鈴木頌の「なんでも年表」

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馬と車輪の年表

2021-03-17 17:41:19 | マンロー
馬と車輪の年表

面倒なのでまとめて表示する。
* 「面倒」でやったことなのだが意外な発見があった。まず、車輪というのはそれだけでは意味のない道具で、まずは「動力」があって、それがどういう動力なのかによって意味合いがまったく変わってくるということだ。実は車輪の技術というのは、ローマ帝国以来、産業革命までずっと凍ったままだった。それが蒸気機関が発達しさらにガソリン機関が発展するに連れ、急速にイノベーションが進んだ。つまり車輪というのは、工学的発想から言えば一種の歯車なのだ。
* もう一つ、これは発見というよりたんなる感想なのだが、車輪の発明はコロの応用ではないのだ。コロの発想からは絶対に車輪の発想は連想されない。車輪の原理の核は車輪ではなく軸受にある。回転するときの摩擦抵抗をどう受け流すかが、技術の肝だ。
おそらくはロクロ回しが発想のきっかけだろうと思う。ロクロの真ん中をドーナッツにして芯棒を通せばそれで一輪車だ。ただしこの発想を実用に変えるには資材の強度が問題になる。それができたところから順に手あげ方式で、各地に車輪が生まれたのではないかと思う。
* 面白かったのは車両という運搬システムが一旦廃れたということだ。その理由が乗馬技術(というより技能と呼ぶべきだろうが)の発達だというのだ。これについては項を改める。

 

紀元前5千年ころ シュメール(ウバイド期)で最古の車輪が発明される。元々はロクロが発展したもの。

 

車輪の起源はコロ→+軸受説と、回転体→連結・横置き説がある。気持ちはコロ説だが、技術的にはロクロ説に傾く。工学的にはコロから車輪の発想は生まれない。「繋留コロ」にはまり込むともうアウトだ。

 

紀元前4000年ごろ 馬が家畜化される。手綱をウマの口でとめるハミが実用化。(牛はすでに紀元前8000年ごろ)

 

紀元前3700年ごろ カフカース(コーカサス)で荷車などが使われていた痕跡。

 

紀元前3500年ごろ ポーランド南部で出土した陶器に車輪のある乗り物が描かれる。 

 

紀元前3千年紀 車輪がインダス文明にまで到達する。

 

紀元前2000年ごろ カフカース地方でスポークを使った車輪が発明される。車輪が軽量化したことにより、馬車を戦車(チャリオット)として利用可能に。

 

最初はコロに使う丸太を輪切りにした。その後、板を円板型に貼り合わせたものに発展。

 

紀元前1700年ごろ アジア系のヒクソス人が馬に引かせた荷車(戦車)でエジプトに攻め込み蹂躙。おそらく小アジアのヒッタイト。

 

紀元前1600年頃 殷王朝の王墓から戦車が発掘される。車両は馬4頭だてで、車輪はスポークを用いたものであった。

 

甲骨文字に「車」「軍」という字の原型が見られ、軍は車(戦車)と囲いを示す。

 

紀元前1200年ごろ 中国で車輪を使った戦車が存在していた。

 

紀元前1千年紀 ケルト人が戦車の車輪の外側に鉄を巻きつける発明。

 

紀元前1000年ごろ 中央アジアでウマに直接に騎乗する技術が開発される。これにより騎馬・遊牧という生活形態が、著しく効率化。

 

紀元前8世紀 アッシリアが弓騎兵を活用して世界帝国に発展する。

 

紀元前3世紀 秦の始皇帝、戦車を駆使して全土を統一。

 

以上のごとく車輪発明のギネス争いは、「われこそ一番!」の名乗り争いが続いている。

 

出土された地域が点在しており、同じ時期に世界各地で考案されたと考えられる。

 

本家争いは実はどうでも良いので、馬と組み合わせた戦闘技術の柱の一つとして確立されたことに最大の意味がある。

 

軍事目的の実用が始まったのは紀元前2千年ころ、スポーク付き車輪が発明された頃であろう。

 

鉄・車輪・馬の三拍子が揃うのも、ほぼこの頃であろう。車輪は戦闘というよりロジスティックスだったのではないか。


古代の戦車httpswww.napac.jpcmsimagespublishchap01.pdf

             古代の戦車

というのも、ベン・ハーのようなチャリオットが戦闘の主役になる日はついに来なかったからである。

 

一頭の馬を戦闘に使いこなすにはそれに騎乗して戦うのが一番効率的だ。その技術というか技能が確立されたのが紀元前1000年ごろというから、それで古代世界は完成というか終わりだ。

 

あとはマケドニア帝国からローマ帝国となだれ込み、その後1千年の安定と停滞が訪れる。

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