のま猫を糾弾する人は「権利」について都合が良すぎるのではないかに関連して、頂いたトラックバックや、検索などで見つけたサイトなどを読んでの記述です。
上記引用元記事に書かれた内容については、若干の異論があるものの、引用部分について読むと、確かにavex社は「うまいことをやったなぁ」と感じますね(現段階では「うまいこと」ではなくなったわけですが)。
『恋のマイアヒ』の日本発売に関してはosakana.factory - osakana日記(2005年10月7日)『のまネコ問題で考える二次創作の創造性』で分かりやすく書いてありました。
確かに2ちゃんねるでのフラッシュ人気に乗じて、avex社が国内版販売にこぎつけたようです。これは僕の認識不足です。
ただし、そのこととavex社を糾弾する方法についての正否はまったく別の話。
たとえ相手が犯罪者であろうと基本的人権を有しており、法の下で裁かれるべきであって、彼を懲らしめる為に、法を逸脱した行為がなされてはいけないのです。
今回ののまネコ関連問題について、僕が気になったのは、筋の通らないavexサイドへの嫌がらせです。
例の犯罪予告はもちろんのこと、松浦社長が会員制サイトで公開した謝罪文のネット上ばら撒きは、法的に認められるものではありません。
一方、avexサイドの「のまネコ」については、感情的に嫌悪感を生じるのは分かるものの、法的には特に問題はなさそうです。(弁護士・小倉 秀夫さんのブログbenli: 「モナーはみんなのもの」ではない。参照)
HRSさんの記事への異論は、次の部分。
訴えられなければ罪にはならないから、他人の著作物を無断で使っても(バレなければ)問題なし、という考え方は、ご本人も書いているように、物凄く乱暴な意見です。「権利を主張しつつ、自由に使って良い、という権利者も多数いる」から全ての権利者を無視しても構わない、という話にはなりません。
一部の人がそうだから、という根拠を全体に適用するのは、危険な行為でしょう。
僕が「のまネコ叩きがよくない」と思うのは、実のところ、avexの著作権侵害をするな、ということではなく、もともとがパクリ文化である2ちゃんねるが、自分らが今までやってきたパクリを棚にあげて、自分らが「パクられた」と大騒ぎするのはみっともない、ということですよ。(2ちゃんねるは元々が「あめぞう」を真似たものである事は有名な話。参考:2ch裏の歴史と噂話と真相)
既存の著作権が確立している音源を使って、面白フラッシュ(黒フラというらしいですね)を作成し、ネット上にばら撒く行為をお目こぼししてもらっているのなら、自分たちがパクった相手(のまネコに限った話で言えば、その権利を法的に所有する側)に対し、逆に「パクられた」と騒ぐことは、今後お目こぼしの基準が厳しくなる可能性だって考えられます。
法の専門家・小倉 秀夫さんに言わせると、こういうこと。
感情的な問題は別にして、その是非を法的に問われた場合、黒フラ作成サイドには不利な用件が多すぎるのです。
お目こぼしされているうちは、牙なんか向けずに、それに甘えさせてもらっていたほうが何かとお得ではありませんか。
のま猫を糾弾する人は「権利」について都合が良すぎるのではないかに頂いたトラックバックは全て目を通させていただいております。有意義な記事が多く、楽しませていただいております。
なお、楓さんから頂いたトラックバック、記事の趣旨とは無関係な部分で、ひとつ反論を。
他者を批判するものは、自分が批判することも受け入れろというのは、常に僕自身が言っていることだし、その窓口を塞ぐのは愚かな行為であるといってよいでしょう。
しかし、「コメント欄閉鎖=逃げ」というわけでは無いでしょう。現実に僕はトラックバックを受け入れて、反論されることを認めているのです。
gooブログでは、gooのアカウントを持っている者のみコメントを受け入れることは可能ですが、このブログの読者はgooブロガー以外の方のほうが多いし、何より話題的にコメンテーターをgooブロガーに限定するものでもありません。
じゃあコメントを全て受け入れろよ、という意見もありましょうが、今回、この問題を扱ったいくつかのブログを読む限り、コメンテーターを限定しない「のまネコ糾弾を疑問視する記事」を書いたところの多くが、匿名の卑怯性を利用した嫌がらせコメントを残されています。
トラックバックによって行われる批判については、あまりに馬鹿げた批判をするわけにはいかないので、概ね論理的な意見が多いですし、実際に頂いた批判的な記事も、そうだったのですが、匿名性を利用した批判・反論とは名ばかりの、単なる嫌がらせコメントと不毛な言い争いをする気はありません。
「正当な反論」を行う場は、何もコメント欄に限った話ではないのですから、こお受け入れ拒否をしていることが「逃げ」と決め付けるのは、単なる煽り行為と判断しました。
空耳で面白く聞ける曲がある~(外国曲、この時点では日本国内は輸入のみ)、
じゃあ、それにあわせたFlashとか、映像作ろう~、
人気出てきて、CDを探している人が増えているぞ~(この時点でも輸入のみ)、
企業登場、売れるなら…我社で権利を買って販売だ~♪
ついでに、あのFlashもつけちゃえば、完璧だな!、
販売しました~、予想以上に売れました~、グッズを作ります~。
まぁ、大体、こんな感じの流れです。
最初っから、エイベックス販売だったわけではないんですから、
エイベックスがのまネコの権利主張も間違い。
今日は、祝日…。
上記引用元記事に書かれた内容については、若干の異論があるものの、引用部分について読むと、確かにavex社は「うまいことをやったなぁ」と感じますね(現段階では「うまいこと」ではなくなったわけですが)。
『恋のマイアヒ』の日本発売に関してはosakana.factory - osakana日記(2005年10月7日)『のまネコ問題で考える二次創作の創造性』で分かりやすく書いてありました。
確かに2ちゃんねるでのフラッシュ人気に乗じて、avex社が国内版販売にこぎつけたようです。これは僕の認識不足です。
ただし、そのこととavex社を糾弾する方法についての正否はまったく別の話。
たとえ相手が犯罪者であろうと基本的人権を有しており、法の下で裁かれるべきであって、彼を懲らしめる為に、法を逸脱した行為がなされてはいけないのです。
今回ののまネコ関連問題について、僕が気になったのは、筋の通らないavexサイドへの嫌がらせです。
例の犯罪予告はもちろんのこと、松浦社長が会員制サイトで公開した謝罪文のネット上ばら撒きは、法的に認められるものではありません。
一方、avexサイドの「のまネコ」については、感情的に嫌悪感を生じるのは分かるものの、法的には特に問題はなさそうです。(弁護士・小倉 秀夫さんのブログbenli: 「モナーはみんなのもの」ではない。参照)
HRSさんの記事への異論は、次の部分。
著作権は親告罪になります。
簡単に言えば、訴えられなければ、罪にはならない…って事ですねw
このように書くと、物凄く乱暴な感じですが、
著作権については、広く共有できる財産であると同時に、
個々に与えられる、重要な権利です。
著作権の主張はしつつも、自由に使っていただいて構わないとする、
著作物の所有者も、インターネット上には多数いますし。
今日は、祝日…。
訴えられなければ罪にはならないから、他人の著作物を無断で使っても(バレなければ)問題なし、という考え方は、ご本人も書いているように、物凄く乱暴な意見です。「権利を主張しつつ、自由に使って良い、という権利者も多数いる」から全ての権利者を無視しても構わない、という話にはなりません。
一部の人がそうだから、という根拠を全体に適用するのは、危険な行為でしょう。
僕が「のまネコ叩きがよくない」と思うのは、実のところ、avexの著作権侵害をするな、ということではなく、もともとがパクリ文化である2ちゃんねるが、自分らが今までやってきたパクリを棚にあげて、自分らが「パクられた」と大騒ぎするのはみっともない、ということですよ。(2ちゃんねるは元々が「あめぞう」を真似たものである事は有名な話。参考:2ch裏の歴史と噂話と真相)
既存の著作権が確立している音源を使って、面白フラッシュ(黒フラというらしいですね)を作成し、ネット上にばら撒く行為をお目こぼししてもらっているのなら、自分たちがパクった相手(のまネコに限った話で言えば、その権利を法的に所有する側)に対し、逆に「パクられた」と騒ぐことは、今後お目こぼしの基準が厳しくなる可能性だって考えられます。
法の専門家・小倉 秀夫さんに言わせると、こういうこと。
どうせなら、これをきっかけに、「洋楽の空耳フラッシュはAVEX的にはOK!。だけど優秀作品はプロモで使わせてね」という方針をAVEXが採用してくれれば、AVEXが権利を買い取った楽曲に限られるにせよ、原盤権者の著作隣接権によって阻害されることなくフラッシュ作家が創作性を発揮できるようになるわけで…(略)…
…(略)…今回のことで、AVEXがネットワーカーに敵意を抱き、フラッシュ作家を次々と潰していく方針に変更しないように希望する今日この頃です。
benli: 「のまネコ騒動」についての違和感
感情的な問題は別にして、その是非を法的に問われた場合、黒フラ作成サイドには不利な用件が多すぎるのです。
お目こぼしされているうちは、牙なんか向けずに、それに甘えさせてもらっていたほうが何かとお得ではありませんか。
のま猫を糾弾する人は「権利」について都合が良すぎるのではないかに頂いたトラックバックは全て目を通させていただいております。有意義な記事が多く、楽しませていただいております。
なお、楓さんから頂いたトラックバック、記事の趣旨とは無関係な部分で、ひとつ反論を。
【記事には関係ないけどもさらに一言】
コメント欄を閉鎖するのは、反論に対する「逃げ」でしかありません。
たとえ建設的な意見がないと本人が思っているとしても、コメント欄に投稿不可能にしている時点で、正当な反論をする人のコメントを退けているわけですからね。
批判的な文章をお書きになるのでしたら、コメント欄は開放しておくべきです。
のまネコを糾弾する人は「都合がいい」?
批判的な文章をお書きになるのでしたら、コメント欄は開放しておくべきですという考えは、基本的に僕も同意です。
他者を批判するものは、自分が批判することも受け入れろというのは、常に僕自身が言っていることだし、その窓口を塞ぐのは愚かな行為であるといってよいでしょう。
しかし、「コメント欄閉鎖=逃げ」というわけでは無いでしょう。現実に僕はトラックバックを受け入れて、反論されることを認めているのです。
gooブログでは、gooのアカウントを持っている者のみコメントを受け入れることは可能ですが、このブログの読者はgooブロガー以外の方のほうが多いし、何より話題的にコメンテーターをgooブロガーに限定するものでもありません。
じゃあコメントを全て受け入れろよ、という意見もありましょうが、今回、この問題を扱ったいくつかのブログを読む限り、コメンテーターを限定しない「のまネコ糾弾を疑問視する記事」を書いたところの多くが、匿名の卑怯性を利用した嫌がらせコメントを残されています。
トラックバックによって行われる批判については、あまりに馬鹿げた批判をするわけにはいかないので、概ね論理的な意見が多いですし、実際に頂いた批判的な記事も、そうだったのですが、匿名性を利用した批判・反論とは名ばかりの、単なる嫌がらせコメントと不毛な言い争いをする気はありません。
「正当な反論」を行う場は、何もコメント欄に限った話ではないのですから、こお受け入れ拒否をしていることが「逃げ」と決め付けるのは、単なる煽り行為と判断しました。