しかし、「死ぬまで現役」のお手本だった日野原重明氏が、この18日に死去された。105歳だった、と言う。このお医者さんこそ「最後の最後まで、現役のお医者さん」だったと思う。日野原氏は、よくテレビなどでも話をされていたから、多くの人はその容姿を記憶しているはずだ。とても百歳を越えたとは思われない温顔で、テキパキした語り口、「認知症」のかけらも見えない明晰な頭脳。「文化功労賞」「文化勲章」に輝いた大学者でもある。
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今年2月、まだお元気だった日野原氏(インターネットより借用)
氏は「京都大学医学部」のご出身で、東京の聖路加国際病院に就職、医者として多くの患者に接しながら、研究者としても「高齢者医療問題」に取り組み、初発的な多くの事業を導入している。当時家庭では禁止されていた「血圧測定」を、医師でなくても計測できるよう、当局に働きかけ、成功している。予防医療の嚆矢である「人間ドック」を考え出したのも日野原氏だ。今でこそ、企業とか学校で「定期検診」が一般に実施されているが、一定の時期に集中的にあらゆる箇所を診察する「人間ドック」は、当時としては珍しかったに違いない。そのお蔭で「癌」とか「心臓疾患」「肺の異常」などが、「早期発見」となり、重症化するのを未然に防いだ例は枚挙に暇がない。
「成人病」と呼ばれていた「高血圧症」とか「高脂血症」の病気を「生活習慣病」という名前に改めたのも日野原氏だ。「成人病では、成人になったら、罹っても仕方がない、というニュアンスが生まれる。しかし高血圧や高脂血症は普段の生活習慣が原因で、これを改めれば予防できる。呼び方一つで人々の病気に対する考え方が変わる」と言って、厚生省を説得した、とか。「健康は自分で管理するのが当たり前。多くの人々がダイエット、マラソン、ヨガに精を出す。」これも、日野原氏による意識改革の成せる業だろうと、解説者は述べている。
氏は、終末医療にも力を入れた。「死は、患者さんの人生のクライマックス。有終の美を飾ってあげるのが、医者の仕事」と言い、過度の延命治療に対しては「医者の金儲け。チューブにつながれ、家族と別れの言葉もかわせない患者に、尊厳はあるか」と手厳しかった。これらの考えは、現在では、多くの人に受け入れられ、「尊厳死」に繋がって行く。日野原氏の「死に際」こそ、まさに「理論の実践」だった。ご家族の話によれば、日野原氏は、「延命措置を望んでいなかった」そうだし、日野原氏は、「東京都内の自宅で療養し、2日前までは意識があり、呼び鰍ッに応じていたが、17日から反応が鈍くなった」とか。
療養中は周囲の人に「ありがとう」と感謝の言葉を発していた。声を鰍ッると手を握り返してくることもあったという。最期の様子について、次男直明さんは「苦しまず、安らかに眠るように亡くなった」と説明した。直明さんは「延命はしないという本人の強い意思だった」とも語った。記者会見した聖路加国際病院の福井次矢院長によると、口から栄養摂取が困難となったが、日野原氏はチューブで胃に栄養を入れる「胃ろう」については、明確に「やらない」と断った。さらに、「本人の希望で3月から自宅で療養していた」という。誰もが理想とする人生の終末だ。私も、是非そうありたいと思う、私の「生涯現役」はチョットした畑仕事だが・・