時は1937年日本支配下の朝鮮半島を舞台に、当時の歌事情あり、熱愛あり飽きさせなかった。
親日派として朝鮮総督府に勤務するヘミョンが、キャバレーで妖艶に演じるナンシル(キム・ヘス)に一目ぼれする。
ヘミョンがナンシルを口説いてゴールと行きたいところだが、仲睦まじく手作り弁当を持たせたが総督府に持ち込むとそれが爆発。そしてナンシル蒸発するも、ヘミョンはくじけることなくナンシルを追いかけて愛が成就すると思いきや。。。
1937年といえば盧溝橋事件で日中前面戦争となり、銃後の人々とくに植民地支配の人々は、言語は日本語、天皇を祀る神社への参拝する事を推進した。
朝鮮総督府に勤務するヘミョンにとって、日本人、日本文化に慣れ親しむ事は、自分が将来安泰に生活できる人生であってそのことを疑問に思ったことがないかのようだ。朝鮮総督府の職員と言えば、日本の植民地支配の象徴的職務機関であり、皇国日本に忠誠を誓う人間でなければはいれないだろう。
ヘミョン同様に、朝鮮半島の中で日本に忠誠を誓う親日派と言われる日本と日本人への同化政策の推進者たちはどのような態度をとったのだろうか。
例えば、総督府内務局に勤務していた李覚鐘は、朝鮮神社で「国威宣揚武運長久祈願祭」が挙行され、「私共は大日本帝国の臣民であります」「私共は互いに心を合わせて、天皇陛下に忠誠を尽くします」「私共は忍苦鍛錬して、立派な強い国民となります」と祝詞を書いた。
ナンシルは石田燿子(架空?)が日本語で歌う曲を朝鮮語で歌うというシーンが出てくるが、当時の皇民化教育の中では、統治した国々に日本語を強要しようとする雰囲気は吹きあれる。
余談だが、歌も日本の植民地支配の文化的洗脳という意味では最大限に利用された。
中国で「蘇州夜曲」などの中国語でデビューした李香蘭は、中国人と偽った日本人。山口淑子として戦後は歌手に返り咲き国会議員となっている。
シンガポールに侵攻した日本は「あいうえおのうた」を子どもらに覚えさせる。
あるいは太平洋戦争に突入すると敵性歌謡として禁止された曲は少なくない。
1942年に発表された高峰秀子の「森の水車」。聞くと明るい曲調に、詞がいけないと禁止された。あるいは、童謡歌「たきび」の「たき火は」敵に発見されるので禁止という始末。