しょうじしょうじのブログ

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暑いので野山に

2022-07-20 17:32:50 | 日記
久しぶりに高麗川駅から日和田山と高麗峠を経由して飯能駅までの野山を駆け巡ってきました。
おおよそ10キロの行程でした。

風に吹かれる木々のざわめきや小川の流れる音に癒やされますね。
清涼感たっぷり味わってきました。
埼玉県は高麗川駅からスタート


これはテングタケ科の毒キノコだと思われます

日和田山山頂

高麗峠を抜けてたどり着くと私のお気に入りスポット

粘菌

粘菌

カンゾウ

ヤマユリ


飯能駅周辺にはまだこんな旅館があるのです


『KCIA 南山の部長たち』を観た~機能不全に陥った独裁者の末期えがく~

2022-07-19 11:21:52 | 日記
『KCIA 南山の部長たち』を観た。
朴正煕時代の剣力者たちの三つ巴のような内紛を描いた政治的アクション映画の傑作といえる。
「南山」といえば、ソウル市南に位置する丘陵地帯で現在は南山公園の隣にはソウルタワーがあり、ソウル市が一望できる。その「南山」の別称といえば、韓国では泣く子も黙る権力機関である中央情報部(KCIA)南山庁舎がある。中央情報部は、国内の民主派活動、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のスパイ取り締まりのための情報収集、そして海外の情報収集を担当する里門洞庁舎があったが、主には部長の公邸や執務室は南山となる。
 
主人公は、79年10月26日朴正煕を射殺したKCIA部長金載圭(キム・ジュギュ)。一世風靡したチャン・ドンゴンが演じる。
1976年10月、ワシントン・ポストが「朴東宣ロビー事件」を一面で報じた。
その内容は、韓国政府が組織的に、アメリカの国会議員187人にのぼる上院・下院議員に働きかけを行い、韓国への軍事援助と経済支援などに協力するようにと莫大なワイロで懐柔したという内容であった。その際に、KCIA職員25名ほどが暗躍し、年間90~100万ドルをワイロに充てていた事が判明し、アメリカ国内で騒然となり、上院ではフレーザー調査委員会が設置されることになる。
この「朴東宣ロビー事件」は、韓国政府が組織的に韓米の関係をとりもつ際、このロビー疑獄が統一教会との関係で日本でも暴露された。社会党参議院議員が国会質問でロビー活動に統一教会もこの事件に関与している点をあげている。
 

いわゆる「コリアゲート(コリア疑惑)」ともよばれている。

1977年6月22日、アメリカに亡命中の元KCIA部長である金炯旭(キム・ヒョンウク、김형욱)は、「朴東宣ロビー事件」でアメリカ下院議会フレーザー委員会に喚問され次のように読み上げた。

「朴大統領が何にもまして最も恐れる存在は、71年に彼と大統領選で対決した野党候補の金大中氏と、米国の対韓政策を左右する米国議会だった。朴大統領は、最も恐れる個人、金大中氏の問題を『金大中拉致事件』で解決しようとし、最も恐れる集団である米議会に対しては『朴東宣ワイロ工作』で解決しようとした。」(『金大中自伝』p286)

(新民党本部に籠城するYH貿易労組の女工に襲い掛かる戦闘警察)
 
韓国国内民衆の民主化を求める声は、同年、倒産した会社の存続を求めて野党事務所に籠城したYH貿易労組の女工への血みどろの弾圧や同年10月16日に釜山で勃発し、隣接する馬山でも民主化を求める「釜馬民主化抗争」が拡がり戒厳令となり封殺される。
 
映画でも登場する重要な人物として大統領の警護を担当する車 智澈(チャ・ジチョル)警護室長は、これらの抗争を「戦車でサーと踏みつぶしてしまえ」という程の恐怖政治でKCIA部長金載圭(キム・ジュギュ)と確執を生み出していた。車 智澈警護室長は朴正煕の右腕となるが、のちの10月26日朴正煕射殺の際に金載圭(キム・ジュギュ)によって射殺される。
 
朴正煕軍事独裁政権は、韓国民衆の民主化を求める声やアメリカからも改善を求められるも武力で弾圧しワイロで懐柔という政権の機能不全が末期的となっていたのだった。
 
それは末期的な政権によって育てられた凶弾によって朴正煕が射殺されたとも言えるだろう。
当時、射殺した金載圭が韓国で英雄視されたともいうが、全斗煥独裁が新たな流血弾圧をはじめた事を考えると、「民主主義はクーデターや暗殺でなるものではありません。国民の力で達成されてこそ、ほんものの民主主義です」という金大中の言葉は重い。
 
先日起きた安倍襲撃事件でも、このことは言えるだろう。権力者が育てた凶弾で倒れる前に、私たちは民主主義の力で安倍個人の命ではなく、安倍的な民衆不在の政治を終わらせねばならなかったのだと思う。
 

※2005年2月3日、国家情報院(KCIAの後継機関)によって設置された「過去事件真実究明を通じた発展委員会(過去事件真実委)」は、金炯旭失踪事件を調査したところ朴正煕を射殺したKCIA部長金載圭によってパリにおびき出され射殺されたと結論付けた。この内容も映画には反映されている。(金炯旭WIKI

それにしても金炯旭(キム・ヒョンウク)の『権力と陰謀』をネットで注文しようとしたら4000円越え。買いたいと思ったがおこずかいが無いので図書館で注文したい。


「ずっとここに来たかった」宮森小米軍ジェット機墜落事故から63年

2022-07-13 12:26:47 | 日記

 

 

1959年6月30日午前10時40分頃、一機の米軍F100爆撃機が沖縄県石川市宮森小学校と周辺民家に墜落した。

この事故による被害は、死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)というものだった。

今回、その詳細を記すために記事にしようと思ったのではなく、ジェット機墜落事故で頭蓋骨損傷となり生死をさまよった当時幼稚園児だった新里(佐藤)節子さんが60年後も後遺症に苦しみながらも慰霊祭に足を運んだことが『琉球新報』に掲載されていたからだった。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1542341.html

新里さんは、事故後2か月間米軍病院のベッドで意識を失っていたという。

彼女は、5年ほど前にくも膜下出血により失語症となる。

事故の後遺症から慰霊祭にはじめて参加できた彼女は、何度も目をぬぐいながら「ずっとここに来たかった」と言ったという。

沖縄戦の証言が高齢となって聞けなくなっていると言うが、戦後も沖縄は米軍占領下で多くの事故の被害にあっている。その証言は、かつての沖縄戦のひめゆりたちのように重いのだと思った。

当時米軍は、「この事故はエンジン故障による事故」だと報告し、「石川の悲劇は何も目新しい要素があるわけではない」、「不慮の事故は普通に起きている出来事」とした。

一生涯、今なお後遺症で苦しみを与え続ける少女だった新里さんの人生は米軍という得体のしれない化け物に翻弄され、押しつぶされている。

それを「悲劇」を悲劇として受け止めず、「普通」の「出来事」にされるのは誰なのか改めて考えさせられた。

1959年6月と言えば、もう一つ「普通」の「出来事」があった。6月19日、那覇空軍基地(現在の那覇空港)に配備されていたミサイルナイキが核弾頭を搭載したまま誤って発射され、米兵1人の胴体を引きちぎって海に落下した。海に落下した核弾頭は、幸いにも爆発しなかったが、爆発していたら那覇市一帯が壊滅的だったときく。

この事故も50年後に米公文書によって公開され、心ある人間が日本語に翻訳されなかったら米軍にとってみれば「普通」の「出来事」だったかもしれない。

宮森小学校に墜落したF100が水爆も搭載可能だったというが、「もしかしたら」と考えると背筋が寒くなる思いだ。それを「普通」の「出来事」と片付けていいのだろうか。

沖縄県によると、日本復帰後、墜落や部品落下、不時着など米軍機による事故は実に826件(2020年12月現在『琉球新報』6月30日)である。

最近でも海に墜落した米軍ヘリをはじめ次々と「普通」の「出来事」として処理されかねない事故が当たり前のように沖縄県民と隣り合わせの危険がある。

1950年代後半から沖縄には約1300発の核が置かれていた。日本は非核三原則があり、持ち込めないが沖縄は日本から切り離された米軍統治下であったことで可能だった。

そして今、沖縄は、再度日本本土から切り離されようとしている。中国への軍事的脅威を理由に「南西諸島」への自衛隊が大規模な予算と共に配備されている。

中国政府は言う。「NATOが武力と威勢を示し、インド太平洋に欧州(ウクライナや東欧諸国)の集団対抗の構図を持ち込もうとしている」NATOが中国の利益を損なえば「断固として反撃」するとしている。

日本が防衛費を相当額増強し世界第8位から世界第3位に躍り出ようとしているいま軍事同盟の強化と中国に写りかねないとなれば、その戦略的拠点である沖縄本島をはじめとする「南西諸島」に銃口が向けられる可能性は増している。

改めて宮森小学校のかつての少女だった新里さんの苦しみを生みださないために何ができるのか思いを馳せたい。


憎悪を生みだす強者中心の社会との決別を~安倍氏襲撃事件に思う~

2022-07-10 21:51:41 | 日記
昨日は労働組合の半日会議だった。
その後の交流会でも職場の事や反戦行動や安倍襲撃事件のことなどで盛りあがる。
で、その後が大変だった、選挙に行かなければという思えど寝不足とお酒がまわってかなり酔っぱらってフラフラとした足取りはどこを走っているのか、山手線を2周ほど回ったろうか。
そんなこんなで、二日酔いのまま投票所に足を運んだのだつた。
 
で、安倍襲撃事件以降、感じたことのない不気味でイヤ〜な感じ、得体のしれない雰囲気が気になって仕方なかった。その正体が何なのか以下は思ったことを書かせてもらった。(写真は、会議のあった会場、浅草橋の艀の風景)
 
安倍晋三襲撃事件については、Y容疑者の動機などを知るにつけ憎悪を生みだした社会の殺人事件という他ないと思う。
 
選挙期間中ということもあり「民主主義への脅威」とか新聞紙面は賑わせ、この襲撃事件が安倍氏個人をねらったテロかと疑ったが、テロリズムの定義ともかけ離れた事件であり、マスコミは殺人事件として訂正すべきだ。ちなみにテロやテロリズムといいう定義について、に逢坂誠二(立件民主党)が提出した「テロリズムの定義などに関する質問主意書」(2017年3月10日)を参考にしてみる。警察庁ではテロリズムの定義として、「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう」と規定されている。「政治や主義主張にもとづく」ものであるが、Y容疑者の動機などから判断しても無理筋であることがわかる。
 
それをあえて訂正しないのは一体なぜだろうか?
 
この事件をテロとすればするほど、共産党や社民党などの左翼政党や労働組合や社会的マイノリティへの差別と憎悪による意趣返し的なものがむしろ増幅するのではないか?そしてその取り締りも。
ネットでは、犯人の国籍や支持政党などえげつない書き込みがされている。それだけではなく、立憲民主の辻元清美事務所の窓などを壊す事件やメーデーや朝鮮学校への襲撃事件などが更にエスカレートしてしまう責任を誰が取るのか。
 
テロリズムというのであればアメリカの言語学者ノーム・チョムスキーの主張に耳を傾けたい。彼は「あらゆるテロに反対する」立場から、アメリカの国家テロリズムに触れていた際に、1998年ケニアとタンザニアの米大使館爆破への報復としてスーダンの製薬工場への爆撃について触れている。
工場爆撃によってスーダンの医薬品の50%以上を供給する工場が消失したため、マラリヤや結核患者用の薬、牧場での寄生虫感染薬がなくなり、間接的な死亡者数は数万人にのぼるとされた。しかもアメリカはスーダンにある国連の援助組織のアメリカ人職員を引揚げさせ240万人が飢餓の危険にさらされた。
更に注目すべきは、スーダン政府は、ケニアとタンザニアで発生した米国大使館爆破事件の容疑師を拘束し、製薬工場爆撃の前に有力なアルカイダに所属する200名のデータと共に引き渡そうとしていた。アメリカがこれを拒否したため、このような悲劇となったわけだが、さらに悲劇は続くことになった。
911テロ、アフガニスタンやイラクへの戦争はこのようなテロの恩讐がもたらしたものではなかったか?
 
それ故に考えるへきことは、武力を増強してきた安倍政権が作ってきた社会はいかなるものだったかではないか?
 
アンダーコントロールと原発が制御されているかのように装いオリンピック誘致を強行、貧困と格差をうみだしたアベノミクス、二度の消費税増税、近畿財務局職員が自殺するなどのモリカケ問題、アメリカと戦争できる集団的自衛権行使を安保法制と共謀罪の強行、沖縄に寄りそうと言いながら辺野古、高江の米軍基地建設、先島への自衛隊配備、どれも人々の暮らしや生活を踏みにじりながらウソもペテンも平気な強者中心、優先の社会を作り上げてきた。
今回の襲撃事件で民主主義の脅威を言うなら、安倍政権と安倍によるこれまでの民主主義の破壊についてどう思うんだと言いたい。
 
みなさんは、どう思われますか?
 
というか7月13日16時00分から水道橋駅頭で行われる3回目となる戦争反対!労組緊急アクションで思いをぶつけよう!
 
 
 

『プライベートウォー』を見た

2022-07-06 12:06:06 | 日記
シリアで命を落としたアメリカ人戦場記者メリー・コルヴィンを映画化した『プライベートウォー』をみた。ぜひ、アマプラでも視聴できるのでみてほしい作品です。
ラストにかかっていたアニー・レノックスのRequiem For A Private Warを聞いていて、戦場で活躍する彼女の姿と見事にかさなる。
身の危険を侵す事は様々な非難の的になるけど、そこに立ちどまる勇気がなければ世界は閉ざされるだけと。戦場という見えない(見えずらい)場所に戦場記者が一縷の光をあてる。
 
夜に見えない星(太陽)が星々を照らしているという真実をみたような映画だった。
 

 

 

Why do these cold stars burn bright?
All these cold stars
Why do these cold stars burn bright?
All these cold stars
Bring it on
Bring it on
Bring it on
Nothing will stop me
 
冷たい星は、なぜ明るく輝くのか?
これらの冷たい星はすべて
なぜ、この冷たい星々は明るく輝くのか?
すべての冷たい星が
かかってこい
かかってこい
かかってこい
誰も私を止められない
(アニー・レノックス「Requiem For A Private War」より)
 
余談となるが、1992年にクィーンのフレディマーキュリー追悼コンサートをロンドンウェンブリースタジアムで行う。その際アニー・レノックスはデビッドボウイ共演でアンダープレッシャーをマーキュリーにおくっている。
 

 

プレッシャーが 僕の上にのしかかる

そして君の上にも 誰も望んでいないことなのに

プレッシャーの下 ビルディングは焼け落ちて

家族は二つに引き裂かれ 人々は路頭に追い出される

これは世界の仕組みを知るという恐怖

仲の良い友達が叫んでいる場面を見る「僕をここから出してくれ」
明日を祈る 僕をもっと高いところに連れてってくれと…

人々へのプレッシャー 路頭に迷う人たち

Mmm num ba de
Dum bum ba be
Doo buh dum ba beh beh

Pressure pushing down on me
Pressing down on you, no man ask for

Under pressure that burns a building down

Splits a family in two, Puts people on streets


Um ba ba be
Um ba ba be
De day da
Ee day da - that's okay

It's the terror of knowing what the world is about
Watching some good friends screaming 'Let me out'

Pray tomorrow gets me higher
Pressure on people, people on streets

Day day de mm hm
Da da da ba ba
Okay

(デビッドボウイ「Under Pressure」より)