もともとは鴨川の州で、江戸時代初期の寛文10年に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。
繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりである。芸妓、娼妓が居住するようになり、
何度も取り締りを受けたが、川端二条にあった「二条新地」の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立した。
明治5年に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせた。
繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりである。芸妓、娼妓が居住するようになり、
何度も取り締りを受けたが、川端二条にあった「二条新地」の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立した。
明治5年に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせた。