『主人が,召し使いたちに適切な時に食物を与えるため,彼らの上に任命した忠実で思慮深い奴隷はいったい誰でしょうか。』 ,マタイ 24章46,47節
ものみの塔 2013年7月15日では、忠実で思慮深い奴隷の理解が改訂されました。
要点として二点
●いつ任命されたのか?
結論:1919年,イエスは有能な油そそがれた兄弟たちを選んで,忠実で思慮深い奴隷とした。
【個人的な見解】
1919年という年は1914年にイエスの臨在があったという土台があっての話ですが、
この1914年が確かにBC607年にエルサレムが陥落しイスラエル人がバビロンへ捕囚された年であるというのが前提となっています。
しかし、1914年の根拠には誤りがあると私は理解しました。
下記を参照ください。
「第一部 ものみの塔2011年10月号」
https://www.jwstudy.com/ja/bc607_1914/special1_wt2011_10/
「第二部 ものみの塔2011年11月号」
https://www.jwstudy.com/ja/bc607_1914/special2_wt2011_11/
以上のことから、忠実で思慮深い奴隷の任命に関しての記事の信ぴょう性は無いと言わざるを得ません。また、1914年以降も新たな統治体の任命があり、誰が任命の権限を行使したのか、聖書的根拠が示されていません。
●いつイエスと同じ権限があたえられる任命があるのか?
結論:天的な報いを与えられる時にこの任命を受ける。つまり、イエスが来るとされている大患難の時である。
【個人的な見解】
これに関しては、マタイ 24章46,47節と矛盾はなく大患難の時にあてはめても良いと思いました。
この記事で以前の理解と変更されたのは
一世紀当時の使徒たちは忠実で思慮深い奴隷として任命される必要がなかった。つまり忠実で思慮深い奴隷とは言えないということでした。
忠実で思慮深い奴隷がいつ任命されるにしても、問題なのは誰にも任命された事実が客観的に識別する方法が無いことです。ですから、その部分に関しては当事者以外の人々は信仰によって信じるしかないのです。組織が神の経路であることを確信するためには、個々の信者が自分自身で提供される記事の是非を真剣に調査する必要を認識することではないでしょうか。
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