
しかし下山はずぶ濡れ、後ろで落雷がするし生きた心地しませんでした。

最終バスのひとつ前に乗ろうと14時00分頃に坂本バス停に到着。服を全部着替えて、いざ温かい昼ごはん。と思ったらライターを忘れたので中本蒙古タンメンは食べられず。




コンビニのカツライスを肴に無事下山できた事をバス停で雨宿りしながらひとりごちでした。

殺すな!と暗闇に叫ぶ

2022-07-27 07:13:27 | 日記

幸福も不幸もすべては他者からやってくる。
幸福はそれを受け入れるさいに、不幸を感じる時に感じられる能力を幸福とよぶのだろう。しかし、不幸から隔てられる「幸福」は不幸だと思う。なぜなら他者のない自分などいないのだから。

アキバ襲撃事件のKは非正規雇用で放りだされた末に「罪のない」7名を殺傷した。「罪のない」といえばテレビをつけるとウクライナ戦争の「罪のない」人々が殺されていた。ミャンマーでも民主化を叫ぶ人たち4名が「テロリスト」の汚名と共に軍事政権に処刑された。

「罪のない」7名を殺したKはきのう処刑となった。

私はいつから「罪のない」人たちになったのか?
「罪のない」人々に苛立ち、無視し、見殺しにしたことは無かったか?
「罪のない」人々を殺した記憶は無いのか?

私達には「幸福」のため、眼の前の出来事のみを忠実に追い続けているうちに他者と競争しあい、いがみ合い、大切な何かを失ってしまってこなかっただろうか?

「ただ今、人身事故が発生しました。お客様にはご不便をおかけしますが…」とアナウンスする車掌。
その声に苛立ち、舌打つ。
悲しみや絶望が電車で簡単に押しつぶされる瞬間に、一方の私達が苛立ち、舌打つ。
悲しみや絶望する人たちに苛立ち、舌打つ。
無かったことにする。

安倍国葬という名の暴走列車はそんな「幸福」という暗闇からやってきた。
まるで電車の轟音で人々がなぎ倒され、押しつぶされることさえも分からぬほどの私たちの暗闇から!

戦争も死刑も人を殺めること一切を拒否する。

殺すな!と暗闇に叫ぶ。

政治風刺ネタがおもしろい

2022-07-25 13:22:30 | 日記
ドミトリー・トレーニン著『ロシア新戦略 ユーラシアの大変動を読み解く』(作品社)を読み始めているが、とても読みやすく面白い。
トレーニンの肩書は、カーネギー国際平和財団モスクワ・センター所長とある。ウィキペディアでは「カーネギー国際平和基金」とある。
軍拡競争から軍縮へとむかう東西冷戦構造下のソ連については次のように言う。
「1961年フルシチョが首相として「ソ連はミサイルをソーセージのように(簡単に大量に)」と豪語していたのは有名な話だ。それから30年後、ソ連の大衆は逆のことを求めた。彼らはミサイルを食べることはできなかったし、ブレジネフ書記長の時代にはミサイルはソーセージのようにではなく、ソーセージの代わりに生産されていたからである。」(P30)
単純明快に答えるフルシチョフのソーセージ理論をこんな風刺を込める。
これをロシアではアネクドート(アイロニーを込めた政治風刺)と言うらしい。
ソ連時代刑法58条により、体制批判をすると最高で処刑となってしまうので、度々このような技法で政治体制や生活の不満をユーモアを交えて風刺を行うようになったのだとか。
この種のアネクドートをつい最近もポーランド映画、主にクシュトフ・キェシロフスキ監督を見ていてそういう技法で展開するシーンを何度もみかけた。
実は、このような厳しい政治体制の下でさえも、庶民は必死で政治家を批判したりするお笑いを求めているともいえるのではないでしょうか。むしろ笑うしかないという境地なのでしょうか。
そのフルシチョフネタでもう一つ。1956年フルシチョフは「スターリン批判」を行います。これは、ソ連邦だけではなく、東欧、中国、各国共産党も驚天動地の話ですが、当のフルシチョフのアネクドートも面白い。これは確かヴォルフガング・レオンハルトの『ヒトラー=スターリン協定の衝撃 裏切り』に出ていたと思う。
フルシチョフは、演説の最後に「何か質問はないか?」というと後ろの方からおずおずと声がした。
「では、お尋ねしますが、その時あなたは何をしていたのでしょうか?」
フルシチョフは真っ赤になってテーブルを叩いた。
「誰だ、今の発言は?」
会場はシーンとなり、誰も名乗り出なかった。
フルシチョフはさらに大声を張り上げて怒鳴った。
質問したのは誰だ!」
しばらくの沈黙の後、フルシチョフは一同をジロリと眺め回して言った。
「そう、君たちと同様こんなふうに沈黙していたのだよ。」
私たちはやもすると「政治と言ったって何も変わらない」という事を口にする。しかし、私たちが選んだ議員たちによって社会福祉や教育の向上のために法律を作っているはず。ですが、フルシチョフのソーセージとミサイルの話や政治や会社の前では沈黙のアネクドートネタは、彼の国の話ではないのではないと思います。
2013年に漫才グランプリで一位とって芸能界で絶賛されていたウーマン・ラッシュアワー。政治風刺や時事ネタをやっているうちにテレビで見なくなってしまったと思っていました。
ウーマン・ラッシュアワーの村本大輔さんは、現在活躍の場をユーチューブなどに移しているようです。
彼こそ日本のアネクドートを代表していると思うのです。