ある友人(Aさん)と話をした。
⒈輸血拒否は正しいか?正しくないか?
2.バビロンの捕囚の始まりは紀元前607年は正しいか?正しくないか?
今、自分には正しくないと言う結論が出ている。
Aさん曰く、組織は今まで間違いを訂正して来た事実がある。統治体は自らも不完全な人間であり間違いをすることを認めてもいる。だから、間違いをする事を認めている組織が今現在も訂正できない間違いがあったとしても必ずいつかは正されると思っている。
上記の2つの事柄が間違いだったとしても今はそれを受け止められる。と言った。
理由を尋ねると、組織が間違える事を前提にしているので、あり得ない事ではない。と言う答えが帰ってきた。エホバは、そうした間違いを行う組織であったとしても必要であればいつでも是正される、それを待てば良い。そこには神に対する信仰が必要だと。
要するに組織の間違いを一つ一つ取り上げて一喜一憂するよりエホバとイエスに対する信仰が重要と言う訳である。
結局、組織に属する事は、不完全さも間違いも含めて受け止める寛容さと、エホバとイエスに対する強い信仰を持ち続けられる人、それがいまのAさんなのだろうと思いました。
Aさんは今までに様々な辛い経験をして来たのを見聞きしたのを知っているのでAさんの言葉には重みが感じられました。
今の自分は、組織とは距離を置き、エホバとの距離を身近に感じていることが出来るかどうかと言うジレンマがあると言う事、組織から離れる事は大切な友人も失うことになる。そうはなりたくないなあ。と心が反応してます。
そうはいっても、自分がJWとして歩んで来た数十年は辛い事が多く、日本支部、巡回監督、長老に対する信頼を失う結果になってしまいました.……集会で益を得るより毒をもられてしまう気分ってわかりますか?疲れてしまったんですね。
簡単に結論は出せません。