My Life

いつからか・・・喜びがなくなった。

宗教2世問題

2023年08月15日 | 日記
宗教2世問題(Second-Generation Religious Issue)とは、宗教的な家庭に生まれ育った人々が直面する課題や問題を指す言葉です。以下に、宗教2世問題の一般的な特徴を説明します。


1. 信仰の受け継ぎと自己同一性: 宗教2世は、宗教的な家庭や信仰のコミュニティで育ちます。彼らは親や家族から信仰や宗教的な価値観を受け継ぎますが、自己の信仰体験や自己同一性を確立する過程で、親の信仰との間に葛藤を経験することがあります。

【JW2世の自己同一性のゆがみ】
一般的な自己同一性の確立
a.自己理解: 自己の感情、思考、信念、価値観、興味関心などを理解することが重要です。自分自身に対して冷静な視点を持ち、自分がどんな人間なのかを自問自答しましょう。

b.目標設定: 自己同一性を確立するために、自分が成し遂げたいと思う目標を明確に定めることが重要です。目標を持つことで、自分の価値観や意欲をより明確に理解し、自己同一性の向上につながります。

c.経験と学び: 新しい経験を積極的に求め、自己の可能性を広げることが自己同一性を確立する上で重要です。失敗や挫折も含めて、経験から学ぶことで自分の強みや弱点を把握し、成長できます。

c.自己受容: 完璧ではない自分を受け入れることが重要です。自己否定や過度の自己批判は自己同一性を揺るがす要因となります。自分を認め、自己肯定感を高めることで、自己同一性を確立していきましょう。

d.コミュニケーション: 自分自身を他者と共有することも自己同一性を確立する手段です。信頼できる友人や家族とのコミュニケーションを通じて、自己の理解を深め、他者の視点を取り入れることができます。

e.趣味や関心事: 趣味や関心事を持つことは、自己同一性を確立する上で大切です。自分が楽しむことや情熱を持つことで、自分自身の一部を表現し、成長させることができます。

f.自己の価値を認識: 自分自身を大切にし、自己の価値を認識することが重要です。他者と比較するのではなく、自分自身を尊重し、自己の内面に向き合うことで、自己同一性を確立していくことができます。

上記の様な過程を経て自己同一性が育まれていくと思うのですが、JW2世の場合はJW組織の聖書的規範と習慣がベースとなって行くので一般社会の規範と習慣との違いの狭間で葛藤が生まれます。そこに体罰や鞭で打たれる事が加わり強制的にJWの規範と習慣や信仰心を植え付けられて来たのだと思います。そうした環境で育まれた自己同一性は、ゆがめられたものとなり一般社会に適応することを難しくしていると考えられます。


2. 自由な信仰の追求と親の期待: 宗教2世は、成長するにつれて独自の信仰体験を追求したり、異なる信仰や宗教的な視点に興味を持つことがあります。しかし、親や家族の期待や伝統に沿った信仰の継続を求められる場合、内部的な葛藤やプレッシャーが生じることがあります。

【JW2世の内部的な葛藤】
親の宗教信仰が無条件に与えられる環境で育てられたとしても、自己の経験や様々なJW以外の知識に触れる事により内部的な葛藤とプレッシャーを感じることになります。とはいっても家庭環境は様々で、JW以外の情報を極端に制限する家庭と、JW以外の情報制限が緩い家庭とでは葛藤とプレッシャーの度合いは違って来ると思います。いずれにしろJW2世は自分の親の宗教によって一般の家庭との違いを認識するようになります。そうした環境の元で成長し様々な葛藤を経験してきたのだと考えます。

3. 宗教的な疑問や脱退の衝動: 宗教2世は、自身の信仰や宗教的な教えに疑問を持つことがあります。彼らは個別の信仰体験や知識の拡大によって、独自の信念や価値観を形成する過程で、宗教的な脱退や離反の衝動を抱くことがあります。

【JW2世の離反】
辛い体罰や伝道活動の経験しながら成長するうちに学校、インターネット、職場など多くの情報に触れていくと疑問が生じてきます。そして独自の信念や価値観が生まれJW組織にとどまるか離れるかを選択することになります。中には極度な精神的な抑圧や葛藤によりうつ病や他の精神疾患を抱えてしまうことになる場合もあることでしょう。

4. 社会的な帰属意識と認識の複雑さ: 宗教2世は、宗教的なコミュニティや信者のグループとの関係性において、複雑な社会的な帰属意識を持つことがあります。彼らは、親や家族との絆や宗教的なつながりによるアイデンティティと、社会や文化の多様性への理解との間でバランスを求めることがあります。

【JW2世の悩み、苦悩】
2世は成長と共に様々な情報に触れる機会がありますが、子供の頃から当たり前の様にJWの環境に育った為に、その環境がデフォルトとなります。しかし、徐々に自分の行っている事が、世間一般と違っている事を認識していきます。そのために悩みや苦悩が生まれ葛藤の渦の中で生活することになる2世もいるのではないでしょうか。また、あってなならない事として私の知る範囲でも幾人かの2世が自殺する痛ましい出来事を耳にしたことがあります。
さらに、JW2世に限らず信者の中には精神疾患を抱えている人達が多いと感じていました。
逆に、JWの組織に上手く順応して責任ある立場になる人も大勢います。そう言う結果になっていることから組織の情報統制や組織教育がある程度はうまく働いているのかもしれません。

宗教は人類に必要か

2023年07月15日 | 日記
「宗教は人類に必要か」という問いには、様々な立場や意見が存在します。以下に、宗教が人類にとって必要とされる理由や役割をいくつか示します。


1. 絶対的な価値や意味の提供: 宗教は、人々に対して絶対的な価値や意味を提供する役割を果たすことがあります。宗教的な信仰体系や教えによって、人生の目的や存在の意味、道徳的な指針が与えられることで、人々は心の支えや安心感を得ることができます。

【エホバの証人の場合は】
絶対的な価値とは、普遍的な真理や道徳的な原則に基づいて存在するとされます。しかし、絶対的な価値に関しては、様々な意見や立場が存在するため、議論の余地があります。個々の人や文化によっても異なる考え方があるため、絶対的な価値について一般的な合意があるとは言い難いです。
 エホバの証人の場合はこの絶対的価値とする普遍的な真理として決してあやまちを犯さない神エホバが君臨しています。エホバ神は宇宙全体を含む物質、生命など全てを創造された唯一無二の存在です。そして聖書はその神から与えられた言葉として受け止められています。エホバの証人は命をこの神から与えられ神の言葉に従うなら安心感と幸福感が得られると信じています。
 しかし、人間が無限の存在であるエホバ神の全てを理解することは出来ません。ですから、絶対的な真理が存在したとしてもそれを人間が理解し解釈しようとすると、様々な理解や解釈が生まれ様々な宗派や宗教が生まれてくることになります。エホバの証人の言う真理は様々な数ある理解と解釈の一つに過ぎないのです。
 宗教が人間社会を調和させて平和を維持する役割を果たすなら必要な存在と言えるかもしれません。エホバの証人の場合は、その組織内部の人々や組織に関わった経験のある人々の中に辛く苦しんできた人々が存在する限り心の支えや安心感を得てきたとは言い難いと思います。

2. 社会の結束と共同体形成: 宗教は、社会の結束や共同体形成に重要な役割を果たすことがあります。宗教的な儀式や祭り、共有される信仰体験を通じて、人々は共同体の一員としてのアイデンティティや帰属意識を持つことができます。また、宗教は共同体の価値観や規範を形成し、社会秩序や連帯感を促進することもあります。

【エホバの証人の場合は】
 エホバの証人も宗教的な儀式や祭り、共有される信仰体験を通じて、人々は共同体の一員として、ある程度のアイデンティティや帰属意識を持つことができていると思います。しかし、残念ながらその中にいくらかの差別意識や階級意識も存在しますし、組織の上層部の人々を特別視しています。
組織内部の秩序や連帯感はあるものの、昨今の二世問題や虐待、輸血の問題が取り上げられている事から一般社会との連帯感や秩序を促進しているとは言い難いです。

3. 個人の心の安定と希望: 宗教は、個人の心の安定や希望を提供することがあります。信仰や祈りを通じて、人々は心の平穏や癒しを得ることができます。また、困難な時期や苦境において、宗教は希望や励ましを与えることがあります。

【エホバの証人の場合は】
組織内部の人々の中には、精神疾患をかかえ自殺をする人もいます。様々な問題を抱えて耐えている人も大勢います。だからこそ平安や癒しや励ましが必要なのかもしれません。そうだとしても、組織を批判したたり、教理に疑問を持つ人々を排除し、忌避する制度は人権無視の酷いもんです。


4. 倫理的な指針と社会的貢献: 宗教は、倫理的な指針や道徳的な価値を提供し、社会的な貢献を促すことがあります。宗教の教えに基づいて、他人への思いやりや公正さを実践し、社会的な問題に取り組むことが奨励されます。

【エホバの証人の場合は】
ただ、信者を増やすj事が目的の伝道活動が社会的な問題に取り組んでいるとは言えないかもしれないです。

ただし、宗教が人類に必要であるかどうかについては、宗教の役割や影響に対する個人の価値観や信念によって異なる意見が存在します。一部の人々にとっては、宗教は信仰の源や生活の指針であり、精神的な充足感や目的を与えてくれる存在です。一方で、宗教に対して疑問や批判的な視点を持つ人々も存在し、宗教以外の価値観や哲学、倫理体系に基づいて生きることを選択する場合もあります。


結論として、宗教の必要性は個人の信念や価値観に依存します。一部の人々にとっては宗教が重要な存在であり、他の人々にとっては宗教以外のものが人生の意味や目的を見出す手段となる場合もありますので、どこによりどころを持つにしても、それがいごごちの良い状態であるならば個々の決定で選択することになるのだと思います。


良い宗教とは

2023年07月12日 | 日記
「良い宗教」という表現は、主観的な価値観によって異なる解釈がされることがありますが、一般的には以下のような特徴を持つ宗教が「良い宗教」とされることが多いです。エホバの証人は良い宗教と言えますか?


1. 倫理的価値観の提供: 良い宗教は、倫理的な価値観や道徳的な指針を提供します。これには、他人への思いやり、正直さ、公平さ、慈愛などが含まれます。これらの価値観は、個人や社会の幸福と調和を促す役割を果たします。

【1.のエホバの証人見られる傾向】
倫理的な価値観や道徳的な指針を提供し、他人への思いやり、正直さ、公平さ、慈愛を示そうとしていますが、必ずしも、個人や社会の幸福と調和を促す役割を果たしているとは言えないと思います。
例えば、誕生日、クリスマス、正月、お盆、お葬式(仏式、キリスト教式)などは、一般の人々が行っていますけど、エホバの証人はこれらの行事は行わず社会、家族の調和をみだして、時には人間関係や家族関係に摩擦を生じさせています。

2. 宗教的寛容と尊重: 良い宗教は、他の宗教や信念体系に対して寛容であり、尊重を示します。他者を差別せず、異なる信念を持つ人々と共存するための枠組みを提供します。

【2.のエホバの証人にみられる傾向】
エホバの証人は、他の宗教に対して寛容ではなく排他的で、特にキリスト教系の様々な宗派をキリスト教世界とひとくくりにして批難し続けています。
エホバの証人達は、そうした人々や組織との関りを一切持ちません。


3. 個人の成長と発展の支援: 良い宗教は、個人の成長と発展を支援するための教えや実践を提供します。これには、心の平穏や自己啓発の手段、個人的な成長を促す指導やサポートが含まれます。

【3.のエホバの証人にみられる傾向】
エホバの証人は、組織的に個人の成長と発展の支援の方向性を伝道活動に傾ける様に誘導します。高等教育を受けることを事物の体制にかたち造られる事と結び付けています。
『 今日,若い人が成功するには,大学教育を受けるしかないという考え方が一般的になっています。しかし,クリスチャンは世で一般的になっている事柄にではなく,次の聖書の訓戒を心に留めます。「この事物の体制に合わせて形作られるのをやめなさい。むしろ,思いを作り直すことによって自分を変革しなさい。 』ものみの塔2005年 10/1 より引用
この様に大学教育を受けないように常に誘導して信者の心に植え付けています。

4. 社会的責任と奉仕: 良い宗教は、社会的な責任と奉仕の価値を重視します。他者への奉仕や社会のために尽力することを奨励し、共同体や世界の改善に寄与する活動を促します。

【4.のエホバの証人にみられる傾向】
エホバの証人は、社会奉仕=伝道活動と考えています。共同体や世界の改善に寄与する活動を促すと言うより、エホバの証人が唯一無二の真の宗教と教え信者を増やそうと熱心に活動しています。

5. 個人の信仰の自由と自己決定権: 良い宗教は、個人の信仰の自由と自己決定権を尊重します。個人が自分自身の信仰や宗教的な道を選択し、実践する自由を与えます。

【5.のエホバの証人にみられる傾向】
エホバの証人の考える自己決定とは、エホバ神の意思に沿うことが大前提です。つまり組織が提唱する神の意思に反する自己決定は「背教的」な自己決定とみなされることになります。しかし、一般社会の中では、国の法律、様々な規則、社会的なマナーに沿った決定が良いとされています。どちらを選択するかは個人の自由ですがエホバの証人の自己決定は一般社会に受け入れ難い決定をする傾向が見られると思います。

皆さん、エホバの証人は良い宗教ですか?



献花とは

2022年11月20日 | 日記
献花することは、JWでは異教の習わしとして行いません。
でも、何が献花で何が献花でないと言う明確な基準はありません。
王宣2011年5月の質問箱にはこうあります。
***以下引用***
■ 供花: 祭壇の周囲に置かれる花を供花と言い,これは死者の霊を弔うためのものです。当然ながら,棺の置かれている部屋や棺の中を花で飾り,場に明るさを添えるのは間違ったことではありません。 

・・・,花を作ったのは異教徒ですか。異教徒が死人に対する犠牲として花を用いたからといって,葬儀などに関連して花を用るのはまちがっていると結論してしかるべきでしょうか。前述の著者ブラッシがさらにこう述べているのは興味深いことです。「こうした初期の由来はみな忘れられており,花輪には,魔術に類することは何もつきまとってはおらず,“思いを花で伝える”というのが西洋の習慣となっている」。
・・・ですから,花を贈るのは,その行為の背後にあるものが異教の信仰とは無縁で,正しい動機でなされるなら,さしつかえない ・・・

この様に説明されていました。
このことから、葬儀に花を用いることは問題なさそうなのですが、 異教の信仰とは無縁であれば良いとも書かれています。これは誰がどんな基準で異教徒とは無縁であると判断するのか述べられていないのでその場にいるJWがどう解釈するかになります。献花だと判断されれば献花をしたことになります。葬儀の当事者が「異教の信仰とは無縁」と主張しても受け入れられません。かなり曖昧で、見た人の感覚で決められてしまいます。

一般的に結果とは以下の手順で行われます。
● 献花の手順
  1. 1. 順番がきたら祭壇に向かって遺族に会釈します。
  2. 花を両手で受け取ります。 茎の部分が左側になっています。
  3. 献花台へ進み一礼。 ...
  4. 手を持ち替え献花台へ置きます。
  5. 手を組み合わせ、頭をやや下げ黙祷(もくとう)します。
  6. 献花後、信者は十字をきり、そうでない場合は黙祷または一礼します。

過去、JWの葬儀で棺に花を入れる行為は、まったく問題にされていなかったのですが、近年、その行為は献花とみなされるようになっています。いつ、どんな理由で変わったのでしょうか?
まったくわかりません。一般的には、棺に花をいれる行為は「別れ花」と言われているようです。この行為には宗教的な意味はないようです。

ある葬儀社のサイトには

花入れの儀とは、お葬式の最後の「出棺」の際に、参列した人たちが棺の中にお別れの花を捧げる儀式のことを言います。また、ここで捧げられる花は最期のお別れの花であることから、「別れ花」と呼ばれますが、儀式そのものを指すこともあります。
この儀式自体には宗教的な意味は無く、仏式、神式、キリスト教式を問わずに行われています。

ところが、JW組織では、「別れ花」は献花とみなし、それを行えば処罰の対象となります。しかし、献花に対する明確な判断基準がないのです。
まったく、その行為で処罰された人たちはたまったもんではありません。
今の自分にとってはもう、どうでもいいことですが・・・

いったいJW組織は独自の解釈をどこまで増やしていくのやら😞 


JW活動から離れて1年8か月

2021年10月16日 | 日記
 早いもので、自然消滅をはじめてから1年8か月も経ってしまいました。今は特に言いたい事は無くなったのですが、自分の生活環境も変動が激しく、仕事が変わったり、入院を二度したり、コロナで行動制限したり、あっと言う間の20か月でした。
 今のJWも集会、大会、奉仕と活動が制限されてオンラインで行っているようですね。ズームの集会やビデオ視聴の大会には一度も参加していませんが、みなさん本当に楽しんでいるのでしょうか?まあ、終わりの日に向かって、うすっぺらな嘘でかためた真理に浸っていることに気づいてほしいものです。
 信者のみなさんが神を崇拝しているのではなく、組織を崇拝していることに気づいてほしいと願います。中には教理に矛盾を感じていても家族や友人の為に組織に留まっている人もいることでしょう。それは精神的に苦痛を伴っていると思います。自分を偽って生きなければならないからです。
 いずれにしても、宗教は人々を救いながら、人々を苦しめている相反する状況をつくり出している存在となっています。それは、人間が宗教組織を動かしているために、その根底には欲望と金と権力があり、人の心を狂わせているからだと思う。JWを含めそこに神の意志など存在しない。
もう宗教はこりごり。