題名駄洒落でスイマセン。
絶対に明確な答えがでてこないことは承知で書くのだけど、ブログに関して「不快なこと」って何ですか?
こちらで書いたように、僕は「自分の意見を主張するために、他人を持ち出すこと」が不快なことの一つです。「みんな」がどう思っているかじゃなく、自分自身がどう思うかを主張してくれ、と思うのです。「自分だけがこう考えている」訳じゃないことを証明するために、似たような発言をしている人のサイトへのリンクを貼ったりするのは、自己を正当化するための手段だとは思いますが、いるかいないかも分からない(=証明できない)「みんな」を持ち出すのは、他人を批判する手法としてはアンフェアなんじゃないの?
というのが、
『みんなが不快だ』は俺が不快だ! の概要だったわけですが、頂いたコメントの数とか、取り上げていただいた個人サイトの数(っていっても4、5件ですけど)を考えると、賛否はともかく興味を引いていただいたようです。
個人ニュース界隈の、どなたが最初に見つけてくれたのかは分からないのですが、その手の個人ニュースサイトって、まぁ、それがスタンスなのかもしれないですけど、取り上げた記事にどんなことを考えたのが書かれていないのが残念。
で、記事として書かれていたものの他にも、クリッピングツールにメモしている方もいまして、そこに残された一言コメントが『「みんなが不快だは俺が不快だ」は僕が不快だw』
そういう考えの方がいるのは分からぬでもないけど、敢えて言わせてもらえば、「僕」はどう不満なの?
そういうことまで記述しない限り、文末に「w」をつけていることからも、その一言は「オマエはバカか」といっているのとたいして変わらないです。
他人に対して「不快だ」という場合、その理由を明記しない限りは、単なる悪口か、当方に悪意をこめて晒すとしてしか読み取れない。
特定個人の書いたものに対して、批判めいた事をするのに、その対象へリンクしたり、URLを記したりしていながら、相手には直接知らせない連中の考えていることが、どうにも理解しがたいです。(賞賛や同意の場合はこの限りではありませんが)
※この記事について該当者にトラックバックを送りたい所なのですが、あいにく先方は、この件について記事にしているわけではないので出来ません。また、当方としては相手に知らせることをせずに、リンクを貼ったりURLを記すことは、この記事内容に矛盾するので避けさせていただきます。
これは僕個人の批判に対するスタンスとの違いかもしれないけれど、相手に知らせないで、なおかつその相手のサイトへの入り口を用意している批判と言うのは、言ってみりゃ「バカ晒し」と何ら変わらないと思うのです。「みんなが不快だは俺が不快だ」は僕が不快だw と書いて、それを自分のサイト上に記しているのは「おーい、みんな、こんなバカがいるから見てご覧よ」という解釈以外に、どう取れと言うのでしょうか?
もちろん、後で言及するために、軽くメモ代わりとしてクリップしたのかもしれないが、それならば自分のブラウザのブックマーク欄にいれておいてもいいはずだし、他の閲覧者が見えるところに記すのなら、中途半端に貶すコメントをつける必要もあるまいに、と思うのです。
クリップしたものを自分のブログのサイドバーに表示させている、その該当者は、ブログと言うものが「公の場に情報発信されているもの」だという認識が足りないんじゃないですかね?
過日、僕を批判する記事について、その反論をトラックバックを送って書いたことについて、「えっけんはすぐ喧嘩を吹っかける」というような第三者のコメントがありましたが、自分が批判されたことに対して反論し、その記事を相手にお知らせする、ということのどこが「喧嘩」なのかと問いたいです。どうせ見つからないだろう、と思いながら批判し、見つかったら「ごめんなさい」……それならまだマシな方で、「いちゃもんつけられたぁ」と半ば逆ギレするのは、ご都合主義に過ぎないか、と思うのです。
その件について、僕を批判する記事を書いた当事者とは、該当記事のコメント欄のかなり早期に決着がついているのですが、僕が問いたいのは、その後にたくさん寄せられた、捨てハンドルや名無しのコメントです。
一部のあからさまな嫌がらせコメントについては、ハナから無視させていただきますが、「えっけんは他人の批判ばかりだ」「人のブログにけちをつけるな」といった類の、要するに「他人の批判をするな」という主旨のコメント、これはどんなものなんでしょ。
「ケチをつけるな」というコメントも僕にケチをつけていますよね?
しかも、さも自分が優位にあるかのような命令口調で。
匿名で人を批判するのに、エラソーな態度とるなっての。
「批判をするな」というものも、言ってみりゃ批判をすることに対する批判ですよ。
広くブログを巡っていると、ニュース記事の感想として、その報道の仕方や事件・事故に係わった人や物事に対する批判に、「おまえは間違っている。批判するな」などと、個人のニュースに対する感想ですら、文句を言う人が結構見つかるものなのですね。
しかしその文句を言う人の主張をよく読むと、どうやら「自分と考えが違う」ということに対して腹を立てていることが多いのです。
なんだかなぁ……
自分の意見が正しい、と主張するのは、まぁ、分かるんですけど、自分の考えと異なる者の存在を認めないような意見を、その相手のブログのコメント欄で主張するってのは、いかがなものですかねぇ…
そんなことを、
頭がスッキリするコラム:紳助報道の薄気味悪さのコメント欄のやり取りを読んで、考えました。
頭がスッキリするコラム氏が、どのような相手に向けて、どれくらいのトラックバックを送ったのかは不明です。コメント欄を読む限り、かなり多くの似た話題を取り上げたブログに向けて、送ったようです。
寄せられたコメントを読む限りは、決して無差別なトラックバックではないと思われるものの、アクセス稼ぎの宣伝トラバ、と取られても仕方のない部分はあるかもしれません。
「こちらにリンクしていない記事からのトラックバックは不快だ」は分からないわけではないですが、「自分と違う意見のトラックバックを送られて大変不快だ」と主張している人が何人かいるようで、これまたずいぶんと温室育ちが多いのだなぁ、というのが正直な感想です。
自分と同じ意見のものをたくさん集めるのは良しとして、、異論を認めないのならば、コメントやトラックバックなどの「他人が意見を言える場所」を用意しないほうがよろしいのではないでしょうか?
それともそれは僕の幻想で、ブログと言うのも所詮は仲良しごっこのツールだったのでしょうか?
別件になるのですが、ある日記系ブログにおいて書かれていたことに、読者の感想として「そんなものなら僕は不要」というコメントが残されていました。短い言葉ではありましたが、記事の内容を鑑みて、含蓄のあるコメントだと、僕は思いました。
それに対する第三者のコメントとして「オマエはずいぶんとガキだな」
「それ」が自分にとって「いる」「いらない」は各人の考え方の違いですけど、その考えの違う人に向けて「ガキだね」とか「バカじゃねーの」というのはどんなものでしょうかねぇ…
もっと理路整然と反論できないものでしょうかねぇ。
反論したい気持ちを否定する気はありませんけど、「ガキ」「バカ」「氏ね」では、語彙の低さを露呈しているに過ぎませんね。
バカはどっちだよ、というのが素直な感想です