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移転しました(2014/1/1)

サイト更新

2013-07-31 | サイト

■サイト更新:近代 【原敬の話 / 明治23年、第1回衆議院総選挙 】
 
お久しぶりサイト更新です。
6月4日に更新したつもりだったのですが、つもりで終わってたみたい。自己完結過ぎワロタ。
ほったらかしでごめん。
 
今回は近代2本。
ひとつ目は題そのまんま原敬の話、もうひとつも題そのまんま我が国初の衆院選挙の話で、どちらも去年書いたものです。
両方とも準備は早くからしてあったので(冬だよ…)後は更新するだけだったのだけれど本当に放置しすぎた^^;
ブログに載せた当初から割と書きこんでいたので、殆ど加筆訂正はしていません。
 
今回半年ぶりくらいに読み返しましたが面白いなー(自分で言う)。
原敬の話も政友会の話も一度ちゃんと書きたいとは思っているのだけれど怯んでしまうチキンです。
政治の話は難しい…
 
今まで何度か書いていますが、学生時代に統帥権の勉強をしていた時に陸軍のカウンターパートとして原を見ていたので、そういう意味では私の原敬の見方にも偏りがあります。
対立軸としてどうしても陸軍=分からず屋、政党=それを窘める、みたいになっちゃうんだよね。

ただ、実際には政友会もかなりエゲツなくて、これは本当に地主の為の政党です。
国民から選ばれた議員からなる政党だなんて言いつつ、あんたたち一般民衆の事なんて何ひとつ考えてないだろうと言われても仕方ない。そうじゃない人もいただろうけど。
政友会の性格を正確に見抜いていたのが民本主義の吉野作造で、彼は政友会と原敬が大嫌いだった。
衆院選挙の話でその辺りの話に触れるかどうか考えて、風呂敷広げすぎたら墓穴だわと思って止めたんだ。笑。
 
お時間があります方、お付き合い頂ければ幸いです。 

*** 

 

久々に板垣の写真を見てふと思い出した。
板垣、明治14・5年に遊説先で襲われて、そこで生まれた言葉が有名な「板垣死すとも自由は死せず」。

高校生くらいまでこれは板垣が吐いた言葉で、板垣はここで亡くなったんだと思ってたんだけど、これは板垣が吐いた言葉じゃないし(傍にいた人が叫んだらしい)、ここで亡くなってもいなかった。
知った時には思わず「死んでればドラマだったのに」と言ってしまい、傍にいた母に爆笑された思い出。

板垣、結構長生きなんだよねー。
亡くなったのは大正中盤で、その頃の原敬日記にも時々名前が出てくる。
隈板内閣(明治31年)倒壊後、板垣の名前は歴史の表舞台には出て来なくなるけれど、それは当時も同じだったみたいです。
その頃に政界を引退したというのもあったと思う。

以前伊藤正雄の話を書いたけれど、この方の本に、確か明治40年代か、相撲を見に行った時に同じく観戦に来ていた板垣を見たと言う話がありまして。
少年だった伊藤はその時、この人まだ生きてたんかと思った、というようなニュアンスで書いていた。
世間一般的にもそうだったらしい。

自由死すとも板垣死せず

当時そう言われていたらしく、これを見た時は悪いと思いつつ爆笑してしまった。
ごめん板垣。


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