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徒然 さやか日記

動かされた今日…渡辺和子さん

Saturday Off
気温も暖かく落ち着いた一日
朝からお陽さまのパワー
窓辺のデンドロビウム達の蕾はいっぱい!
どんどん大きくなり 嬉しい限りです

お陽さまを、小さな私の庭の 植物達も喜んでいた
朝、近くのお野菜達からは、
「お陽さまが暖かいから、カバーを外して〜!」と呼び声が掛かった
はい、了解!  私が外したいのでなく、
植物達がリクエストしてきたのです。
夕方は再びカバーもかけてあげました。
植物の命が、そうして、と言ったから。
勝手にごめんなさい🙏
謝っておくね、許してね。


今、今夜、21時過ぎ…
このblogを書く前に、胸が止まるほど、
えっ、、、と、愕然としたことを 知った。
少し、恐い。…神さま?何?何?
また、不思議な体験を、私はしている。
いったい、なぜ???

今日は、心穏やかに、牧野富太郎さんの本を読む予定だった。
のに、なぜか、なぜ? 朝から渡辺和子さんの事ばかりを考えてしまった。
2012年、初めて渡辺和子さんをTVで知り、彼女の.穏やかながら深いお言葉に釘付け状態になった。
「置かれた場所で咲きなさい」…執筆なさった御本の中のお言葉、教えが、当時の私の心を救い、以後大きな影響を与えて下さっているのだけれど、
どうしても引っかかる言葉もあり、また、彼女の 人を思い遣る慈悲の源を深く知りたくなり、また、彼女の体験してしまった幼少の悲惨な本当にあった出来事2.26事件の、
「お父上 渡辺錠太郎暗殺事件」についての彼女の、悲しみを乗り越えた力は、いったい何なのか…と、
結局は、一日の大半を 色々な資料検索や記事拝読、多くの人々を救った シスター渡辺和子さんの 苦しんでいる人々を導く一生 に触れた。

同じ和室で寝ておられた最愛の父が、9歳だった和子さんの目の前で、43発の銃弾を浴び、血まみれになってお亡くなりになられている。

心抉られる思いで、その事実を読んだ。涙が止まらなかった。
しかし、和子さんは泣かなかったと言う。
父の教え「軍人のこどもは泣いてはいけない」と言う教えを守った、と。
人を沢山、実際に殺さなければならなかった軍人ほど、辛く壮絶なものは ないではないか。
和子さんは、「あの朝、目の前で殺された父の姿が 消えることはございません」とインタビューで答えてられる。
…凄い。私なら耐えられるだろうか…。私も、知ってはいる、人の命を落とすことの苦しみは。
しかし、壮絶すぎる彼女の体験に、勝手に、涙が溢れる。
「血まみれで亡くなった父が、その死を持って私に教えてくれたのは、人の命がいかに儚いか という事です」 和子さんはそう話す。 
そして、心に突き刺さった彼女の言葉は、
「あの場にいることが出来て本当に良かった。私がいなければ、父は自分を憎んでいる者たちの中だけで死ぬことになりました。私は父の最期の時を見守るためにこの世に生を享けたのかもしれない、と思う時がございます」
「許すということの難しさ、憎しみを乗り越えて生きることの辛さがわかってこそ、見つめてこそ、苦しんでいる人達の心がわかります」

あらゆる資料を読む中で、今まで知らなかった渡辺和子さんのことを最後に、今日は締めくくりたい。

父を惨殺された衝撃と悲しみは簡単に消えるものではないけれど、恨みは乗り越えたつもりだったし、聞かれればそう答えてきた。だけれど心の奥底では許してはいなかった。
包帯を巻かれた父の遺体と対面した時も、軍人の子は泣かない、と、父の教えで泣きませんでした。
しかし、この苦しみをしっかり見つめ受け止める自分がいたから、シスターとなり、人々の苦しみ、病んだ人の苦しみから逃げる事無く共に歩けました。
この事件から50年が過ぎた1986年、50年の節目に遺族達が出席して欲しいという東京の賢崇寺で2.26事件の法要に出た時。
初老の男性が入って来ました。事件の叛乱軍の伝令を務めた人。
「正直に申しまして、敵を許す、というキリスト教的心がけで出席したわけではありません、父なら何と言うか、きっと、出なさい、と。軍人の娘は背中を見せてはならない、にげるな、と」
その読経を聞いている日は、父の命日ではなく、父を殺した人達の、命日なのだ、と。
和子さんは、法要のあと、ある墓に線香を備えて手を合わせ、振り返ると、渡辺邸襲撃を指揮し、最後に父のとどめを刺した高橋太郎と安田優 両少尉それぞれの実弟がいらっしゃった。

辛い日々は消えることはない、しかし、辛い日々をこうして語れることなしに、受け止めてから蓋をすること無しに、苦しんでいる人々、学生、人様の苦しみには、寄り添うことは出来ない。辛さから逃げてしまう自分では共に闘ってあげられない。

彼女の「置かれた立場で、咲きなさい」
笑って、優しく微笑む渡辺和子さん、を、やはり、私も少しでも見習いたい。渡辺さんほどではないけれど、私には私なりの辛い過去があり、自分の中では今も悲しい出来事。
ただ、言えることは、今、生きている
過去があっての「今」。
私の近くにたくさんの、素晴らしい人々。
その人々も皆さん歩いて来られた道のりには隠れた辛さ、苦しみをお持ちでしょう。
「爾今」で前進の日々、一生懸命の日々を、大切に優しく素晴らしいもので、と願い、締めくくりたい。
うまくは言えないけれど。

もう一度、Wikipediaで、渡辺和子を読み返しておこう…
そう思って、ふと、見ると!
愕然とした。
今日2月11日は、なんと、渡辺和子さんの
お生まれになられた、お誕生日、だった。

これは、きっと、
和子さんから、の、メッセージ!
数字の偶然や、
自分では思ってもいない導き…
これ、って…神さまから?
どうぞ、お受け取り下さい…。
頑張って。頑張りましょう。





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