「文鮮明先生の説教集 2 - 8. 天国の鍵を私達は持たなければならない」
1957年3月31日(日曜日)、本部教会。マタイの福音書 16:13-20
<祈 祷>
今日、私達の前に現れたイエス・キリストの姿、神を代わりに示された方が、この場に集まった皆さんにも現れるように許して下さい。主よ、お与えいただいたみ言葉が、私達の心と魂の耳を通して聞こえるこの瞬間を許して下さい。イエス様のお言葉は、その時だけに関連するものではなく、今日の私達とも関係がある、歴史を超えたお言葉である事を悟らせて下さい。
ペトロに感じられたイエス様の優しい心情を、この瞬間私達も理解できるようにして下さい。ペトロがイエス様の心を知り、応答した時に、天の全体の計画を受け継ぐ事ができたように、今日この場に集まったあなたの息子と娘達も、お父様のみ言葉を伝える方の心情を理解し、思いやりのある場でみ言葉を聞き、み言葉に忠実に従えるように導いて下さい。
その時、神様が私達に全体の計画と復活の使命を引き継がせてくださる事を知らせ、また、み言葉を私達が聞く際に、み言葉を与える方の内なる心情を理解できるように許して下さい。神様の心情を理解するために、み言葉を理解する私達になるように、お父様、熱望しており、願っております。
今日お分けになるこのみ言葉が、私達と関係を築けるみ言葉となるように許して下さい。ペトロが「あなたこそがキリスト、生ける神の子です」と証言したように、私達も主を見つめ、喜び、主を証言できるように許して下さい、愛するお父様、熱望しており、願っております。
永遠にお父様のみ言葉と調和できる自己であり、お父様の前でも、主の前でも、聖霊の前でも、すべての被造物の前でも不足しない姿で現れる事ができるように、私達自身を見つめる助けを与えて下さい。
お父様、この瞬間に集まったすべての兄弟姉妹の心を導いて下さい。心と心が一つとなり、一つの祝福を共有でき、心と心が一つとなり、一つの愛を感じる事ができる全体的な歴史がこの瞬間に現れるように許して下さい。切望しております。
これまで持っていた私達の従来の考えを捨てる助けを与え、能力のあるお父様が私達を受け入れてくださり、復活の歴史が明らかになるように許して下さい。自己に従順できる心、自己を悔い改められる心、自己を悔い改められる心を持つようにして下さい。この瞬間に語る者と聞く者の心が一つになるように許して下さい。切望しており、願っています。
この瞬間に集まった私達を混乱させるためにサタンが行っている事を知らせて下さい。恵みの雰囲気が漂う場所ですが、常にサタンが狙っている事を知り、恵みが大きければ大きいほど、それに応じてサタンの行動も大きい事を知らせて下さい。久しぶりに参加した家族の中でも、たとえ一つの命でも、敵であるサタンを容認しないように許して下さい。切望しており、願っています。
お父様! 6千年にわたり、自分の側に引き寄せようとするサタンに誘惑され、憎しみを抱いた祖先達と同様に、私達もサタンに引き寄せられ、憎しみを抱かないように守って下さい。
ため息を繰り返す自分自身にならないように許して下さい。私達が原因で後継者達がため息をつく事がないように、自己保護できるこの時を許して下さい、お父様、切望し、願っています。
自己の体を謙虚に保ち、他の人と調和できる柔和な心を持ち、お父様にすべてを明け渡し、憐れみの恩寵だけを求める心を持つ事を許して下さい、お父様、切望し、願っています。すべてを委ねましたので、この時、お父様の御心だけを示して下さいとお願い申し上げます。主の名により祈ります。アーメン。
1957年3月31日(日曜日)、本部教会。マタイの福音書 16:13-20
<祈 祷>
今日、私達の前に現れたイエス・キリストの姿、神を代わりに示された方が、この場に集まった皆さんにも現れるように許して下さい。主よ、お与えいただいたみ言葉が、私達の心と魂の耳を通して聞こえるこの瞬間を許して下さい。イエス様のお言葉は、その時だけに関連するものではなく、今日の私達とも関係がある、歴史を超えたお言葉である事を悟らせて下さい。
ペトロに感じられたイエス様の優しい心情を、この瞬間私達も理解できるようにして下さい。ペトロがイエス様の心を知り、応答した時に、天の全体の計画を受け継ぐ事ができたように、今日この場に集まったあなたの息子と娘達も、お父様のみ言葉を伝える方の心情を理解し、思いやりのある場でみ言葉を聞き、み言葉に忠実に従えるように導いて下さい。
その時、神様が私達に全体の計画と復活の使命を引き継がせてくださる事を知らせ、また、み言葉を私達が聞く際に、み言葉を与える方の内なる心情を理解できるように許して下さい。神様の心情を理解するために、み言葉を理解する私達になるように、お父様、熱望しており、願っております。
今日お分けになるこのみ言葉が、私達と関係を築けるみ言葉となるように許して下さい。ペトロが「あなたこそがキリスト、生ける神の子です」と証言したように、私達も主を見つめ、喜び、主を証言できるように許して下さい、愛するお父様、熱望しており、願っております。
永遠にお父様のみ言葉と調和できる自己であり、お父様の前でも、主の前でも、聖霊の前でも、すべての被造物の前でも不足しない姿で現れる事ができるように、私達自身を見つめる助けを与えて下さい。
お父様、この瞬間に集まったすべての兄弟姉妹の心を導いて下さい。心と心が一つとなり、一つの祝福を共有でき、心と心が一つとなり、一つの愛を感じる事ができる全体的な歴史がこの瞬間に現れるように許して下さい。切望しております。
これまで持っていた私達の従来の考えを捨てる助けを与え、能力のあるお父様が私達を受け入れてくださり、復活の歴史が明らかになるように許して下さい。自己に従順できる心、自己を悔い改められる心、自己を悔い改められる心を持つようにして下さい。この瞬間に語る者と聞く者の心が一つになるように許して下さい。切望しており、願っています。
この瞬間に集まった私達を混乱させるためにサタンが行っている事を知らせて下さい。恵みの雰囲気が漂う場所ですが、常にサタンが狙っている事を知り、恵みが大きければ大きいほど、それに応じてサタンの行動も大きい事を知らせて下さい。久しぶりに参加した家族の中でも、たとえ一つの命でも、敵であるサタンを容認しないように許して下さい。切望しており、願っています。
お父様! 6千年にわたり、自分の側に引き寄せようとするサタンに誘惑され、憎しみを抱いた祖先達と同様に、私達もサタンに引き寄せられ、憎しみを抱かないように守って下さい。
ため息を繰り返す自分自身にならないように許して下さい。私達が原因で後継者達がため息をつく事がないように、自己保護できるこの時を許して下さい、お父様、切望し、願っています。
自己の体を謙虚に保ち、他の人と調和できる柔和な心を持ち、お父様にすべてを明け渡し、憐れみの恩寵だけを求める心を持つ事を許して下さい、お父様、切望し、願っています。すべてを委ねましたので、この時、お父様の御心だけを示して下さいとお願い申し上げます。主の名により祈ります。アーメン。
<御言葉>
皆様にお伝えしたい言葉のタイトルは「天国の鍵を私達は持たなければならない」です。今回、このタイトルで皆様にお話しいたします。
この地上の人々はこれまでに天国を望んできました。歴史の進行に従って、人々は環境的にも世界的にも、あらゆる面で天国の理想がこの地で実現する事を望んで生きてきました。また、神も天国が成就する事を望んで計画し、出てこられました。したがって、私達が実現すべき天国は神の望みであり、同時に人間の望みの中心でもあり、すべての被造物の望みの中心でもある事を理解しなければなりません。
しかし、永遠の理想である天国の中心であり、永遠の希望の中心であるのにもかかわらず、私達はむしろ自分達を嘆かなければならない立場にいます。
このように、私達と天国との距離が遠くなるほど、私達は天国に反対する邪悪な要素に浸る事になり、善の理念を尊敬しても、その理念は私達と関わる事ができなくなり、愛の本質を尊敬しても、私達はその本質と関係を持つ事ができなくなります。さらに、こうなると善を行おうとする願望が熱心であっても、天国との関係を持つ事ができなくなります。
このように、天国は神を中心とした世界であり、私達は天国を築くためには神との結びつきを持つ必要があります。また、神も全ての世界と調和できる天国の理念を達成するために計画しており、それには人間との関係も必要です。
しかし、私達が希望する天国は遠く、私達が住んでいる世界は罪と邪悪の世界であり、私達は神との関係を持ちたいと願っても、その能力を持っていません。
しかし、私達が神との関係を持ち、天国が実現する事を望むなら、天国と私達の結びつきは切り離す事のできない運命的なものであり、私達の時代や場所に限定されたものではなく、永遠のものです。人々が常にそのような天国の理念と理想を感じている事から、神を中心にし、永遠の天国がすでに私達との結びつきを持っていた事が分かります。
イエス・キリストがこの地に来て30年以上にわたり、涙を流しながら苦難の道を歩みながら語りかけた目的は何でしょうか?それはまず、人々に神との結びつきを回復させるためであり、次には人々に天国を紹介するためでした。
イエス・キリストは天国を紹介する際、真実としてその言葉を伝えました。つまり、真実として天国を紹介しようとしていました。神は、人間と永遠に変わらない結びつきを持つための言葉、この地に天国の理念を築くための言葉を、イエス・キリストを通じて人々に授けました。真実を通じて神と人間の関係を回復し、真実を人々に示すためにやって来たのです。したがって、神と人間の関係を築くために来られ、真実の言葉を宣言し始めたイエス・キリストは、神と人間、そしてすべての生き物が望む天国を築くために真実の言葉を宣言し始めたのです。
しかし、イエス・キリストは神と人間の結びつきを回復するために真実を宣言しても、真実と結びつくべきイスラエルの民はイエス・キリストを信じなかったため、イエス・キリストの宣言の目的は達成されなかったのです。これからも、イエス・キリストが宣言した真実の言葉が100%人々に伝わらなかった事が分かります。それは当時の人々がイエス・キリストを信じなかったため、イエス・キリストは彼らに真実を比喩や象徴的に、または含みのある形で紹介するしかなかったからです。したがって、この地に住む多くの人々は、歴史の進行に従って隠された真理の扉を見つけ出すために多くの知識を駆使してきたのです。
今や歴史の終末が近づいており、人々が内外から探し出してきた霊的なものと真理が出会う時が来るでしょう。また、多くの人々がイエス・キリストを信じる真の信者となり、イエス・キリストの心に隠されていた真理も完全に紹介されるでしょう。
したがって、天に向かって進む皆さんは、現在どの道に進んでいるのでしょうか?これまで外部の真理と内部の真理は異なる方向から確立されてきましたが、今はこれらの真理が一つの焦点を中心に一体化できる時です。このように、真理を中心にした神の計画は、歴史の進展に合わせて補完されてきたのです。
では、これまで人々が望んできた再創造の歴史が完結すると、何が起こるのでしょうか?まず、全ての生き物と人間が望む天国の理想を実現できる宇宙的な結びつきを持つ真理の中心が現れます。そして、その中心を持って天国が建設されるのです。もしもそのような真理の中心が現れない場合、神の全体的な天国の理念は実現されないでしょう。
その後、真理の中心による真理の運動が起こり、真理が発見されると、どのような運動が起こるでしょうか?それは生命の運動です。この生命の運動は、生命を中心に据えた統一の歴史として、一つの天国を実現できる天的な力の中心として表れ、このような世界に全ての生き物を導くでしょう。
このように、真の真理が現れた後、統一的な生命の運動が起こり、この運動の後に統一された愛の世界が実現されるでしょう。そうでなければ、私達が望む天国は建設されないでしょう。
では、私達が望むその希望の天国はどのような世界でしょうか?その世界は神が楽しむ事ができる場所であり、イエス・キリストと聖霊が楽しむ事ができる場所であり、無数の聖徒が楽しむ事ができる場所です。同時に、すべての生き物が調和する事ができる場所です。それゆえ、その場所は愛を中心にし、調和する世界であり、生命を中心にし、調和する世界であり、真理を中心にし、調和する世界なのです。これを理解する必要があります。
したがって、神はそのような天国を建設するために最初に人間を通じて起こした運動は何でしょうか?それは真理の回帰運動、すなわち言葉を通じた真理の回帰運動でした。言葉を通じて真理の回帰運動が起こる必要があるのは、言葉を通じてのみ生命の歴史が進行し、生命を通じてのみ愛の運動が現れるからです。
アダムとイブが堕落したときも、言葉を信じなかったために堕落しました。言葉を信じなかったために、言葉の根源である生命と、生命の根源である神の愛を失ったのです。これがアダムとイブが誤った事です。したがって、アダムとイブが犯した誤りを宇宙的に、また全体的に清算しない限り、私達が望む天国、私達が求める理想郷は見つける事ができません。
このような目標を達成するために、長い年月をかけて父、子、聖霊が行動してきました。この三位一体の神のうち、聖霊は人々を真理に導くために行動しています。それゆえ、聖書に「真理の霊が来ると、彼はあなた方を真理のあらゆる点に導くでしょう...」(ヨハネ16:13)と書かれています。このように、聖霊は真理の使命を担当し、行動しています。
聖人イエスはどのような使命を担当していますか?それは生命の主人公として行動しています。そのため、「私は道であり、真理であり、命である。わたしを通じて来ない者は、父のもとに行く事はできません。」(ヨハネ14:6)と言われています。
イエス・キリストはこのような生命の目的を設けるために現れました。では、私達が真理を通じて生命を見つけるために最終的に見つけなければならないものは何でしょうか?それは愛です。私達は聖霊の愛、キリストの愛、そして神の愛に到達しなければなりません。この観点から、三位一体の性格を象徴的に表現すると、父は愛、子は生命、聖霊は真理で表現できるでしょう。
したがって、イエス・キリストが「あなた達は私を誰だと思いますか?」と尋ねたとき、ペテロは「あなたはキリスト、生ける神の子です」と答えました(マタイ16:16)。ペテロのこの答えは、イエス・キリストの真の性格の実在性についての発言であり、それはキリストとして油注がれた方、生ける神としての方、肉体と心を持つ実在体であるという言葉です。
ペテロがイエス・キリストを生ける神の子と述べた事から、私達はペテロがイエス・キリストの内面の気持ちだけでなく、神の全体的な内面の気持ちを知り、神の律法を通じて判断の基準を持つ事ができる事がわかります。したがって、イエス・キリストはこのようなペテロに天国の鍵を託したのです。神と人間と全ての生き物を象徴的に表現すると、神は愛、人間は生命、そして全ての生き物は真理で表現できます。
では、真理の鍵を持つ私達はどのように真実を見つけるべきでしょうか? 何よりも、イエス・キリストと聖霊、神の心に合致する真理の鍵を持つ必要があります。この鍵を持たなければ、肉体の成長はできません。また、真理の中で聖霊との関係を築く事はできません。
今まで信者達が真実を見つけるために苦闘してきた目的は何だったのでしょうか?それは天国の鍵を見つける事でした。そのためにはまず、真実の鍵を見つけなければならない事を理解する必要があります。今日、この世には多くの真理があるように思われますが、天国の真理の扉を開く事ができる真実の鍵を持つ真実はありません。
もしもこのような真理を持つ人がいるのであれば、この真理を知る者には自然に神の愛が注がれるでしょう。そして、私達の中で誰かが神の真理を中心に据え、神の生命と神の愛が注がれる場所に留まるなら、全ての生き物はその人を除いては神との関係を築く事ができなくなります。
したがって、ある存在が神を通じて真実を持ち、神を通じて生命を持ち、神を通じて愛を持つ中心に立つと、彼は全ての生き物の希望の中心であり、神の望まれる希望の核心の存在となり、全ての生き物はその中心の存在から離れなくなります。
この基準から神の真理を語るならば、神の実在の生命を証明でき、実在の神の愛を示す事ができ、実在の神の真理を表現する事ができます。この意味で、イエス・キリストが「私は道であり、真理であり、生命である」と言われたのです。
神はあなたの望む天国を実現する中心的な存在を設けるために歴史を進めてこられました。ですから神によってこの地に立てられるその方は、まず神の真理、生命、愛を受け入れるでしょう。そして次に、愛、生命、真理の実体として立つ事になります。このように神の愛と真理と生命を中心にした人間の基準を完成させるために、神は長い歴史を経てきました。
もしも皆さんが体と心が一体となった実体として神の代理として現れるそのような中心的な存在になれなければ、皆さんは神が築こうとしている天国とは何の関係も持たなくなります。そして、この地の諸民族が望む天国、生き物が望む天国は決して築かれる事はありませんという事を皆さんは理解するべきです。
今日、私達は多くの真理が存在し、多くの生命が存在し、多くの愛が存在するかのような、つまりこれもあれもが同じようで、混乱の時代を生きています。それでは、このような時代に生きる私達はどのようにすべきでしょうか?
今、皆さんは自分自身を全ての生き物の前に晒す時が来たのです。それを晒す前には本性を回復し、成長させる事はできません。皆さんの心の中に悪の要素があるならば、今が実を結ぶ時であり、その悪の要素をそのまま晒し、取り除かなければなりません。その時から新しい出発が始まるのです。そして善の要素があるならば、それを通じて神との関係を築きながら、本性を成長させるためにますますその善の要素を追求し続ける必要があります。それをするためには努力が必要です。
しかし、時が終わりに近づくにつれて、私達人間は探したいものが増えます。つまり、地上のすべてを知りたい、所有したい、すべてを成し遂げたいという欲望が自然と増えるのは、認知が発達し、理性と知恵が高まるためです。
このような状況に直面した私達は、まずすべての人を尊重する人になるべきです。その後、本性の心を持ち、自分自身が地上のどんなものとも交換できない尊い実体であり、すべての生き物と交わりながら自己満足できるようになるべきです。このような心を持つ者こそ、イエスが望まれた復活した人であり、天国の住民と言えます。
終末に立つ私達、審判の日を前にする私達にとって、問題となるのは私達の実績や栄光、理想ではなく、心を中心にして真の自己を見つける事が問題です。
いつか内面の真理は必ず現れ、内面の生命と愛も必ずこの地に現れるでしょう。しかし、人間はこれまで、真実の真理、真の生命、真の愛を区別する事ができない無知な存在である事を知る時が来たとき、他の方法がないので、自分の持っている知識の枠組みで探そうとし、自分の持っている生命の感覚で感じようとし、自分の持っている愛で評価しようとしてきましたが、区別できなかったのです。
同様に、終末に真の真理、生命、愛がこの地に現れても、人々はそれを見分ける事はできません。あなた方は、知識を追求する前に、まず本質を理解するための努力をする事を知るべきです。
そのため、終末に立つあなた方は、頭に油を注ぎ、密室に入り、世俗的な関係と結びつきを断ち切り、心で神と結びつかなければならず、生死の判定を下し、真理の灯りを照らして、「愛の行進を続けるため、すべてを私の永遠の生命、真理の中心、愛の中心として立てた。」と神に誠実に告げる、神の子供にならなければなりません。そうでなければ、天国は私達と関係を結ぼうとする事はできません。これは天の法則がそのようになっているためです。
電流が極から極へ流れると思っているかもしれませんが、実際には極から極へ流れています。天地の本質がそのようになっているため、万物も神に向かって進み、神と結びつくようになっています。したがって、神と人間の断絶されたつながりも、神の側から最初に続けていただけないのです。それゆえに神は私達を迂回して私達を押し進める立場に立たれたのです。
イエスと聖霊が働いており、いますが、あなた方の前に来て引っ張る役割は果たせません。押し進む愛をしており、その愛を受け入れる必要があります。これは見えないため、人々はよく理解していない事です。
現在は終末が近づいている時であるとしても、焦らずに心を落ち着かせるべきです。その時、どれほど生活条件が良く、他の人に嫉妬する事がないほど繁栄している立場にあっても、それに反比例して心の苦しみが増大する事を理解すべきです。
では、終末が近づいている今、どのようにすべきでしょうか?宇宙の中心が現れるとき、あなた方はその到来に備える心の準備をしなければなりません。つまり、宇宙の中心であり、基点であるキリストをあなた方の心に受け入れなければなりません。
あなた方がキリストを実際に心に受け入れると、キリストの内部で感じる気持ちは永遠の命の柱となり、永遠の真理の礎となり、愛の旗を掲げる拠点となります。真理の中心は他の場所にあるのではなく、私達の心の中にあるものです。
あなた方の中で主の心を持ちたいと思う人はいますか?十年にわたる負担を一瞬で捨て、一生をかけて築いたすべての努力を一瞬で放棄できる覚悟がある人なら、終末の審判の恐れを乗り越える事ができるでしょう。私達の師も他の場所にいるのではありません。天国も別の場所にありません。私達の心が真理の師です。イエス・キリストよりも近いのは私達自身の心である事を理解しなければなりません。
たとえ私達に何もなかったとしても、宇宙の神秘と歴史的な伝統を代わりに真理を持って生きるとき、神は私達の心に宿り、喜ばれ、私達も喜びます。私達はその真理を持つために努力しなければなりません。そうでなければ、神を礼拝できないでしょう。神の視点から宇宙のすべてを捉えると、宇宙の生命、真理、そして愛を感じる事ができるでしょう。この事実に気づくと、あなたはその位置から真理の究極の内容を理解し、生命の本質を理解し、愛の理想的な刺激を感じる事ができるでしょう。
そして、私達がイエス・キリストから受けた福音、イエス・キリストが教えた真理、イエス・キリストの生命の要素を確実な心の基盤として受け入れると、どんな宇宙的な邪悪な要素が侵入しようとも、それを排除する事ができるでしょう。そうできれば、私達にはため息や苦しみが問題になりません。また、私達自身にため息や苦しみが残っていても、私達はそれらを克服できるでしょう。
神の生命と神の愛を排除できるものはこの地上には何もありません。そして、私達が真理に近づくほど、真理に没頭するほど、その真理はますます取り戻す事のできない中心になるでしょう。何度も混乱する地であっても、宇宙が突如として破壊されようとも、そのような中心を確立した人は絶対に変わる事はなく、動揺する事もないでしょう。
しかし、あなたがそのような中心を心に受け入れる準備ができていない場合、どんなに真理が現れてもそれを知らず、真の生命が現れてもそれを知らず、真の愛が現れてもそれを知らなくなるでしょう。この観点から見ると、今日のキリスト教が真理、真の生命、そして真の愛を追求するなら、最後まで自己を捨て去り、誰も奪う事のできない心の中心を確立する宗教でなければならない事がわかります。
これまで地球は新しい大陸が発見されてますます広がっていると思われていましたが、逆に日が経つにつれて狭く感じられています。言い換えれば、文明が発展していない時代には世界は広く感じられましたが、歴史が進行し文明が発展するにつれて、世界はますます狭く感じられるという事です。こうした事象を見ると、真実の歴史を経て成し遂げられる理想的な世界は、すべてが直接的な関係を持つ宇宙的な時代である事がわかります。したがって、あなたの心に結実しなければならない天国の基準、すなわち天国の生命と天国の愛は、あなた自身から結実しなければなりません。
真理と生命と愛は同じ家庭のようなものであるため、真理には必ず愛と生命が伴うべきであり、愛にも生命と真理が伴うべきです。生命を見つめるときも同様です。そこにも愛と真理が伴うべきです。
真理と生命と愛がなぜこれほど結びついているのか?皆さんが知っているように、存在するためには必ずしも中心を持ち、上下、前後、左右がある必要があります。存在するものは、何であれ、これらの3つの領域から逃れる事はできません。
これが存在の基本的な形です。このように3つの要素が結合して統一的な形を成していますが、力が逆順に進行すると本来とは異なる力の作用が現れるのです。したがって、もともとは愛と生命と真理の一神であるにもかかわらず、堕落した後、人間が愛と生命と真理がバランスの取れた三角形を形成できない場合、神は調和を実現できなかったという事です。これを理解する必要があります。
しかし、アブラハムを選んで3つのポイントが連結し、すなわち3つのポイントが一直線の形を取る事により、神が立つための基準が設けられました。そして、イエスと聖霊が愛と生命と真理を代わりに表すとき、その基準は方向性を持って地上とより近くなる事ができました。
言い換えれば、直線上に滞在しているときは遠くにいるが、曲線を形成すると距離が近づくという事です。この意味で、イエスと聖霊は神と人を結ぶ橋の役割を果たしているのです。
天国への回帰運動での重要な点は何か?それは神の恩寵に直接触れられなかった人々が、イエスが来られる事によって神と人の直線的な関係が曲がり、神の恩寵に触れる事ができるようになった事実です。
そして、イエスは私達に神が遂行できる実質的な内容を持たせ、人々を神と一体化し、神の外的な作用体となる事ができるようにしました。これを実現するために来られたのがイエスです。この事を考えると、遠くの場所から天国の理念を見る必要がある人々にとって、前後、左右、どこにでも近くにいるイエスと聖霊の愛は宇宙的な福音であるに違いありません。
誰もが宇宙の中で最も貴重な力を抱えるようになると、宇宙の原則に従って宇宙の力と調和できる生命の力がその人に訪れるものです。そうして、その希望的な生命体として、四方向をつなげる愛の感覚を感じる事ができるようになります。愛は互いを調和させ、統合体を形成する作用をもたらします。
したがって、これまで真理の神として現れていた聖霊、生命の神として現れていたイエス、そして愛の神として示されていた神を遠くから見てきましたが、今後は私達の心に受け入れなければなりません。それでは、どのようにして聖霊とイエスと神を私達の心に受け入れる事ができるでしょうか。これが問題です。
神とイエスと聖霊をあなたの心に受け入れるには、自己中心的な頑固さを捨てなければなりません。あなたはこれまでに自己中心的な頑固さを持つ傾向が多かったかもしれません。これがあなたの敵です。あなたはこれを悔い改める必要があります。今日まで、人々は敵が外にいると考えてきましたが、最大の敵はあなた自身であり、あなたの家族です。
私達はどのみち私達に与えられた運命の道を歩まなければならないため、私達は自己中心を超えて環境を通じて国や世界を越えて天国とのつながりを築かなければなりません。私達はこの道を生きて歩むべきであり、それができない場合でも死ぬべきです。何百万年かかっても、私達は運命の目的を達成するために進むべきです。
このような運命からどのように逃れる事ができるでしょうか?この地上で、私達は責任を果たさなければなりません。そして、あなたの中にはまだ何らかの悪意、嫉妬、妬みが残っていますか?それらが残っている場合、自身の罪を決して贖う事はできず、そのような運命から逃れる事はできません。それでは、イエス・キリストは30年以上の間、何をしていたのでしょうか?木工師の家庭で育ちながら、初期の段階で言葉のない生活を送ったイエス・キリストでした。彼は何の闘いを繰り広げたのでしょうか?イエスはマリアの家庭でヨセフを助け、その家計を支える生活的な戦いをしましたが、これは生計のための戦いではなく、自己内部で自己を完成させるための戦いでした。ヨハネの福音書を見ると、イエス・キリストは人の意志によって遣わされたのではなく、神の意志に従って遣わされた事が分かります。
今、復活しようとするあなたに対抗する敵であるサタンを防ぐ武器を持っていますか?これは重要な課題です。しかし、あなた自身ではそのサタンを防ぐ事はできません。あなた自身は無力なので、常に危機にさらされる事になります。
そんなあなたが今、どのようにして敵の侵略を防ぐ事ができるでしょうか?イエスと聖霊を通じて、敵の侵略を防ぐ事ができます。イエスと聖霊はあなたを支援するだけでなく、あなたが独立を望んでいる事を望んでいます。そして、イエスと聖霊はあなたを通じて天と地を結びつける事を願っており、今日の人々がそれを実現できない事に悲しんでいます。
すべてが統一されると、宇宙全体が人間を中心にし、前後、左右、上下の関係を築く事ができ、人間を解放する事ができるでしょう。しかし、人間がこれを達成しないために、天敵の敵意は現在も天と地に満ち溢れているのです。あなたが感じるべきものがあるなら、それは天敵の敵意です。そして、あなたはそのような敵意を解消するために罪と闘わなければならないのです。すべてを捨てなければならない時が来るでしょう、それが終わりです。
そのような終わりに神の意志はどのように現れ、神の真理、愛、生命はどこに現れるでしょうか?それはすべての人間の希望であり、中心を求めるべき場所です。したがって、あなたがその場所を知らない場合、心を立て直し、磨きながら準備しなければなりません。そのように準備を進めていると、その場所に行こうとしなくても、いつかは自然とその場所に行く事ができるようになるでしょう。
それでは、何が真実で、何が偽りなのかをどのように見分ける事ができるでしょうか?その際、神も真実と偽りを教えてくれません。神が何かを真実と教えた後は、その逆を偽りと教えてくださる必要があります。したがって、人間自身が見分け、自身で決定し、自身で探し求めなければなりません。そのために、あなたは知恵のある五人の賢い乙女が主を迎える準備をし、十九節における聖書の言葉の意味を学ばなければならないでしょう。
しかし、あなたがまだそのような心の準備をしていない場合、真理の中心がこの地に現れ、すべてを捨てるように求められるとき、真心以外のすべてを捨てる準備ができていなければなりません。そのような一つの中心を築き、その上に天国を探し求める事が必要です。
しかし、真理を見つけたいと思うなら、どんな言葉でも聞いてはいけません。真実の言葉だけを聞くべきです。それでは、どのような言葉が真実の言葉でしょうか?誰が聞いても、自分自身でも気づかないうちに悔い改めの心が生じ、自分自身でも気づかないうちにその言葉に引き寄せられ、その言葉を消そうとしても消せない言葉があれば、それが真実の言葉です。それが天人の本性に基づく真理の言葉なのです。
あなたがイエス・キリストの言葉を聞くとき、その言葉を天人を代表する真理の言葉と信じ、心の奥に深く刻む事ができるようになるべきです。その言葉はあなたにとって生命の言葉となるからです。しかし、その言葉を聞くと、時には生命の言葉として受け入れられ、時には信じ難い言葉として考えられる事もあるでしょう。
したがって、終わりには本質的な心で宇宙的な真理、宇宙的な生命、宇宙的な愛の中心に立たなければなりません。この完全な中心がまさにイエス・キリストでした。
一つの中心があれば、その中心を中心にして回っている相対的な存在が必ず存在します。陽子を中心に電子が回っているのと同じように、神と人との関係も同じです。私達人間の心は電子のように神の心の中心と関係を持ち、それに作用しているため、神は人間に対して回復の秩序を行う事ができるのです。
こうした事を考えると、私達が一人で真理の言葉を探求するなら、そこで神の生命が活動し、神の愛が動いている事を感じ、真理の道を通じて神の生命と愛を探求する道が、自己の価値となり得る道である事がわかります。
パウロの言ったように、私達が内なる神の愛によって世界の光になる事も、真理が永遠に変わらない中心を持っているためです。
では、私達はこの邪悪な世界でどのようにして善悪を判断し、真理を追求すべきでしょうか?自己を中心におく心を捨て、常に謙虚にならなければなりません。聖書でも、高ぶる者は自己を低くするべきだと言っています。人間の本質は霊的なものです。
そのため、天国に行くと、人間の本質が他者のために存在するようになっている事をより実感するでしょう。しかし、なぜ人間は自己中心的な心ですべてに取り組んでいるのでしょうか?これはすべての人間が天人を裏切った堕落した天使、言い換えればサタンとの血縁関係を持っているからです。
したがって、私達は神の本質を失い、望まないサタン的な本性が私達を支配するようになったのです。しかし、私達は謙虚な心を持ってすべてに臨むべきです。もし天的な高貴な品性を持つ人間が、低い品性の者に支配されようとすれば、彼は滅びる事になります。彼は自分が持っているものすべてを奪われる事になります。したがって、聖書では終末には持たざる者から取り上げられ、持っている者に与えられると言われています。
終末は高慢な人々が増え、自己中心的な世界観を持つ人々が増える時期です。真実が現れる前に偽りが現れるでしょう。堕落した世界では、歴史的な事実として偽りが真実のように現れる事がありました。また、宇宙的な統一の理念が現れる前に、世界を混乱させるさまざまな形の偽りの真理が多く現れるでしょう。
そして、統一的な生命運動が起こる前に、さまざまな形の偽の生命運動が行われ、真の愛の運動が始まる前に偽の愛の運動が行われるでしょう。
歴史の流れを見ると、理性哲学が登場した後に生命哲学が登場しました。将来的には愛の哲学も登場するでしょう。それでは愛の哲学の基準は何でしょうか?人間か、真実か?人間は今後、この種の問題を悩む事になるでしょう。
しかし、私達はこの哲学を知らなくても、誠実な心と生きた心を持って他人の事情を理解できれば、どんな人でも愛する事ができ、その人の心に共感する余裕を持つ事ができます。したがって、あなたは悪い人であっても、良い人であっても、他人の事情を理解できる人になるべきです。
神はどのような方かと言うと、すべての人の内面をよく理解しておられる方です。そのため、悪い人であっても許して下さいます。あなたはこれを知る必要があります。あなたもこの内面的な基準に到達すれば、すべての人と親しくなる事ができます。つまり、悪人であっても、その人の事情があなたの心に映し出されると、その人を理解するようになるという事です。
神の全体的な本質を模倣するために、私達の体と心はこの地球上の誰とも調和できる必要があります。もし数人とも調和できない場合、私達は天と地の非難を受ける事になるでしょう。
では、イエス・キリストはどのような方でしょうか? イエスはこの地、この堕落した世界にイーストをもたらした方です。イーストとは何でしょうか? 聖書の言葉を通じて多くの情報を知っているでしょうが、イーストは調和し変容させるための素材です。そして、ここでイエスがイーストとして来られたと言う事は、イエスが堕落した人々を本来の人間性に変える使命をもって来られた事を意味します。
私達が他の人と調和できない心を持っている場合、私達はその心を動かして、すべての人に完全に一致する私達の心を修行しなければなりません。そうしないと、サタンは終末に私達を審判台に立て、「あなたはこんな欠点があるのではないか?」と言って、そこでできなかった事を非難するでしょう。
この目標を達成するまで、私達は真の自由を楽しむ事もできず、他のどんな希望も実現できません。したがって、人々は堕落性をすべて清算し、すべてを捧げる事によって、宇宙の神秘と通じる事ができる愛と善の本質と要素を備え、神と心の一致を実現し、愛と善の要素を一つの心の中で作用させるための瞬間を待ち望んでいます。言い換えれば、自分の生涯で愛の理想を完成させ、真実の前に人格の完成者となる事を願っているのです。
現代の人々は一般的にこの広大な宇宙を支配しようとしていますが、それは自己破壊を招く事です。それゆえに私は古くから、「宇宙を支配しようとする前に自己を完璧にしろ」というスローガンを私の生活の指針としてきました。実際、キリスト教の信者にとって、このスローガンは何よりも重要です。
このような内容を備え、宇宙を支配できる性格を持つ聖徒が存在するとき、つまり宇宙を支配できる支配力を持つようになるとき、初めて神が踏み越えて進む事のできるショートカットが確立される事になります。この基準を完成させると、初めて創造本来の価値を持っていると見なす事ができます。そのため、イエスは「全世界を得ても、自分の命を失ったなら、何の益になるでしょうか?」と述べました。今日、これらの価値を持つ真の人が登場しなければならない歴史的な時期である事を忘れてはなりません。
その人がこうであるから、私もこうできるという考えを持たず、あなた方はイエス以上の条件を設定できなければなりません。また、天と地の支配権を持っていても、意志のためにはそれを一瞬で放棄できなければなりません。それが一見捨てる事にしか見えないかもしれませんが、実際にはすべてを見つける事ができ、より大きなものを得る事です。
私達に侵入してくる敵は、私達が真実を理解しないようにし、生命と愛に向かう道を塞いでいます。しかし、そのような敵は他の場所にいるのではなく、あなた方自身に存在しています。したがって、何か誤った事があっても、他人を非難する前に、あなた方自身がその事を起こしたのは自分の過失だと考え、自己責任を取ろうと努力すべきです。
あなた自身に不平があっても、それを自分で解決しようとしなければなりません。そして、あなたが家庭だけでなく国の悲嘆にも対処しようとする意志を持たなければなりません。私達の国の苦難を自分の問題と感じ、涙を流す事ができる人々が、3000万人の国民のうち300万人でもいれば、私達の国は生き残る事でしょう。
私達はこの国がこのようになったのは私の責任だと言えるし、世界中がこのようになったのも私の責任だと言えるべきです。イエスを信じるキリスト教徒の数が1000万を超え、10億を超える全世界の人々がキリスト教徒になる事を願う神の前で、私達は恥じるべき存在である事を認識しなければなりません。私達はこのような神の希望を実現しなければならない場にいる事を自覚しなければなりません。
また、神は宇宙全体を創造しましたが、それらは完成しなかったため、神は彼らから怨みを持っており、栄光を受けないでいる事を知らなければなりません。したがって、あなたは神を受け入れる事ができる性格を持つ神の真の子供とならなければなりません。
このような宇宙的な神の悲しい気持ちを理解し、それから彼の前で頭を下げる牧者と羊飼いになるでしょう。もしもそのような牧者と羊飼いがこの地に現れるなら、彼らを中心に新しい宇宙の歴史が展開されるでしょう。
さらに、天律に代わる真理運動、天律に代わる生命運動、天律に代わる神の愛運動が、彼らを通じて起こるでしょう。今日の韓国の人々の中で、このような真理運動が現れるべきです。私達自身がそのような精神的な基準を持つようになったら、神も無視しないでしょう。このような生活を送った後、他の人を通じて自分の人格と価値を発見しようと努力しなければなりません。
イエス・キリストと聖霊は人類を代表してそのような道を歩んだ人々です。したがって、私達はイエス・キリストと聖霊の意志を手本にし、真の聖徒として生きなければなりません。
そうでなければ、悪の実を結び、サタンとの関係を断つ事はできず、人格を完成させる事もできず、また神はあなたを真の子供として立てる事ができません。皆さん、イエス・キリストはかわいそうな人でした。彼はこの地上で最も幸福な人と見なす事ができます。天国の王子としてこの地に来ましたが、不信心なユダヤ人達によってさまざまな陰謀と苦難を受け、後には十字架にかけられました。
このような事実を考えると、皆さんの心と体が快適な場所にいる事はできません。もしもあなたが心身ともにこのようなイエス・キリストの悲しい状況を感じない場合、イエス・キリストを信じているとは言えないでしょう。
もし、あなたが神の悲しい気持ちを理解できれば、千万年の涙を流しても足りないと感じるでしょう。また、イエス・キリストを失った神の悲しい気持ちを感じれば、一生涙を流しても神の気持ちに達する事はできないでしょう。それだけ私達は神に対して感情的な借金を抱えているのです。
このような感情的な負債を背負ったまま、つまり自分が間違っていながらも「父なる神だから許してくださるだろう」と厚かましい人々が多い事です。神はこのような人々も許し受け入れてくださるかもしれませんが、同時に苦痛を感じる事でしょう。したがって、あなたは自分の誤りを謝罪する前に、自分が恥じるべきであり、謙虚な心を持つべきです。
あなたが神の苦しい気持ちを共感すれば、神は苦しみを忘れ、涙であなたを受け入れてくださるでしょう。また、あなたは希望を持ち、天律の道、真理の道を求めていますが、神はあなたに対して心配しています。そんなあなたには神の愛と命の恵みが注がれるでしょう。もし、あなたがこのような生活をしていない場合、そのような自分を心配するべきです。
皆さん、兄弟や同胞を責めないで下さい。世界や神を責めないで下さい。責めるのであれば、自分を責めて下さい。他人を責める前に、神を責める前に、自分自身を責める必要がある事を皆さんは知るべきです。そのような気持ちを持ったイエス・キリストは、苦難に満ちた30年以上の生涯を経てゴルゴダの丘で十字架を背負う運命にあったが、その立場からも神を責めず、黙って神の意志を遂行する自分の責任を心配する心を持って帰られました。そのため神はイエス・キリストを復活させたのです。
そのような感情はサタンの世界では見つける事ができず、サタンの側からは夢すら見ないレベルの感情であり、それによりイエス・キリストはこの世界の中心となりました。皆さんも同様です。皆さんの信仰の段階でもサタンの世界の誰かよりも優れていなければなりません。内面の感情と精神を比較すると、彼らが追随できないほど高い感情と精神の調和を持たなければなりません。その条件を根拠に、皆さんは復活の力の中に入る事ができます。
イエスは死の谷を越えても、自身の個人的な救いを心配せず、残された宇宙的な責任を自分で負う覚悟を持って進む事を知りました。
イエスは十字架で国のために祈り、死んででも責任を果たす意思を持っていただけでなく、死を超えて神の御心を心配しました。だからこそ、神はそのようなイエスを復活させる事ができたのです。したがって、復活したイエスに対してサタンは嘲笑できなかったのです。皆さんも同じような価値観を持った人格者になれば、サタンに嘲笑される事はありません。
天国の住人は、愛、生命、真理の完成者です。そのような皆さんがなると、宇宙的な真理の中心が現れるとき、皆さんはその真理の中心と自然に一体化できるでしょう。また、光が明るい場所でも暗い場所でも違いなく輝いているように、真理の光も世界中のあらゆる場所を照らし出すでしょう。今日の皆さんは、個々の責任と、皆さんが存在する環境で担当している責任の価値を理解しているかもしれませんが、社会的責任や国家、世界的責任については知らないかもしれません。また、皆さん自身が世界的な使命を帯びている事さえ知らないかもしれません。それならば、天から与えられた使命と責任を持つ人々がなぜ一体になれないのでしょうか?それは自己を中心にし、天律に立ち向かおうとするからです。
そのため、皆さんは謙虚で柔和な心で天律の法に従い、それに従って自分が感銘を受けながら、神が喜ばれる道、神の道を歩む事によって、本質的にはすべての人と調和できるようになるべきです。
皆さんが神だけでなく、すべての人と調和し、すべての人に吸収される本質的な要素を持つ立場に立つと、過去から感じ、知っていたすべての概念から脱却し、真理に到達できるでしょう。
人間の本性には神の愛、命、真理が存在しています。そのため、自分の愛と真理に対立する愛、命、真理の内外の形態を持つ中心存在が現れると、自動的に彼と調和する事になります。その理由は、人間が相対的に創造されたからです。本性が追求する希望の真理、つまり永遠で変わらず、唯一の理念にふさわしい自分の心と体として、自分自身を超えて宇宙と関係を築けるからです。なぜなら、自分自身も創造の理念に相対的に反応し、喜びをもたらすようにされているからです。
そのため、私達が「ありがとう」と言える環境、つまり自分自身を中心にし、理想的な世界を構築すると、私達の喜びはすぐに天国の喜びとなり、天国の喜びは私達の喜びとなり、永遠の神と交流できる関係が築かれる事になります。そのような永遠不変の愛、命、真理の中心として、神の子として、全体を代表して歌える皆さんがいなければ、皆さん自身を通じて宇宙を主宰するために存在している天国の理念を実現する事はできないという事を知るべきです。
しかし、そのような存在になると、最終的にはどうなるでしょうか?まず第一に、イエス様に対応するのと同じ立場から、皆さんも神様に対応できるでしょう。第二に、イエス様と聖霊の立場から家族を愛する事ができ、第三に、神様がイエス様を愛されたように、皆さんもすべての人々と愛を共有できるようになるでしょう。そして、真理と命と愛の存在になると、神様を代わりに考え行動できるようになります。皆さんがそのような存在になると、個人を中心に見た場合、上下にあるのと同じように、上下にある宇宙と世界、国、社会、家庭が皆さんを中心にし、自動的につながるでしょう。
このような真理、生命、愛の中心的存在になると、これまで悪者とされていた人々さえも許す事ができ、すべての年長者は自分の親と同じように感じ、すべての同年代の人々は自分の兄弟と同じように、すべての若者は自分の子供と同じように考える事ができます。
つまり、皆さんが宇宙的な天国の理念を代わりにできる存在になり、神様の愛、命、真理の運動を展開するならば、平和の世界がこの地に築かれるでしょう。そのため、自分の親だけが親でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でない事を意味します。
皆さんがすべての人を自分の親、兄弟、子供として見る事ができる人格を持つようになれば、死者の世界で苦しむ人々を見る際、涙なしには対処できなくなり、兄弟や若者を見る際にも、彼らを救おうとする責任感を持って涙を流すようになるでしょう。本当にそのような存在になるなら、そのような存在を中心にしてこの地に天国が築かれるでしょう。
皆様にお伝えしたい言葉のタイトルは「天国の鍵を私達は持たなければならない」です。今回、このタイトルで皆様にお話しいたします。
この地上の人々はこれまでに天国を望んできました。歴史の進行に従って、人々は環境的にも世界的にも、あらゆる面で天国の理想がこの地で実現する事を望んで生きてきました。また、神も天国が成就する事を望んで計画し、出てこられました。したがって、私達が実現すべき天国は神の望みであり、同時に人間の望みの中心でもあり、すべての被造物の望みの中心でもある事を理解しなければなりません。
しかし、永遠の理想である天国の中心であり、永遠の希望の中心であるのにもかかわらず、私達はむしろ自分達を嘆かなければならない立場にいます。
このように、私達と天国との距離が遠くなるほど、私達は天国に反対する邪悪な要素に浸る事になり、善の理念を尊敬しても、その理念は私達と関わる事ができなくなり、愛の本質を尊敬しても、私達はその本質と関係を持つ事ができなくなります。さらに、こうなると善を行おうとする願望が熱心であっても、天国との関係を持つ事ができなくなります。
このように、天国は神を中心とした世界であり、私達は天国を築くためには神との結びつきを持つ必要があります。また、神も全ての世界と調和できる天国の理念を達成するために計画しており、それには人間との関係も必要です。
しかし、私達が希望する天国は遠く、私達が住んでいる世界は罪と邪悪の世界であり、私達は神との関係を持ちたいと願っても、その能力を持っていません。
しかし、私達が神との関係を持ち、天国が実現する事を望むなら、天国と私達の結びつきは切り離す事のできない運命的なものであり、私達の時代や場所に限定されたものではなく、永遠のものです。人々が常にそのような天国の理念と理想を感じている事から、神を中心にし、永遠の天国がすでに私達との結びつきを持っていた事が分かります。
イエス・キリストがこの地に来て30年以上にわたり、涙を流しながら苦難の道を歩みながら語りかけた目的は何でしょうか?それはまず、人々に神との結びつきを回復させるためであり、次には人々に天国を紹介するためでした。
イエス・キリストは天国を紹介する際、真実としてその言葉を伝えました。つまり、真実として天国を紹介しようとしていました。神は、人間と永遠に変わらない結びつきを持つための言葉、この地に天国の理念を築くための言葉を、イエス・キリストを通じて人々に授けました。真実を通じて神と人間の関係を回復し、真実を人々に示すためにやって来たのです。したがって、神と人間の関係を築くために来られ、真実の言葉を宣言し始めたイエス・キリストは、神と人間、そしてすべての生き物が望む天国を築くために真実の言葉を宣言し始めたのです。
しかし、イエス・キリストは神と人間の結びつきを回復するために真実を宣言しても、真実と結びつくべきイスラエルの民はイエス・キリストを信じなかったため、イエス・キリストの宣言の目的は達成されなかったのです。これからも、イエス・キリストが宣言した真実の言葉が100%人々に伝わらなかった事が分かります。それは当時の人々がイエス・キリストを信じなかったため、イエス・キリストは彼らに真実を比喩や象徴的に、または含みのある形で紹介するしかなかったからです。したがって、この地に住む多くの人々は、歴史の進行に従って隠された真理の扉を見つけ出すために多くの知識を駆使してきたのです。
今や歴史の終末が近づいており、人々が内外から探し出してきた霊的なものと真理が出会う時が来るでしょう。また、多くの人々がイエス・キリストを信じる真の信者となり、イエス・キリストの心に隠されていた真理も完全に紹介されるでしょう。
したがって、天に向かって進む皆さんは、現在どの道に進んでいるのでしょうか?これまで外部の真理と内部の真理は異なる方向から確立されてきましたが、今はこれらの真理が一つの焦点を中心に一体化できる時です。このように、真理を中心にした神の計画は、歴史の進展に合わせて補完されてきたのです。
では、これまで人々が望んできた再創造の歴史が完結すると、何が起こるのでしょうか?まず、全ての生き物と人間が望む天国の理想を実現できる宇宙的な結びつきを持つ真理の中心が現れます。そして、その中心を持って天国が建設されるのです。もしもそのような真理の中心が現れない場合、神の全体的な天国の理念は実現されないでしょう。
その後、真理の中心による真理の運動が起こり、真理が発見されると、どのような運動が起こるでしょうか?それは生命の運動です。この生命の運動は、生命を中心に据えた統一の歴史として、一つの天国を実現できる天的な力の中心として表れ、このような世界に全ての生き物を導くでしょう。
このように、真の真理が現れた後、統一的な生命の運動が起こり、この運動の後に統一された愛の世界が実現されるでしょう。そうでなければ、私達が望む天国は建設されないでしょう。
では、私達が望むその希望の天国はどのような世界でしょうか?その世界は神が楽しむ事ができる場所であり、イエス・キリストと聖霊が楽しむ事ができる場所であり、無数の聖徒が楽しむ事ができる場所です。同時に、すべての生き物が調和する事ができる場所です。それゆえ、その場所は愛を中心にし、調和する世界であり、生命を中心にし、調和する世界であり、真理を中心にし、調和する世界なのです。これを理解する必要があります。
したがって、神はそのような天国を建設するために最初に人間を通じて起こした運動は何でしょうか?それは真理の回帰運動、すなわち言葉を通じた真理の回帰運動でした。言葉を通じて真理の回帰運動が起こる必要があるのは、言葉を通じてのみ生命の歴史が進行し、生命を通じてのみ愛の運動が現れるからです。
アダムとイブが堕落したときも、言葉を信じなかったために堕落しました。言葉を信じなかったために、言葉の根源である生命と、生命の根源である神の愛を失ったのです。これがアダムとイブが誤った事です。したがって、アダムとイブが犯した誤りを宇宙的に、また全体的に清算しない限り、私達が望む天国、私達が求める理想郷は見つける事ができません。
このような目標を達成するために、長い年月をかけて父、子、聖霊が行動してきました。この三位一体の神のうち、聖霊は人々を真理に導くために行動しています。それゆえ、聖書に「真理の霊が来ると、彼はあなた方を真理のあらゆる点に導くでしょう...」(ヨハネ16:13)と書かれています。このように、聖霊は真理の使命を担当し、行動しています。
聖人イエスはどのような使命を担当していますか?それは生命の主人公として行動しています。そのため、「私は道であり、真理であり、命である。わたしを通じて来ない者は、父のもとに行く事はできません。」(ヨハネ14:6)と言われています。
イエス・キリストはこのような生命の目的を設けるために現れました。では、私達が真理を通じて生命を見つけるために最終的に見つけなければならないものは何でしょうか?それは愛です。私達は聖霊の愛、キリストの愛、そして神の愛に到達しなければなりません。この観点から、三位一体の性格を象徴的に表現すると、父は愛、子は生命、聖霊は真理で表現できるでしょう。
したがって、イエス・キリストが「あなた達は私を誰だと思いますか?」と尋ねたとき、ペテロは「あなたはキリスト、生ける神の子です」と答えました(マタイ16:16)。ペテロのこの答えは、イエス・キリストの真の性格の実在性についての発言であり、それはキリストとして油注がれた方、生ける神としての方、肉体と心を持つ実在体であるという言葉です。
ペテロがイエス・キリストを生ける神の子と述べた事から、私達はペテロがイエス・キリストの内面の気持ちだけでなく、神の全体的な内面の気持ちを知り、神の律法を通じて判断の基準を持つ事ができる事がわかります。したがって、イエス・キリストはこのようなペテロに天国の鍵を託したのです。神と人間と全ての生き物を象徴的に表現すると、神は愛、人間は生命、そして全ての生き物は真理で表現できます。
では、真理の鍵を持つ私達はどのように真実を見つけるべきでしょうか? 何よりも、イエス・キリストと聖霊、神の心に合致する真理の鍵を持つ必要があります。この鍵を持たなければ、肉体の成長はできません。また、真理の中で聖霊との関係を築く事はできません。
今まで信者達が真実を見つけるために苦闘してきた目的は何だったのでしょうか?それは天国の鍵を見つける事でした。そのためにはまず、真実の鍵を見つけなければならない事を理解する必要があります。今日、この世には多くの真理があるように思われますが、天国の真理の扉を開く事ができる真実の鍵を持つ真実はありません。
もしもこのような真理を持つ人がいるのであれば、この真理を知る者には自然に神の愛が注がれるでしょう。そして、私達の中で誰かが神の真理を中心に据え、神の生命と神の愛が注がれる場所に留まるなら、全ての生き物はその人を除いては神との関係を築く事ができなくなります。
したがって、ある存在が神を通じて真実を持ち、神を通じて生命を持ち、神を通じて愛を持つ中心に立つと、彼は全ての生き物の希望の中心であり、神の望まれる希望の核心の存在となり、全ての生き物はその中心の存在から離れなくなります。
この基準から神の真理を語るならば、神の実在の生命を証明でき、実在の神の愛を示す事ができ、実在の神の真理を表現する事ができます。この意味で、イエス・キリストが「私は道であり、真理であり、生命である」と言われたのです。
神はあなたの望む天国を実現する中心的な存在を設けるために歴史を進めてこられました。ですから神によってこの地に立てられるその方は、まず神の真理、生命、愛を受け入れるでしょう。そして次に、愛、生命、真理の実体として立つ事になります。このように神の愛と真理と生命を中心にした人間の基準を完成させるために、神は長い歴史を経てきました。
もしも皆さんが体と心が一体となった実体として神の代理として現れるそのような中心的な存在になれなければ、皆さんは神が築こうとしている天国とは何の関係も持たなくなります。そして、この地の諸民族が望む天国、生き物が望む天国は決して築かれる事はありませんという事を皆さんは理解するべきです。
今日、私達は多くの真理が存在し、多くの生命が存在し、多くの愛が存在するかのような、つまりこれもあれもが同じようで、混乱の時代を生きています。それでは、このような時代に生きる私達はどのようにすべきでしょうか?
今、皆さんは自分自身を全ての生き物の前に晒す時が来たのです。それを晒す前には本性を回復し、成長させる事はできません。皆さんの心の中に悪の要素があるならば、今が実を結ぶ時であり、その悪の要素をそのまま晒し、取り除かなければなりません。その時から新しい出発が始まるのです。そして善の要素があるならば、それを通じて神との関係を築きながら、本性を成長させるためにますますその善の要素を追求し続ける必要があります。それをするためには努力が必要です。
しかし、時が終わりに近づくにつれて、私達人間は探したいものが増えます。つまり、地上のすべてを知りたい、所有したい、すべてを成し遂げたいという欲望が自然と増えるのは、認知が発達し、理性と知恵が高まるためです。
このような状況に直面した私達は、まずすべての人を尊重する人になるべきです。その後、本性の心を持ち、自分自身が地上のどんなものとも交換できない尊い実体であり、すべての生き物と交わりながら自己満足できるようになるべきです。このような心を持つ者こそ、イエスが望まれた復活した人であり、天国の住民と言えます。
終末に立つ私達、審判の日を前にする私達にとって、問題となるのは私達の実績や栄光、理想ではなく、心を中心にして真の自己を見つける事が問題です。
いつか内面の真理は必ず現れ、内面の生命と愛も必ずこの地に現れるでしょう。しかし、人間はこれまで、真実の真理、真の生命、真の愛を区別する事ができない無知な存在である事を知る時が来たとき、他の方法がないので、自分の持っている知識の枠組みで探そうとし、自分の持っている生命の感覚で感じようとし、自分の持っている愛で評価しようとしてきましたが、区別できなかったのです。
同様に、終末に真の真理、生命、愛がこの地に現れても、人々はそれを見分ける事はできません。あなた方は、知識を追求する前に、まず本質を理解するための努力をする事を知るべきです。
そのため、終末に立つあなた方は、頭に油を注ぎ、密室に入り、世俗的な関係と結びつきを断ち切り、心で神と結びつかなければならず、生死の判定を下し、真理の灯りを照らして、「愛の行進を続けるため、すべてを私の永遠の生命、真理の中心、愛の中心として立てた。」と神に誠実に告げる、神の子供にならなければなりません。そうでなければ、天国は私達と関係を結ぼうとする事はできません。これは天の法則がそのようになっているためです。
電流が極から極へ流れると思っているかもしれませんが、実際には極から極へ流れています。天地の本質がそのようになっているため、万物も神に向かって進み、神と結びつくようになっています。したがって、神と人間の断絶されたつながりも、神の側から最初に続けていただけないのです。それゆえに神は私達を迂回して私達を押し進める立場に立たれたのです。
イエスと聖霊が働いており、いますが、あなた方の前に来て引っ張る役割は果たせません。押し進む愛をしており、その愛を受け入れる必要があります。これは見えないため、人々はよく理解していない事です。
現在は終末が近づいている時であるとしても、焦らずに心を落ち着かせるべきです。その時、どれほど生活条件が良く、他の人に嫉妬する事がないほど繁栄している立場にあっても、それに反比例して心の苦しみが増大する事を理解すべきです。
では、終末が近づいている今、どのようにすべきでしょうか?宇宙の中心が現れるとき、あなた方はその到来に備える心の準備をしなければなりません。つまり、宇宙の中心であり、基点であるキリストをあなた方の心に受け入れなければなりません。
あなた方がキリストを実際に心に受け入れると、キリストの内部で感じる気持ちは永遠の命の柱となり、永遠の真理の礎となり、愛の旗を掲げる拠点となります。真理の中心は他の場所にあるのではなく、私達の心の中にあるものです。
あなた方の中で主の心を持ちたいと思う人はいますか?十年にわたる負担を一瞬で捨て、一生をかけて築いたすべての努力を一瞬で放棄できる覚悟がある人なら、終末の審判の恐れを乗り越える事ができるでしょう。私達の師も他の場所にいるのではありません。天国も別の場所にありません。私達の心が真理の師です。イエス・キリストよりも近いのは私達自身の心である事を理解しなければなりません。
たとえ私達に何もなかったとしても、宇宙の神秘と歴史的な伝統を代わりに真理を持って生きるとき、神は私達の心に宿り、喜ばれ、私達も喜びます。私達はその真理を持つために努力しなければなりません。そうでなければ、神を礼拝できないでしょう。神の視点から宇宙のすべてを捉えると、宇宙の生命、真理、そして愛を感じる事ができるでしょう。この事実に気づくと、あなたはその位置から真理の究極の内容を理解し、生命の本質を理解し、愛の理想的な刺激を感じる事ができるでしょう。
そして、私達がイエス・キリストから受けた福音、イエス・キリストが教えた真理、イエス・キリストの生命の要素を確実な心の基盤として受け入れると、どんな宇宙的な邪悪な要素が侵入しようとも、それを排除する事ができるでしょう。そうできれば、私達にはため息や苦しみが問題になりません。また、私達自身にため息や苦しみが残っていても、私達はそれらを克服できるでしょう。
神の生命と神の愛を排除できるものはこの地上には何もありません。そして、私達が真理に近づくほど、真理に没頭するほど、その真理はますます取り戻す事のできない中心になるでしょう。何度も混乱する地であっても、宇宙が突如として破壊されようとも、そのような中心を確立した人は絶対に変わる事はなく、動揺する事もないでしょう。
しかし、あなたがそのような中心を心に受け入れる準備ができていない場合、どんなに真理が現れてもそれを知らず、真の生命が現れてもそれを知らず、真の愛が現れてもそれを知らなくなるでしょう。この観点から見ると、今日のキリスト教が真理、真の生命、そして真の愛を追求するなら、最後まで自己を捨て去り、誰も奪う事のできない心の中心を確立する宗教でなければならない事がわかります。
これまで地球は新しい大陸が発見されてますます広がっていると思われていましたが、逆に日が経つにつれて狭く感じられています。言い換えれば、文明が発展していない時代には世界は広く感じられましたが、歴史が進行し文明が発展するにつれて、世界はますます狭く感じられるという事です。こうした事象を見ると、真実の歴史を経て成し遂げられる理想的な世界は、すべてが直接的な関係を持つ宇宙的な時代である事がわかります。したがって、あなたの心に結実しなければならない天国の基準、すなわち天国の生命と天国の愛は、あなた自身から結実しなければなりません。
真理と生命と愛は同じ家庭のようなものであるため、真理には必ず愛と生命が伴うべきであり、愛にも生命と真理が伴うべきです。生命を見つめるときも同様です。そこにも愛と真理が伴うべきです。
真理と生命と愛がなぜこれほど結びついているのか?皆さんが知っているように、存在するためには必ずしも中心を持ち、上下、前後、左右がある必要があります。存在するものは、何であれ、これらの3つの領域から逃れる事はできません。
これが存在の基本的な形です。このように3つの要素が結合して統一的な形を成していますが、力が逆順に進行すると本来とは異なる力の作用が現れるのです。したがって、もともとは愛と生命と真理の一神であるにもかかわらず、堕落した後、人間が愛と生命と真理がバランスの取れた三角形を形成できない場合、神は調和を実現できなかったという事です。これを理解する必要があります。
しかし、アブラハムを選んで3つのポイントが連結し、すなわち3つのポイントが一直線の形を取る事により、神が立つための基準が設けられました。そして、イエスと聖霊が愛と生命と真理を代わりに表すとき、その基準は方向性を持って地上とより近くなる事ができました。
言い換えれば、直線上に滞在しているときは遠くにいるが、曲線を形成すると距離が近づくという事です。この意味で、イエスと聖霊は神と人を結ぶ橋の役割を果たしているのです。
天国への回帰運動での重要な点は何か?それは神の恩寵に直接触れられなかった人々が、イエスが来られる事によって神と人の直線的な関係が曲がり、神の恩寵に触れる事ができるようになった事実です。
そして、イエスは私達に神が遂行できる実質的な内容を持たせ、人々を神と一体化し、神の外的な作用体となる事ができるようにしました。これを実現するために来られたのがイエスです。この事を考えると、遠くの場所から天国の理念を見る必要がある人々にとって、前後、左右、どこにでも近くにいるイエスと聖霊の愛は宇宙的な福音であるに違いありません。
誰もが宇宙の中で最も貴重な力を抱えるようになると、宇宙の原則に従って宇宙の力と調和できる生命の力がその人に訪れるものです。そうして、その希望的な生命体として、四方向をつなげる愛の感覚を感じる事ができるようになります。愛は互いを調和させ、統合体を形成する作用をもたらします。
したがって、これまで真理の神として現れていた聖霊、生命の神として現れていたイエス、そして愛の神として示されていた神を遠くから見てきましたが、今後は私達の心に受け入れなければなりません。それでは、どのようにして聖霊とイエスと神を私達の心に受け入れる事ができるでしょうか。これが問題です。
神とイエスと聖霊をあなたの心に受け入れるには、自己中心的な頑固さを捨てなければなりません。あなたはこれまでに自己中心的な頑固さを持つ傾向が多かったかもしれません。これがあなたの敵です。あなたはこれを悔い改める必要があります。今日まで、人々は敵が外にいると考えてきましたが、最大の敵はあなた自身であり、あなたの家族です。
私達はどのみち私達に与えられた運命の道を歩まなければならないため、私達は自己中心を超えて環境を通じて国や世界を越えて天国とのつながりを築かなければなりません。私達はこの道を生きて歩むべきであり、それができない場合でも死ぬべきです。何百万年かかっても、私達は運命の目的を達成するために進むべきです。
このような運命からどのように逃れる事ができるでしょうか?この地上で、私達は責任を果たさなければなりません。そして、あなたの中にはまだ何らかの悪意、嫉妬、妬みが残っていますか?それらが残っている場合、自身の罪を決して贖う事はできず、そのような運命から逃れる事はできません。それでは、イエス・キリストは30年以上の間、何をしていたのでしょうか?木工師の家庭で育ちながら、初期の段階で言葉のない生活を送ったイエス・キリストでした。彼は何の闘いを繰り広げたのでしょうか?イエスはマリアの家庭でヨセフを助け、その家計を支える生活的な戦いをしましたが、これは生計のための戦いではなく、自己内部で自己を完成させるための戦いでした。ヨハネの福音書を見ると、イエス・キリストは人の意志によって遣わされたのではなく、神の意志に従って遣わされた事が分かります。
今、復活しようとするあなたに対抗する敵であるサタンを防ぐ武器を持っていますか?これは重要な課題です。しかし、あなた自身ではそのサタンを防ぐ事はできません。あなた自身は無力なので、常に危機にさらされる事になります。
そんなあなたが今、どのようにして敵の侵略を防ぐ事ができるでしょうか?イエスと聖霊を通じて、敵の侵略を防ぐ事ができます。イエスと聖霊はあなたを支援するだけでなく、あなたが独立を望んでいる事を望んでいます。そして、イエスと聖霊はあなたを通じて天と地を結びつける事を願っており、今日の人々がそれを実現できない事に悲しんでいます。
すべてが統一されると、宇宙全体が人間を中心にし、前後、左右、上下の関係を築く事ができ、人間を解放する事ができるでしょう。しかし、人間がこれを達成しないために、天敵の敵意は現在も天と地に満ち溢れているのです。あなたが感じるべきものがあるなら、それは天敵の敵意です。そして、あなたはそのような敵意を解消するために罪と闘わなければならないのです。すべてを捨てなければならない時が来るでしょう、それが終わりです。
そのような終わりに神の意志はどのように現れ、神の真理、愛、生命はどこに現れるでしょうか?それはすべての人間の希望であり、中心を求めるべき場所です。したがって、あなたがその場所を知らない場合、心を立て直し、磨きながら準備しなければなりません。そのように準備を進めていると、その場所に行こうとしなくても、いつかは自然とその場所に行く事ができるようになるでしょう。
それでは、何が真実で、何が偽りなのかをどのように見分ける事ができるでしょうか?その際、神も真実と偽りを教えてくれません。神が何かを真実と教えた後は、その逆を偽りと教えてくださる必要があります。したがって、人間自身が見分け、自身で決定し、自身で探し求めなければなりません。そのために、あなたは知恵のある五人の賢い乙女が主を迎える準備をし、十九節における聖書の言葉の意味を学ばなければならないでしょう。
しかし、あなたがまだそのような心の準備をしていない場合、真理の中心がこの地に現れ、すべてを捨てるように求められるとき、真心以外のすべてを捨てる準備ができていなければなりません。そのような一つの中心を築き、その上に天国を探し求める事が必要です。
しかし、真理を見つけたいと思うなら、どんな言葉でも聞いてはいけません。真実の言葉だけを聞くべきです。それでは、どのような言葉が真実の言葉でしょうか?誰が聞いても、自分自身でも気づかないうちに悔い改めの心が生じ、自分自身でも気づかないうちにその言葉に引き寄せられ、その言葉を消そうとしても消せない言葉があれば、それが真実の言葉です。それが天人の本性に基づく真理の言葉なのです。
あなたがイエス・キリストの言葉を聞くとき、その言葉を天人を代表する真理の言葉と信じ、心の奥に深く刻む事ができるようになるべきです。その言葉はあなたにとって生命の言葉となるからです。しかし、その言葉を聞くと、時には生命の言葉として受け入れられ、時には信じ難い言葉として考えられる事もあるでしょう。
したがって、終わりには本質的な心で宇宙的な真理、宇宙的な生命、宇宙的な愛の中心に立たなければなりません。この完全な中心がまさにイエス・キリストでした。
一つの中心があれば、その中心を中心にして回っている相対的な存在が必ず存在します。陽子を中心に電子が回っているのと同じように、神と人との関係も同じです。私達人間の心は電子のように神の心の中心と関係を持ち、それに作用しているため、神は人間に対して回復の秩序を行う事ができるのです。
こうした事を考えると、私達が一人で真理の言葉を探求するなら、そこで神の生命が活動し、神の愛が動いている事を感じ、真理の道を通じて神の生命と愛を探求する道が、自己の価値となり得る道である事がわかります。
パウロの言ったように、私達が内なる神の愛によって世界の光になる事も、真理が永遠に変わらない中心を持っているためです。
では、私達はこの邪悪な世界でどのようにして善悪を判断し、真理を追求すべきでしょうか?自己を中心におく心を捨て、常に謙虚にならなければなりません。聖書でも、高ぶる者は自己を低くするべきだと言っています。人間の本質は霊的なものです。
そのため、天国に行くと、人間の本質が他者のために存在するようになっている事をより実感するでしょう。しかし、なぜ人間は自己中心的な心ですべてに取り組んでいるのでしょうか?これはすべての人間が天人を裏切った堕落した天使、言い換えればサタンとの血縁関係を持っているからです。
したがって、私達は神の本質を失い、望まないサタン的な本性が私達を支配するようになったのです。しかし、私達は謙虚な心を持ってすべてに臨むべきです。もし天的な高貴な品性を持つ人間が、低い品性の者に支配されようとすれば、彼は滅びる事になります。彼は自分が持っているものすべてを奪われる事になります。したがって、聖書では終末には持たざる者から取り上げられ、持っている者に与えられると言われています。
終末は高慢な人々が増え、自己中心的な世界観を持つ人々が増える時期です。真実が現れる前に偽りが現れるでしょう。堕落した世界では、歴史的な事実として偽りが真実のように現れる事がありました。また、宇宙的な統一の理念が現れる前に、世界を混乱させるさまざまな形の偽りの真理が多く現れるでしょう。
そして、統一的な生命運動が起こる前に、さまざまな形の偽の生命運動が行われ、真の愛の運動が始まる前に偽の愛の運動が行われるでしょう。
歴史の流れを見ると、理性哲学が登場した後に生命哲学が登場しました。将来的には愛の哲学も登場するでしょう。それでは愛の哲学の基準は何でしょうか?人間か、真実か?人間は今後、この種の問題を悩む事になるでしょう。
しかし、私達はこの哲学を知らなくても、誠実な心と生きた心を持って他人の事情を理解できれば、どんな人でも愛する事ができ、その人の心に共感する余裕を持つ事ができます。したがって、あなたは悪い人であっても、良い人であっても、他人の事情を理解できる人になるべきです。
神はどのような方かと言うと、すべての人の内面をよく理解しておられる方です。そのため、悪い人であっても許して下さいます。あなたはこれを知る必要があります。あなたもこの内面的な基準に到達すれば、すべての人と親しくなる事ができます。つまり、悪人であっても、その人の事情があなたの心に映し出されると、その人を理解するようになるという事です。
神の全体的な本質を模倣するために、私達の体と心はこの地球上の誰とも調和できる必要があります。もし数人とも調和できない場合、私達は天と地の非難を受ける事になるでしょう。
では、イエス・キリストはどのような方でしょうか? イエスはこの地、この堕落した世界にイーストをもたらした方です。イーストとは何でしょうか? 聖書の言葉を通じて多くの情報を知っているでしょうが、イーストは調和し変容させるための素材です。そして、ここでイエスがイーストとして来られたと言う事は、イエスが堕落した人々を本来の人間性に変える使命をもって来られた事を意味します。
私達が他の人と調和できない心を持っている場合、私達はその心を動かして、すべての人に完全に一致する私達の心を修行しなければなりません。そうしないと、サタンは終末に私達を審判台に立て、「あなたはこんな欠点があるのではないか?」と言って、そこでできなかった事を非難するでしょう。
この目標を達成するまで、私達は真の自由を楽しむ事もできず、他のどんな希望も実現できません。したがって、人々は堕落性をすべて清算し、すべてを捧げる事によって、宇宙の神秘と通じる事ができる愛と善の本質と要素を備え、神と心の一致を実現し、愛と善の要素を一つの心の中で作用させるための瞬間を待ち望んでいます。言い換えれば、自分の生涯で愛の理想を完成させ、真実の前に人格の完成者となる事を願っているのです。
現代の人々は一般的にこの広大な宇宙を支配しようとしていますが、それは自己破壊を招く事です。それゆえに私は古くから、「宇宙を支配しようとする前に自己を完璧にしろ」というスローガンを私の生活の指針としてきました。実際、キリスト教の信者にとって、このスローガンは何よりも重要です。
このような内容を備え、宇宙を支配できる性格を持つ聖徒が存在するとき、つまり宇宙を支配できる支配力を持つようになるとき、初めて神が踏み越えて進む事のできるショートカットが確立される事になります。この基準を完成させると、初めて創造本来の価値を持っていると見なす事ができます。そのため、イエスは「全世界を得ても、自分の命を失ったなら、何の益になるでしょうか?」と述べました。今日、これらの価値を持つ真の人が登場しなければならない歴史的な時期である事を忘れてはなりません。
その人がこうであるから、私もこうできるという考えを持たず、あなた方はイエス以上の条件を設定できなければなりません。また、天と地の支配権を持っていても、意志のためにはそれを一瞬で放棄できなければなりません。それが一見捨てる事にしか見えないかもしれませんが、実際にはすべてを見つける事ができ、より大きなものを得る事です。
私達に侵入してくる敵は、私達が真実を理解しないようにし、生命と愛に向かう道を塞いでいます。しかし、そのような敵は他の場所にいるのではなく、あなた方自身に存在しています。したがって、何か誤った事があっても、他人を非難する前に、あなた方自身がその事を起こしたのは自分の過失だと考え、自己責任を取ろうと努力すべきです。
あなた自身に不平があっても、それを自分で解決しようとしなければなりません。そして、あなたが家庭だけでなく国の悲嘆にも対処しようとする意志を持たなければなりません。私達の国の苦難を自分の問題と感じ、涙を流す事ができる人々が、3000万人の国民のうち300万人でもいれば、私達の国は生き残る事でしょう。
私達はこの国がこのようになったのは私の責任だと言えるし、世界中がこのようになったのも私の責任だと言えるべきです。イエスを信じるキリスト教徒の数が1000万を超え、10億を超える全世界の人々がキリスト教徒になる事を願う神の前で、私達は恥じるべき存在である事を認識しなければなりません。私達はこのような神の希望を実現しなければならない場にいる事を自覚しなければなりません。
また、神は宇宙全体を創造しましたが、それらは完成しなかったため、神は彼らから怨みを持っており、栄光を受けないでいる事を知らなければなりません。したがって、あなたは神を受け入れる事ができる性格を持つ神の真の子供とならなければなりません。
このような宇宙的な神の悲しい気持ちを理解し、それから彼の前で頭を下げる牧者と羊飼いになるでしょう。もしもそのような牧者と羊飼いがこの地に現れるなら、彼らを中心に新しい宇宙の歴史が展開されるでしょう。
さらに、天律に代わる真理運動、天律に代わる生命運動、天律に代わる神の愛運動が、彼らを通じて起こるでしょう。今日の韓国の人々の中で、このような真理運動が現れるべきです。私達自身がそのような精神的な基準を持つようになったら、神も無視しないでしょう。このような生活を送った後、他の人を通じて自分の人格と価値を発見しようと努力しなければなりません。
イエス・キリストと聖霊は人類を代表してそのような道を歩んだ人々です。したがって、私達はイエス・キリストと聖霊の意志を手本にし、真の聖徒として生きなければなりません。
そうでなければ、悪の実を結び、サタンとの関係を断つ事はできず、人格を完成させる事もできず、また神はあなたを真の子供として立てる事ができません。皆さん、イエス・キリストはかわいそうな人でした。彼はこの地上で最も幸福な人と見なす事ができます。天国の王子としてこの地に来ましたが、不信心なユダヤ人達によってさまざまな陰謀と苦難を受け、後には十字架にかけられました。
このような事実を考えると、皆さんの心と体が快適な場所にいる事はできません。もしもあなたが心身ともにこのようなイエス・キリストの悲しい状況を感じない場合、イエス・キリストを信じているとは言えないでしょう。
もし、あなたが神の悲しい気持ちを理解できれば、千万年の涙を流しても足りないと感じるでしょう。また、イエス・キリストを失った神の悲しい気持ちを感じれば、一生涙を流しても神の気持ちに達する事はできないでしょう。それだけ私達は神に対して感情的な借金を抱えているのです。
このような感情的な負債を背負ったまま、つまり自分が間違っていながらも「父なる神だから許してくださるだろう」と厚かましい人々が多い事です。神はこのような人々も許し受け入れてくださるかもしれませんが、同時に苦痛を感じる事でしょう。したがって、あなたは自分の誤りを謝罪する前に、自分が恥じるべきであり、謙虚な心を持つべきです。
あなたが神の苦しい気持ちを共感すれば、神は苦しみを忘れ、涙であなたを受け入れてくださるでしょう。また、あなたは希望を持ち、天律の道、真理の道を求めていますが、神はあなたに対して心配しています。そんなあなたには神の愛と命の恵みが注がれるでしょう。もし、あなたがこのような生活をしていない場合、そのような自分を心配するべきです。
皆さん、兄弟や同胞を責めないで下さい。世界や神を責めないで下さい。責めるのであれば、自分を責めて下さい。他人を責める前に、神を責める前に、自分自身を責める必要がある事を皆さんは知るべきです。そのような気持ちを持ったイエス・キリストは、苦難に満ちた30年以上の生涯を経てゴルゴダの丘で十字架を背負う運命にあったが、その立場からも神を責めず、黙って神の意志を遂行する自分の責任を心配する心を持って帰られました。そのため神はイエス・キリストを復活させたのです。
そのような感情はサタンの世界では見つける事ができず、サタンの側からは夢すら見ないレベルの感情であり、それによりイエス・キリストはこの世界の中心となりました。皆さんも同様です。皆さんの信仰の段階でもサタンの世界の誰かよりも優れていなければなりません。内面の感情と精神を比較すると、彼らが追随できないほど高い感情と精神の調和を持たなければなりません。その条件を根拠に、皆さんは復活の力の中に入る事ができます。
イエスは死の谷を越えても、自身の個人的な救いを心配せず、残された宇宙的な責任を自分で負う覚悟を持って進む事を知りました。
イエスは十字架で国のために祈り、死んででも責任を果たす意思を持っていただけでなく、死を超えて神の御心を心配しました。だからこそ、神はそのようなイエスを復活させる事ができたのです。したがって、復活したイエスに対してサタンは嘲笑できなかったのです。皆さんも同じような価値観を持った人格者になれば、サタンに嘲笑される事はありません。
天国の住人は、愛、生命、真理の完成者です。そのような皆さんがなると、宇宙的な真理の中心が現れるとき、皆さんはその真理の中心と自然に一体化できるでしょう。また、光が明るい場所でも暗い場所でも違いなく輝いているように、真理の光も世界中のあらゆる場所を照らし出すでしょう。今日の皆さんは、個々の責任と、皆さんが存在する環境で担当している責任の価値を理解しているかもしれませんが、社会的責任や国家、世界的責任については知らないかもしれません。また、皆さん自身が世界的な使命を帯びている事さえ知らないかもしれません。それならば、天から与えられた使命と責任を持つ人々がなぜ一体になれないのでしょうか?それは自己を中心にし、天律に立ち向かおうとするからです。
そのため、皆さんは謙虚で柔和な心で天律の法に従い、それに従って自分が感銘を受けながら、神が喜ばれる道、神の道を歩む事によって、本質的にはすべての人と調和できるようになるべきです。
皆さんが神だけでなく、すべての人と調和し、すべての人に吸収される本質的な要素を持つ立場に立つと、過去から感じ、知っていたすべての概念から脱却し、真理に到達できるでしょう。
人間の本性には神の愛、命、真理が存在しています。そのため、自分の愛と真理に対立する愛、命、真理の内外の形態を持つ中心存在が現れると、自動的に彼と調和する事になります。その理由は、人間が相対的に創造されたからです。本性が追求する希望の真理、つまり永遠で変わらず、唯一の理念にふさわしい自分の心と体として、自分自身を超えて宇宙と関係を築けるからです。なぜなら、自分自身も創造の理念に相対的に反応し、喜びをもたらすようにされているからです。
そのため、私達が「ありがとう」と言える環境、つまり自分自身を中心にし、理想的な世界を構築すると、私達の喜びはすぐに天国の喜びとなり、天国の喜びは私達の喜びとなり、永遠の神と交流できる関係が築かれる事になります。そのような永遠不変の愛、命、真理の中心として、神の子として、全体を代表して歌える皆さんがいなければ、皆さん自身を通じて宇宙を主宰するために存在している天国の理念を実現する事はできないという事を知るべきです。
しかし、そのような存在になると、最終的にはどうなるでしょうか?まず第一に、イエス様に対応するのと同じ立場から、皆さんも神様に対応できるでしょう。第二に、イエス様と聖霊の立場から家族を愛する事ができ、第三に、神様がイエス様を愛されたように、皆さんもすべての人々と愛を共有できるようになるでしょう。そして、真理と命と愛の存在になると、神様を代わりに考え行動できるようになります。皆さんがそのような存在になると、個人を中心に見た場合、上下にあるのと同じように、上下にある宇宙と世界、国、社会、家庭が皆さんを中心にし、自動的につながるでしょう。
このような真理、生命、愛の中心的存在になると、これまで悪者とされていた人々さえも許す事ができ、すべての年長者は自分の親と同じように感じ、すべての同年代の人々は自分の兄弟と同じように、すべての若者は自分の子供と同じように考える事ができます。
つまり、皆さんが宇宙的な天国の理念を代わりにできる存在になり、神様の愛、命、真理の運動を展開するならば、平和の世界がこの地に築かれるでしょう。そのため、自分の親だけが親でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でない事を意味します。
皆さんがすべての人を自分の親、兄弟、子供として見る事ができる人格を持つようになれば、死者の世界で苦しむ人々を見る際、涙なしには対処できなくなり、兄弟や若者を見る際にも、彼らを救おうとする責任感を持って涙を流すようになるでしょう。本当にそのような存在になるなら、そのような存在を中心にしてこの地に天国が築かれるでしょう。
<祈 祷>
この6千年のすべての内容と、お父様の内面的なご事情が、これらの人々にすべて伝わらなかったのではないかと心配しておりますので、お父様、これらの人々をあなたのふところに抱きしめて、すべてを理解できるように許して下さい!そして、これらの人々が心に理解した事があれば、これを最後まで責任を持って受け止める事ができるように許していただきたいと願っています。
お父様、主は与える者の責任がこれほど貴重である事を感じると同時に、受け取る者の責任もそれに引けを取らないほど貴重である事に気づかされ、むしろ与える者よりも受け取る者の責任がより重要である事を認識するようになりました。
主は時期が一時である事を知りつつ、受け取る時は永遠を持って受けなければならない事を知っており、天から一時に与えられたその真理を永遠に保存できる私達になる事を許して下さい。また、一時に授かった命を永遠に保存できる私達になるように許して下さい。一時に授かった愛を永遠に保存できる私達になるように許して下さい。それによって私達は神の真の子供達になる事ができるという事を、お願いし、切に望んでいます。
過去に私達は多くの教えを受け、多くの生命と愛の恩恵を受けましたが、今この瞬間、私達の心は空虚です。空虚な私達の心を満たして下さい。そして、これまで何十回も天を背信した事を、今この時点で懺悔します。お父様、お許し下さい。切にお願いし、望んでいます。
その結果、真理の鍵を見つけ、生命と愛の鍵を見つけて、残された宇宙的な真理と生命と愛の扉を開き、天の中心においておられる神様の内面的な事情を解き明かす事ができる子供達になれるようにして下さい。信じられる真の子供の地位に進む事ができるように、お願いし、切に望んでいます。
残っているすべての事を明らかにし、不足しているすべての事を満たして下さい。そして、永遠の天国が完全に実現される日まで私達を導いて下さい。切にお願いいたします。
すべての御言葉を主の名によってお祈り致します。アーメン。
「文鮮明先生の言葉の選集 2 - 9. 結ばれたものを解こう(1957年3月24日)」
結ばれたものを解こう 1957年3月24日(日曜日)、本部教会。 マタイによる福音書18:15-20
結ばれたものを解こう 1957年3月24日(日曜日)、本部教会。 マタイによる福音書18:15-20
(御言葉)
神の愛は互いに調和する場所に実現されます。個人的なレベルでも、神の愛は心と体が調和する中で実現され、その中で私たち自身が中心に置かれ、兄弟姉妹や仲間たちと調和し、さらに家庭と家庭、国と国、世界と天が互いに調和する場所に神の愛は実現されます。
すべての創造物が神の愛を中心にして調和し、永遠に喜ぶための善の基準を確立していれば、すべての創造物の間に隔たりは存在しなかったでしょう。しかし、人間の世界では、神の愛を中心にして調和しなかったため、個人は心と体が調和しない状態に陥り、さらに隣人、種族、国々間でも調和しなかったため、国と国、世界と天も調和しなくなりました。
神の帰還の目的は、調和しなかったこの創造の中で、調和をもたらす存在を確立し、彼を中心にして天の愛の範囲を拡げ、個人、家庭、国、世界、天との間に存在する障壁を取り扱うことです。
調和可能な存在を確立することが帰還の歴史の目的です。帰還の歴史の一つの成果として、または創造の前に愛の標準と中心として現れ、地上で結ばれた障壁を解消するために来られたのがイエス・キリストでした。そのため、全人類はイエス・キリストを通じてのみ、堕落による原罪、すなわち堕落の条件を解消できます。その理由は、人間自身が地上で堕落の条件を設定したため、人間自身がそれを解消しなければならないが、堕落した人間自身ではそれを解消できず、メシアを通じてのみ解消できるからです。
人間はイエス・キリストと一体となり、アダムによって生じた天地の敵意を解消し、喜びを天に還すべきでした。しかし、イエス・キリストの死によって、その意志は地上で実現されないままに残り、イエス・キリストは死後も今日まで、皆さん一人一人を通じてこの使命を果たすことを望まれました。イエス・キリストの望む存在である皆さん一人一人の行動は、絶対に皆さん一人一人を中心に置かれた個人の行動ではなく、6,000年にわたって結ばれた天の計画を解決するための歴史的な成果としての行動であることを認識すべきです。
このような存在として、皆さんは祖先、イエス、聖霊、神の無限のため息が結びついていることを知る必要があり、4,000年にわたる神の敵意を代表したイエス・キリストの望みと、2,000年にわたる聖霊の望みが結びついていることを知るべきです。
したがって、個人的には兄弟姉妹、国と国、世界と天との間に結ばれたすべてのため息の壁を解消しない限り、イエス・キリスト、聖霊、神に結びついた歴史的なため息は解消されず、神は私を通じて愛することができず、喜ぶことはできません。皆さんは、この偉大な歴史的な使命の手がかりを、皆さん一代一代で皆さんの生活と一生を通じて解明し、さらには子孫を立てて最終的な完了を達成する覚悟がなければなりません。
天地に結ばれた計画を解消する方法を教えてくださったのは、イエス・キリストでした。イエス・キリストは、自分が神の4,000年のため息を解消しなければならない存在であることを知り、天と地に結びついたすべての状況を解消するために熱心な生涯を送られました。さらに、イエス・キリストの生涯は、自己中心的な生活ではなく、アダムによって結ばれたあらゆる状況を解決することに全力を注いだ生活でした。イエス・キリストは人類の堕落と同時に、サタンが本来の場所から離れてしまったため、本来の場所に戻す使命を果たすべく来られたのであり、それはサタンが地上で罪を犯したため、地上に戻す必要があることを理解されたからです。
人間は誤りから堕落しましたが、それでも神は彼らを再びあなたの愛を受ける子供として立てようとし、それが神の計画であり、新しい時代に残された使命であるとしています。
この大局的な使命を果たすために、あなたがたはイエス・キリストと共に責任を担わなければならず、そのためには神の4,000年のため息を身につけ、生前のイエス・キリストの心情と、復活後の今日まで2,000年続いたイエス・キリストと聖霊の熱意を理解できなければなりません。
6,000年にわたる歴史を結実させる責任を担って進むなら、あなたたちはイエス・キリストや先達たちの努力を超える努力をしなければなりません。それができない場合、あなたたちは自分自身の本来の位置を永遠に見つけ出すことはできません。なぜなら、神はイエス・キリストを見つけるために4,000年もの歳月を費やし、一つの花嫁を立てるのに2,000年かかりました。したがって、あなたたちも自分自身の存在を見つけ出すために、6,000年間にわたる神の苦労と全体的な計画を抱き続けて現れなければ、あなたたちの存在を決して見つけ出すことはできないでしょう。
自分自身を見つけるために戦わなければならないということです。そして、戦う際にはまず自分自身と戦わなければなりません。イエス・キリストもサタンに打たれる前にまず自分自身を打たれ、それによってサタンすらも打つことができたのです。私たちもサタンが私を打つ前に、私が自分自身をまず打ち、そしてサタンと戦わなければなりません。
このような試練と苦しみの道を歩むためには、誰かが私を理解してくれる仲間が必要です。イエス・キリストは十字架の上で捨てられましたが、神と聖霊はイエス・キリストを理解していました。ある時点で、神自身があなたを知らないかもしれません。そのとき、あなたを理解してくれる同志が必要であり、人々があなたを拒絶するとき、あなたを理解してくれる神の代わりとなる存在が必要です。したがって、イエス・キリストは2人が共に祈ると、天の父がそれを叶えると言われました。
神はイエス・キリストにその使命を委ね、安心されました。同様に、あなた方もイエス・キリストと聖霊の意志を受け継ぎ、イエス・キリストと聖霊を安心させる責任があります。神が私の父となり、イエス・キリストと聖霊が私の救い主となるために、あなたはその苦悩を引き受け、天の使命を遂行するための主人公として立たなければなりません。私たちは兄弟の重荷を肩に載せることが難しいのに、6,000年にわたって進んできた神の重荷を引き受けることは一層難しいでしょう。
しかし、この主人公が地上に立てられることを天が望み、イエス・キリストと聖霊が待望し、すべての創造物が願ったことです。そのため、このような主人公が2人で共に祈る場所に神は同行せざるを得ません。そして、このような主人公が多ければ多いほど、その民族は天の大きな使命を引き継ぐ民族となり、最終的には世界中の祝福の源となるでしょう。
この交差点(終末)で、皆さんが善を選び悪を克服し、サタンの支配を打破し、天の意志を代表する中心を築くために、天が同行し、束縛から解放される場所を作れば、天は縛られず、そして永遠に天の真の子女として宇宙を代表することができるようになります。
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神の愛は互いに調和する場所に実現されます。個人的なレベルでも、神の愛は心と体が調和する中で実現され、その中で私たち自身が中心に置かれ、兄弟姉妹や仲間たちと調和し、さらに家庭と家庭、国と国、世界と天が互いに調和する場所に神の愛は実現されます。
すべての創造物が神の愛を中心にして調和し、永遠に喜ぶための善の基準を確立していれば、すべての創造物の間に隔たりは存在しなかったでしょう。しかし、人間の世界では、神の愛を中心にして調和しなかったため、個人は心と体が調和しない状態に陥り、さらに隣人、種族、国々間でも調和しなかったため、国と国、世界と天も調和しなくなりました。
神の帰還の目的は、調和しなかったこの創造の中で、調和をもたらす存在を確立し、彼を中心にして天の愛の範囲を拡げ、個人、家庭、国、世界、天との間に存在する障壁を取り扱うことです。
調和可能な存在を確立することが帰還の歴史の目的です。帰還の歴史の一つの成果として、または創造の前に愛の標準と中心として現れ、地上で結ばれた障壁を解消するために来られたのがイエス・キリストでした。そのため、全人類はイエス・キリストを通じてのみ、堕落による原罪、すなわち堕落の条件を解消できます。その理由は、人間自身が地上で堕落の条件を設定したため、人間自身がそれを解消しなければならないが、堕落した人間自身ではそれを解消できず、メシアを通じてのみ解消できるからです。
人間はイエス・キリストと一体となり、アダムによって生じた天地の敵意を解消し、喜びを天に還すべきでした。しかし、イエス・キリストの死によって、その意志は地上で実現されないままに残り、イエス・キリストは死後も今日まで、皆さん一人一人を通じてこの使命を果たすことを望まれました。イエス・キリストの望む存在である皆さん一人一人の行動は、絶対に皆さん一人一人を中心に置かれた個人の行動ではなく、6,000年にわたって結ばれた天の計画を解決するための歴史的な成果としての行動であることを認識すべきです。
このような存在として、皆さんは祖先、イエス、聖霊、神の無限のため息が結びついていることを知る必要があり、4,000年にわたる神の敵意を代表したイエス・キリストの望みと、2,000年にわたる聖霊の望みが結びついていることを知るべきです。
したがって、個人的には兄弟姉妹、国と国、世界と天との間に結ばれたすべてのため息の壁を解消しない限り、イエス・キリスト、聖霊、神に結びついた歴史的なため息は解消されず、神は私を通じて愛することができず、喜ぶことはできません。皆さんは、この偉大な歴史的な使命の手がかりを、皆さん一代一代で皆さんの生活と一生を通じて解明し、さらには子孫を立てて最終的な完了を達成する覚悟がなければなりません。
天地に結ばれた計画を解消する方法を教えてくださったのは、イエス・キリストでした。イエス・キリストは、自分が神の4,000年のため息を解消しなければならない存在であることを知り、天と地に結びついたすべての状況を解消するために熱心な生涯を送られました。さらに、イエス・キリストの生涯は、自己中心的な生活ではなく、アダムによって結ばれたあらゆる状況を解決することに全力を注いだ生活でした。イエス・キリストは人類の堕落と同時に、サタンが本来の場所から離れてしまったため、本来の場所に戻す使命を果たすべく来られたのであり、それはサタンが地上で罪を犯したため、地上に戻す必要があることを理解されたからです。
人間は誤りから堕落しましたが、それでも神は彼らを再びあなたの愛を受ける子供として立てようとし、それが神の計画であり、新しい時代に残された使命であるとしています。
この大局的な使命を果たすために、あなたがたはイエス・キリストと共に責任を担わなければならず、そのためには神の4,000年のため息を身につけ、生前のイエス・キリストの心情と、復活後の今日まで2,000年続いたイエス・キリストと聖霊の熱意を理解できなければなりません。
6,000年にわたる歴史を結実させる責任を担って進むなら、あなたたちはイエス・キリストや先達たちの努力を超える努力をしなければなりません。それができない場合、あなたたちは自分自身の本来の位置を永遠に見つけ出すことはできません。なぜなら、神はイエス・キリストを見つけるために4,000年もの歳月を費やし、一つの花嫁を立てるのに2,000年かかりました。したがって、あなたたちも自分自身の存在を見つけ出すために、6,000年間にわたる神の苦労と全体的な計画を抱き続けて現れなければ、あなたたちの存在を決して見つけ出すことはできないでしょう。
自分自身を見つけるために戦わなければならないということです。そして、戦う際にはまず自分自身と戦わなければなりません。イエス・キリストもサタンに打たれる前にまず自分自身を打たれ、それによってサタンすらも打つことができたのです。私たちもサタンが私を打つ前に、私が自分自身をまず打ち、そしてサタンと戦わなければなりません。
このような試練と苦しみの道を歩むためには、誰かが私を理解してくれる仲間が必要です。イエス・キリストは十字架の上で捨てられましたが、神と聖霊はイエス・キリストを理解していました。ある時点で、神自身があなたを知らないかもしれません。そのとき、あなたを理解してくれる同志が必要であり、人々があなたを拒絶するとき、あなたを理解してくれる神の代わりとなる存在が必要です。したがって、イエス・キリストは2人が共に祈ると、天の父がそれを叶えると言われました。
神はイエス・キリストにその使命を委ね、安心されました。同様に、あなた方もイエス・キリストと聖霊の意志を受け継ぎ、イエス・キリストと聖霊を安心させる責任があります。神が私の父となり、イエス・キリストと聖霊が私の救い主となるために、あなたはその苦悩を引き受け、天の使命を遂行するための主人公として立たなければなりません。私たちは兄弟の重荷を肩に載せることが難しいのに、6,000年にわたって進んできた神の重荷を引き受けることは一層難しいでしょう。
しかし、この主人公が地上に立てられることを天が望み、イエス・キリストと聖霊が待望し、すべての創造物が願ったことです。そのため、このような主人公が2人で共に祈る場所に神は同行せざるを得ません。そして、このような主人公が多ければ多いほど、その民族は天の大きな使命を引き継ぐ民族となり、最終的には世界中の祝福の源となるでしょう。
この交差点(終末)で、皆さんが善を選び悪を克服し、サタンの支配を打破し、天の意志を代表する中心を築くために、天が同行し、束縛から解放される場所を作れば、天は縛られず、そして永遠に天の真の子女として宇宙を代表することができるようになります。
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