第1章 マンローの学生時代
エジンバラ近郊
1.マンローの生い立ち
マンローは1863年にエジンバラ北方のダンディーという町で生まれました。明治維新の4年前ということになります。親は開業医で、一族の源は14世紀まで遡る名門です。
79年にエジンバラ大学医学部に入学しています。学生の頃から考古学・人類学に興味を抱いていたようです。テームズ川流域で石器時代の遺跡の発掘にも参加していたと言われています。
2.ダーウィンの影響
若きマンローに影響を与えた人物といえば、なんと言っても進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンでしょう。
ダーウィンはエジンバラ大学医学部の大先輩に当たります。マンローより54歳年上ですが、結構長生きしているのでかなり時期的にはかぶります。
ダーウィンも、親が医師だから医学部に行ったのですが、どうも血を見るのが苦手だったらしく、途中退学してしまいます。そして大好きだった生物学の道に進むことになります。
卒業後はビーグル号に乗って世界一周しました。その途中、ガラパゴス諸島で珍奇な生物に出会い、それを機に生物が進化することを確信するようになりました。
彼の発表した「種の起源」は、人間も含めたすべての生物が単純で原始的な生命から発達してきたという衝撃的な主張で、いわば生物学における地動説でした。
マンローにとってはダーウィンの冒険心と行動力、それに事実の示すところに従う大胆で実証的な理論構築の手法が大きな影響を与えたのではないでしょうか。
3.ついでにコナン・ドイルのこと
もうひとりの同窓生を上げておきます。それはシャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルです。
ドイルは医学部で3年先輩に当たるので完全にかぶっています。ドイルも進化論を知って無神論者になり、学生時代にモグリの船医をしてケープタウンまで行ったそうです。マラリアになって死ぬ目にあったそうです。こんな命知らずはエジンバラ大学の伝統かもしれません。
大学を出てロンドンで開業したが、あまり流行らないので暇つぶしに書いた探偵小説が大ヒットしてしまいました。ホームズシリーズの第一作が発表されたのが84年のことですから、マンローがテームズ河畔の発掘に加わるなど、考古学に夢中になり始めた頃です。
マンローはホームズの探偵小説を読んでいたのでしょうか。それはわかりませんが、二風谷のマンロー邸の2回の書棚に「緋色の研究」や「バスカービル家の犬」が並んでいたのではないか…、楽しい謎です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます