今朝の目覚めはスッキリ、 エアコンの効いた涼しい部屋で、夏布団を纏い
右横にはクーが私の腕を枕に背を向けた状態でスヤスヤ。 足元にはチビが丸くなっている。
何時も乍らリュウはベッドには来ず、枕元の窓辺で気持ち良さそうにオヤスミ。
昨日は定期検診が心の負担になっていたらしく、 朝から妙にしんどく暑さの所為かと思っていたが
実は精神面での影響だったか、 と自分の弱さ脆さに改めて気付かされた。
楽しく笑って過ごせば免疫力アップ。 分かって居る、と云えど我が心、思い通り自由には成らず。
自分の心でありながら、自分の自由にならない己の心。 性格を変えられたら楽なのになぁ。
【 運命は変えられる、心通りの運命が与わるのだから、心を変えれば運命も変わる 】
と信じる私なのに・・・・・
農村の夕暮れ時、田畑の周りに点在する家々の窓に、ポツポツと灯りが点る。 そんな風景は泣きたくなる程大嫌い。
農家の長女、第一子として産まれ育った私には、幼い頃の記憶が殆ど無いのは何故だろう。 断片的に幾つかの記憶が残って
いるだけ。過ぎ去った人生の中で記憶に残らない出来事は多分、忘れたい消してしまいたい、そんな辛い出来事だったから ??
動物の可哀想な話、これも大っ嫌い。 そんな記事を読んだ後は胸が苦しく辛く、暫くは脳裏から離れず気分も滅入る。
以前、YouTube で中国の中年男女が川に仔猫を投げ込み、必死に泳いで岸に這い上がるのを捕まえて又、川に投げ込むのを見
てしまった事が有る。 憤りと深い哀しみに胸を締め付けられ今も忘れられない。 そして古い話だが、戦後の食料難で
動物園の餓死寸前の象が、教えられた芸を必死にして見せる、芸をすれば褒美が貰える、食料が貰える。その話も忘れられない。
そんな哀しみは今も尚、私の胸に突き刺さったまま。 私は今でも弱者に対する労りや優しさには自信がある。特に動物には。
反面、上から目線で無礼で傲慢な【人】に対する反発、反抗、闘争心は老いた今尚、困った事に健在なのである。 私が好き
なのは穏やかで平和な時間。人は優しく暖かく平和に過ごせれば特に楽しいことは無くてよい。穏やかであれば幸せだから。
こんな私の性格は良いのか悪いのか、我ながら己の心を持て余すこと多々あるため複雑。 結局、何が言いたいのやら。??
今日は猫トイレの掃除。 4個のトイレを次々分解。風呂場で洗浄の後、新しい猫砂を入れると檜の香りでスッキリ。
綺麗好きのリュウは風呂場の窓辺で寝そべって、作業を見守る監督さん。 何故かクーだけはトイレの後、ウン◯しても
砂を掛けない。 全員ウン◯の後はノンアルコールの濡れティッシュで、お尻を拭くのだが気付くのが遅い時はリュウが
砂かけをして、トイレの縁を "キューキュー" と擦り音を立てて教えて呉れる。 それでも私が寝ていたりすると、傍へ
来て "フニャ~ウニャ~早く掃除して~" と云いに来る几帳面な綺麗好き。 冬場フローリングの床に2畳のカーペットを
敷くけどカーペットの上で寛ぐ時や炬燵に入る時以外はカーペットは踏まない。歩くのはフローリングの床、カーペットの周り
を歩き決して踏まない、それが毎年なので感心しているリュウ君。(︶^︶) エッヘン 実は当然、私も同じでカーペットの上を
スリッパで歩く事はない。が、夫は平気で踏んで歩く。 畳の上をスリッパで歩く様なものだと思うのは私だけなの。
だって、スリッパで歩くフローリングのリビングで、床に2畳用のホットカーペット。踏むなら裸足で、だと思うのだけど・・・