昨日は実家で過ごした。
母親も83歳、足腰が弱くなっており歩行が困難になっている。ピンポン王くらいのヒョウが降って大変だったと。プレハブの窓ガラスが割れていたのでベニヤでふさぐ。
夜は家にあるホコリを被ったブレヒトの詩ををサッチモを聞きながら。
劇作家ブレヒトは、ナチス誕生から滅亡までを亡命者となりながら生き延びた。
1933年ナチスによりブレヒトの著作の刊行を禁止され、焚書の対象となる。 それを前後して国会議事堂が放火され、ナチスにより共産党の仕業とでっち上げられ無政府主義者、共産党員が逮捕される。1934年は悪名高き全権委任法が通過し独裁制となる。1935年にはナチスによりブレヒトは市民権を剥奪され亡命を余儀なくされる。
いま改めて1936年に書かれた詩が予言のように警笛を鳴らしてる。
「のちの時代のひとびとに」 ブレヒト
そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。
無邪気なことばは間が抜ける。
シワをよせぬひたいは感受性欠乏のしるし。
笑えるものはおそろしい事態を
まだ聞いていない者だけだ。
なんという時代
この時代にあっては
庭がどうの、など言っているのは、ほとんど犯罪に類する。
なぜなら、それが無数の非行について沈黙している!
平穏に道を歩みゆく者は 苦境にある友人たちと
すでに無縁の存在ではなかろうか?
たしかに、どうやらまだぼくは喰えている。
でも、嘘じゃない、それはただの偶然だ。
ぼくの仕事はどれひとつ、
ぼくに飽食をゆるすようなものじゃない。
なんとかなっているいるなら偶然だ。
ひとは言う、飲んで喰え、喰えりゃ結構だ、と
だがどうして飲み喰いができるか、もしぼくの
喰うものは、飢えているひとから掠めたもので
飲む水は、かわいたひとの手の届かぬものだとしたら?
そのくせぼくは喰い、ぼくは飲む。
賢明でありたいと思わぬこともない。
むかしの本には書いてある。
賢明な生き方が。
たとえば、世俗の争いをはなれてみじかい生を
平穏に送ること
権力と縁を結ばぬこと
悪には善でむくいること
欲望はみたそうと思わず忘れること
が、賢明なのだとか。
どれひとつ、ぼくにはできぬ。
そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い
ぼくが都市に来たのは混乱の時代
飢餓の季節。
ぼくがひとびとに加わったのは暴動の時代
ぼくは叛逆した、かれらとともに、
こうしてぼくの時がながれた
ぼくにあたえられた時、地上の時。
戦闘のあいまに食事し
ひと殺しにまじって眠った。
愛を育てもしたが、それに専念する余裕もなく、
自然を見ればいらだった。
こうしてぼくの時はながれた
ぼくにあたえられた時、地上の時。
ぼくの時代、行くてはどこも沼だった。
ことばのためにぼくは屠殺屋どもにつけ狙われた。
無力のぼくだった。しかし支配者どもには
ぼくがいるのが少し目ざわりだったろう。
ぼくにあたえられた時、地上の時。
ぼくらの力は乏しかった。
目的地はまだ遠かった。
でもはっきり見えていた、たとえぼく自身は
行き着けそうもないとしても
こうしてぼくの時がながれた
ぼくにあたえられた時、地上の時。
きみたち、ぼくが沈没し去る潮流から
いつかうかびあがってくるきみたち。
思えぼくらの弱さを言うときに
この時代の暗さをも、
きみらの免れた暗さをも。
事実ぼくらは、靴をよりもしばしば土地をはきかえて
絶望的に、階級間の戦いをくぐっていったのだ、
不正のみ行われ、反抗が影を没していたときに。
とはいえ、無論ぼくらはしっている。
憎悪は、下劣に対する憎悪すら
顔をゆがめることを、
憤怒は、不正に対する憤怒すら
声をきたなくすることを。
ああ、ぼくたちは
友愛にのみ生きることは不可能だった。
だがきみたち、いつの日かついに
ひととひとがみな手をさしのべあうときに
思え、ぼくたちをひろい心で。
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