南京大虐殺はなかった・・・名古屋市長Kの主張は
名古屋市長Kの歴史認識である。
こんにちの日本人の対中国観、感情・・・中国嫌いの層に便乗しての
発言とみる。
この名古屋市長Kの発言に即答したかたちで
2月22日に、民主党政権から見解が発表された。
藤村修官房長官は南京大虐殺について、1995年8月15日の
村山富市総理が戦後50年で発表した「村山談話以来、政府の
姿勢は何も変わっていない」との態度を明らかにした。
南京事件を含めそうした事実のあったことを政府として
認め、継承する立場を表明した。
そうした事実とは、「非戦闘員の殺害、略奪行為などがあったことは否定できない。・・・ということ・・・。
長官は、さらに、言葉をついで、
反省をし、戦争は二度と繰り返さず平和国家としての道を歩んでいく、
と決意を述べたとおもう。
南京大虐殺はあった・・・二度とおこしてはならなぬこと・・・。
平和国家としての道を歩んでいく・・・
私は、この見解を支持する。
フクシマの原発事故対応では民主党政権を批判、非難してきたが
Kの発言にたいする政府見解は、支持する。
日本人として、人間として、
謙虚に歴史にむきあうなら、
加害の歴史を認識できるか、できないかの分岐点にたつことになろう。
今後も、中国、韓国、アジアの人々とおつきあいしてゆくには
根本的な出発点になろうかとおもうのだ。
加害者側は忘れてはならないことではないだろうか。
名古屋市長Kの発言は被害者側に記憶をよびもどさせて
二重三重に
こころを切り刻むことになりはしなかったか。
南京と名古屋市が友好都市であっただけに、この先駆的友好の
歴史を
抹殺する個人的な発言ではなかったか。
反省のできない人間なら、
未来の夢を描けないことになろう。
市長を選んだ市民もが問われることになろう。
当時、世界を駆け巡った新聞記事に
〝Nanking Atrocities〟・・・南京大虐殺の文字があったことを記憶したい。
当時、国内の日本人はKさんのご認識のごとくに
目にも耳でもキャッチできずに
祝賀のちょうちん行列をしたのであった。
南京陥落
萬歳 萬歳・・・・であった。
Kさん、敗戦が濃厚になる当時、
東京は、大空襲があったこと、ご存知でしょうか。
南京的にもうせば、〝東京大虐殺〟となりましょうか。
ヒロシマもナガサキも
大虐殺となりましょうか。
なぜ、云わないできたのでしょうか。
つよい者には言えなかったからではないでしょうか。
Kさまが、なかった、といわれたことは、
つまりは弱いものいじめの者に共通の分析があってのことでしょう。
真の勇者なら、弱いものいじめはせぬとおもうのですが・・。
さて、Kさまが市長の名古屋市、
名古屋は空襲はなかった・・・・のでしょうか。
非戦闘員の死亡はありませんでしたか。
戦中に一般民衆が大量に殺された場合は
虐殺、と、みれませんか。
一般的な戦闘でなくなったのだとご発言のようですが、
このへんからの認識も問われることになるようですね。
名古屋市長Kの歴史認識である。
こんにちの日本人の対中国観、感情・・・中国嫌いの層に便乗しての
発言とみる。
この名古屋市長Kの発言に即答したかたちで
2月22日に、民主党政権から見解が発表された。
藤村修官房長官は南京大虐殺について、1995年8月15日の
村山富市総理が戦後50年で発表した「村山談話以来、政府の
姿勢は何も変わっていない」との態度を明らかにした。
南京事件を含めそうした事実のあったことを政府として
認め、継承する立場を表明した。
そうした事実とは、「非戦闘員の殺害、略奪行為などがあったことは否定できない。・・・ということ・・・。
長官は、さらに、言葉をついで、
反省をし、戦争は二度と繰り返さず平和国家としての道を歩んでいく、
と決意を述べたとおもう。
南京大虐殺はあった・・・二度とおこしてはならなぬこと・・・。
平和国家としての道を歩んでいく・・・
私は、この見解を支持する。
フクシマの原発事故対応では民主党政権を批判、非難してきたが
Kの発言にたいする政府見解は、支持する。
日本人として、人間として、
謙虚に歴史にむきあうなら、
加害の歴史を認識できるか、できないかの分岐点にたつことになろう。
今後も、中国、韓国、アジアの人々とおつきあいしてゆくには
根本的な出発点になろうかとおもうのだ。
加害者側は忘れてはならないことではないだろうか。
名古屋市長Kの発言は被害者側に記憶をよびもどさせて
二重三重に
こころを切り刻むことになりはしなかったか。
南京と名古屋市が友好都市であっただけに、この先駆的友好の
歴史を
抹殺する個人的な発言ではなかったか。
反省のできない人間なら、
未来の夢を描けないことになろう。
市長を選んだ市民もが問われることになろう。
当時、世界を駆け巡った新聞記事に
〝Nanking Atrocities〟・・・南京大虐殺の文字があったことを記憶したい。
当時、国内の日本人はKさんのご認識のごとくに
目にも耳でもキャッチできずに
祝賀のちょうちん行列をしたのであった。
南京陥落
萬歳 萬歳・・・・であった。
Kさん、敗戦が濃厚になる当時、
東京は、大空襲があったこと、ご存知でしょうか。
南京的にもうせば、〝東京大虐殺〟となりましょうか。
ヒロシマもナガサキも
大虐殺となりましょうか。
なぜ、云わないできたのでしょうか。
つよい者には言えなかったからではないでしょうか。
Kさまが、なかった、といわれたことは、
つまりは弱いものいじめの者に共通の分析があってのことでしょう。
真の勇者なら、弱いものいじめはせぬとおもうのですが・・。
さて、Kさまが市長の名古屋市、
名古屋は空襲はなかった・・・・のでしょうか。
非戦闘員の死亡はありませんでしたか。
戦中に一般民衆が大量に殺された場合は
虐殺、と、みれませんか。
一般的な戦闘でなくなったのだとご発言のようですが、
このへんからの認識も問われることになるようですね。