花を咲かそう

「第63回NHK紅白歌合戦」大晦日、始まる。初投票をした。

2012-12-31 21:30:22 | Weblog
「第63回NHK紅白歌合戦」大晦日、始まる。

紅組または白組か、

私の判定で
投票をしてみた。

世論は反映されて、なるほどの
中間結果であった。


国会の投票も、このように
世論が反映すればよいのだが・・・。


今月12月の衆議院選挙は
日本国民6017万票の投票であるはずであったが、
今回の投票率59.32パーセント。

前回は69.28パーセントであったことからも
投票行動をおこせない、忌避した人が多かったようだ。


政党が選挙直前にたくさんできて
国民は判断にこまったこともあったようだ。

なによりも、1票の重みの不平等が改善されぬままに
国政選挙にぶちこんだ抗議もはたらいたのかもしれない。

今回の選挙では
国民の重要課題はたくさんあったわけであったのだが・・・

棄権は高いなかで、以下のような各党の支持率

自民党・・・・・・・・・・28%
日本維新の会 ・・・20%
民主党・・・・・・・・・・16%
公明党・・・・・・・・・・12%
共産党・・・・・・・・・・・6%
日本の未来党・・・・・・6%
社民党・・・・・・・・・・・2%

選挙制度に問題がありで、今回も世論は反映されずに
圧倒的な国会議員を占める政党が政権をとることになった。
2009年比で今回の選挙で圧勝した自民党を比例で分析してゆくと、

219万票へらし、公明は94万票へらしたとつたえられている。

ある某新聞は
原発稼動は承認された・・・と報じていた。
民意が正しく反映されない選挙結果が続くならば
国民との
乖離はひろがるばかりであろうか。

さきほど
紅組または白組か、

私の判定で
投票をしてみたが・・・

由紀さおりさんの歌がはじまったので
紅白に
集中したいので
ごめんなさい。。





アメリカの銃社会

2012-12-25 03:24:56 | Weblog
クリスマスの日、
我が家は
母の準備したツリーをかざった。

妹が教会にゆきたいといいだしたので
せわしい食事会となったが、
話題は
アメリカの開拓史に及んだ。

銃社会のアメリカを兄は話したかったようだ。

日本では豊臣秀吉の刀狩は歴史の時間に学ぶので、
日本人なら、誰でもしっていよう。

アメリカの開拓史では 大陸に渡って、先住民を殺戮し
土地を奪っていった歴史があろうから・・・、そのときの武器は
銃ではなかったか。

大陸進出時代に欠かせない銃であった。

銃の規制、アメリカ版の〝刀狩〟に反対するには、
それなりの理屈があるのだ。


小学生が20人からころされた痛ましい事件・・・
米東部コネティカット州ニュータウンのサンディフック小学校で
12月14日朝の銃撃事件は、
全米を震撼させたが、
世界のひとたちも、震撼させられた事件であった。



日本人は、ハロウィンの日に留学中の服部君が撃たれてなくなったことは
忘れてはいない。
服部君のお母様と坂東弘美さんの共著で、
アメリカの銃規制を訴えたご本をだされたと記憶する。

アメリカの民主主義は、銃によって 守られているのであろうか。
それとも
アメリカの民主主義は、ペンによって 守られているのであろうか。

刀狩ができるかどうかは、
アメリカ人の文化度をはかることになろう。


※服部美恵子& 坂東弘美の共著
『海をこえて銃をこえて 留学生・服部剛丈が遺したもの』
 風媒社 1996年03月発行





福島県は県民のいのちを守れるのか?

2012-12-21 08:41:07 | Weblog
福島県は、 福島県の子どもたちの内部被ばくを調査するための乳歯の提供保存を
呼びかけた柳沼純子県議(自民党)の提案を、
裏に回って拒否行動をとっていた。

このことは毎日新聞によって暴かれた。

福島県は県民のいのちを守ろうと行動をしてきたとばかりおもっていたが、
そうでもなかったことが暴かれたのである。

裏切られたおもいがするのは私だけであろうか。

大震災直後、私は福島県にむけて、トラック一台分の救援物資を送り出した。

そのご、2度ほど、福島をおとずれたが、福島県の乳歯保存への態度は理解にくるしむ。

なによりも、原発事故から いのちをまもることではないか。

ひとつきほどまえになろうか。NHK番組みであったとおもうが、福島県が服用をやめさせようとしたなかで、三春町はグットタイミングで町独自の判断で
放射能対策のくすり安定ヨウ素剤の服用を町民に実施した。
その勇気に感銘したが、
今度は
乳歯の提供保存を拒否するフクシマ県の策動。


 今回の選挙で、原発推進の党が大躍進した。そのことに関して
昨日の産経新聞主張(社説)では、《「原発ゼロ」転換が急務》と訴えていた。
つまり、自民党が支持され躍進したことは、原発再稼動も原発推進も支持されたと産経新聞は捉えているのであった。

 活断層の上に、原子力発電所がまたみつかったことが、報道される今、
日本は、
フクシマのようなことが、残念だが二度三度おきないことには、
覚醒できぬ民族なのかも・・・と憂国の情を強めるのは異常なのであろうか。


アルパとケナーのライブ〝さきこ・やぎりんバンド〟

2012-12-18 06:35:57 | Weblog
南米パラグアイの楽器アルパ演奏家橋咲子さんのライブを久し振りに聴いて来た。

曲:巡礼(アルゼンチン アリエル・ラミレス)や

曲:アラウカの郷愁(アルフレード・ロランド・オルティス)がこころに響いた。

曲:牛乳列車(パラグアイ フェリックス・ペレス・カルドーソ)演奏のときには
八木倫明さんは本物の牛乳瓶を鳴らして眞迫性をだされていた。そrが愉しかった。

咲子さんと八木さんのお二人は〝さきこ・やぎりんバンド〟を組まれて、
東北の大震災被害地を訪問、演奏活動もされておられた。

三陸地方の民謡斎太郎節を演奏したときのお話しは感銘した。
漁民はつらかったのか、演奏会場から逃げ出されたひともおられたそうだ。
が多くのひとたちは、
手拍子や掛け声をかけてくれて
楽しんでいただいたとのことだ。

このお話しは、被災地訪問者が知る被災者の本音をきいたおもいであった。

大津波で多くのいのちが奪われた2011年3月11日。
自宅が流された・・・・。

過酷な震災であったが、
海の恵でいかされてきた人たちである。
今後も海の恵でいきてゆくであろう人達。

斎太郎節が 愛唱され続けることはまちがいないことであろうし、
元気ももらえる唄なのだ。

皆んなが もとのように斎太郎節が唄える日がくること、
再生にむけ、自分は なにができるか、考えさせられたライブであった。

〝さきこ・やぎりんバンド〟のライブのおわりころに
スコットランド民謡
The Water Is wide Scottish Traditinnal Song(広い河の岸辺・・・・訳詞:やぎりん)を演奏された。訳詞の八木さんがケナーを置いて歌った。

河は広く 渡れない
飛んでゆく 翼もない
もしも小舟が あるならば
漕ぎ出そう ふたりで

愛の始まりは 美しく
優しく 花のよう
時の流れに  色褪せて
朝露と 消えてゆく

 練馬区豊玉南3丁目のコーヒー店でのライブであった。
演奏がよかったので帰りは、すぐ近くの寿司店により
つまんで帰った。

次回ゆくとしたら
来年の 3月9日土曜日14:00からの演奏会になろうか。

東京オペラシティ 近江樂堂での演奏会である。

アルパ:橋咲子
ケーナ・サンポーニャ: 岡田浩安
バイオリン:瀬尾鮎子
ギター・クアトロ:寺沢むつみ

東大吹奏楽部のクリスマスコンサート

2012-12-14 20:04:28 | Weblog



東大吹奏楽部のクリスマスコンサートを
拝聴した。

50名ほどはおろうか、部員たち。
ほとんどは入院中の者が観客で 200名はくだらぬようだ。

点滴をしつつ聴く者は10名はおった。

私は
妹の診察日で、待合室で院内放送でコンサートを知った。

16:45分からの
クリスマスコンサートにまにあった。

今年は平成天皇陛下も入院された。

あっというまの師走。

東大病院。

12月14日。
演奏はクリスマスの歌で始まった。

アカハナのトナカイや聖夜などなど・・
練習はしっかりされておられた。

実は、私も合唱をやっていてある大学病院に入院中のこどもたちを見舞ったときは練習をしっかりやって訪問した。点滴をしつつ聴いてくれた子。
きくところによると小児ガンなどの子もおった。
そのことをおもいだしつつ、
東大生の演奏をきいていた。

つぎは
演歌を演奏すると司会者はいわれた。

北国の春。
北酒場。
河の流れのように・・・が演奏された。
この吹奏演奏をバックに
男子学生が唄う。

なみだがじーんとにじみでてきていた。

アンコールになった。

サンタやトナカイさんなどに扮装した学生が
演奏にあわせて踊った。

東大生って、こんなに芸達者だったのか。
感心。

写真は空席がみえるが、コンサートの終わりのころは患者は
席をたって自室にもどろうとなさったせいなのです。
なにしろ、満席で周りには
80人ほどは立ち見でした。

クリスマスカードも戴いた。幸せ。


東大受験の親友と三四郎池にいったんがさいしょでした。
思い出の池の紅葉

忠臣蔵

2012-12-14 11:24:04 | Weblog
今朝、2012.12.14
5時起きで、港区高輪2丁目11番1号の

泉岳寺を訪ねた。
まだ、門は閉まっていた。



近くを散策、開門を待つ。

一度は、義士達を
御参りしたかった。

お線香は100円とあったが、係りのひとは出勤しておらず、
合掌をしたのみの御参りとなった。

赤穂にきびしい裁断。
不服として決起と解釈もあり、
当時の武士の規範から忠義を貫いたとの見方もある。

今風の解釈ならば、正義を貫いた。

四十七士のなかに、中国人がおられるそうだが、そのお名は
故郷の杭州武林の地名をとっていると、伝えられるが・・・。


 忠臣蔵は日本敗戦のおりには、
歌舞伎座で暇名手本忠臣蔵の上演は
進駐軍命令で禁止になった話は有名であろう。



佐藤祐禎 歌集「青白き光」・・・いりの舎刊

2012-12-11 20:00:39 | Weblog
今月6日、論文がおわったので、
佐藤祐禎さんの歌集「青白き光」平成24年2月20日第2刷 
発行所:いりの舎(世田谷区代沢5-32-5)を
ポケットにしのばせて

東京の山手線、京王線、京浜線、東海道線、玉川線など移動の車内で
読み継いでいる。

読みとばせない歌ばかりなので、一首一首ごとにくりかえし無声で朗読する。

《警鐘の歌集「青白き光」》と著者がいわれるだけあって、
原発に警鐘をならしてこられた歌人である。

勇気のお人であり、人間佐藤祐禎。

佐藤祐禎さんは、農業に従事しつつ、町の公民館の短歌教室に通いだしたのが、52歳のときであった・・・才能もさることながら非常な努力家なのだ。

福島民友新聞歌壇選者・・・著者経歴紹介である。

私は2010年春、かえる詩人ともいわれる草野心平さんの文学館を友人と訪ねた。
近くのダム湖もながめてきた。
心平さんの生家にも上がりこんで、しばし囲炉裏や庭をながめてきた。

NHKが放送と看板がでていた
諏訪神社のしだれ桜も眺めてきた。
その春、歌人佐藤祐禎さんをしっておったのなら、
佐藤祐禎さんが耕す田圃、畑を眺めてくるのであった・・・ものを。
残念。

歌集からいくつか引用し感想をのべさせていただきたい。

  原発が安全ならば都会地になぜ作らぬとわれら言ひたき

26頁に掲載のこの一首は、都民の私をどきりとさせた。苦しいおもいにもさせた。
福島のひとたちが、未だに避難生活。二度目のお正月を迎えようとしているのに・・。
 
歌人は、率直、かつ核心をつかれる。それゆえにか、アカ呼ばわりもされたのであろうか。この国の常套手段の攻撃なのだ。
 
  原発を言へば共産党かと疎まるる町に住みつつ怯まずに言ふ

お上、権力者へむけられる批判精神は祐禎短歌の永遠性をしめしていよう。
私は、不当なこと、不正義なことへの批判精神のある短歌に感銘するだけではない。
祐禎さんの人間性に感動する。
つぎの歌はとくに印象深い。ふかい愛がかんじられるのです。
 
 描きかけの妻の油絵納屋隅にありてそこのみ華やぎてみゆ

 いりの舎さま、再刊をありがとうございました。

 佐藤祐禎さま、ますます、現地からの発信を期待しております。
 お元気で・・・ありがとうございました。

追伸:
   私は、近藤芳美さんを、私淑しており、きりぬきをとっています。ですから
   驚きもし、嬉しくも思いました。
   
   友人たちには、歌集「青白き光」がいいよ、購入をすすめています。
   全国民がよんでほしい歌集です。

中村勘三郎さん 嗚呼 勘三郎さん 

2012-12-08 06:44:47 | Weblog
中村 勘三郎さんは国の宝。

我々は惜しい人をなくしてしまった。

あまりにも
早く駆け抜けてゆかれた。

歌舞伎の本質を知り、守ろうとなさって、
チャレンジされた人生であった。

伝統芸能を守ることは、
破壊と
墨守。

尊敬する歌舞伎評論家の渡辺保さんは
型が大事といわれてこられた。

舞う、踊る・・・・は本質的にちがいますと

渡辺保さんは
ご講義されておられたが、、、、


勘三郎さんを、
どのようなご評価をなさっておられるのでしょうか。

  私は、中村 勘三郎さんは国の宝とおもっている。

  惜しい人をなくした。
  ざんねん。残念とおもっている。

中村 勘三郎さんは、
矛盾の統一の道を突き進んでこられた。
至難の道を突き進んでこられた。


あまりにも
早く駆け抜けてゆかれた。
ご冥福をおいのりします。

 新歌舞伎座には
いままであった学生研究生向けの廉価な席を確保されるよう
期待しています。
 その精神も
勘三郎さんのご遺志をつぐこととおもいます。