私はJWの教えを受け入れた。何故受け入れたのか?
それは、
第一に神が存在する事を認識した。
第二に全ての人間には原罪がある。(イエスの贖いの必要性)
第三に神の目的を理解した。(人類の罪を取り去る、神の王国)
第四にJW組織は政治、商業、軍事の影響から離れている。
この四番目の理由で、この宗教組織は非常に健全な組織だと言う印象を受けました。
しかし、実際に信仰の道に入るという事は単に神を信じるだけではなく、そこには多くの人間関係が構築されていくわけで、様々なトラブルが起こり嫌な経験をすることになる。(実際、私の経験も大勢のJWがネット上でつぶやいていることと変わりはない。)
今回、読んだ『良心の危機』の筆者レイモンド・フランズ氏の述べているように、人間が神の組織を運営し、ごく少数の個人の考えや意見が組織の見解として外部へと流れていき、何百万人もの人々に組織の見解が浸透していくのである、フランズ氏も組織の中枢に居て大きな影響を及ぼす決定を見聞きしてその責任の重さを痛感し、かつ心を痛めていた事を赤裸々に語っていました。
私が驚いたのは組織の中枢に居る少数の人間が重要な教理や組織の見解を決定するときに多数決を行っていた事だった。多数決は民主主義の基本であり神権組織の採用すべき方法ではないと思ったからでした。真の神権組織であれば聖書の原則にあてはめて満場一致で採択されるべきだと思う。つまり反対者が一人でもいれば反対する理由を検討し議論して反対者がいなくなり全員が納得するまで決定すべきではないと言う事だ。民主的に物事を採択していたら世の政治となんら変わらないことになる。
この事からしても、JW組織は、ただの人間の組織であり、神の導きなど微塵もないという事が明らかだと確信出来ました。
また、フランズ氏は組織の採択に疑問を持ちつつ、明らかに間違っていると感じている調査も出来るだけ組織の見解に合わせる努力を続けて良心の痛みに耐えながら執筆委員の責務を果たしていました。やがて、彼はベテルを去り、その後、断絶した友人と1度だけ食卓を共にしたという理由で排斥になってしまいました。彼は上訴しましたが、その決定が覆ることはありませんでした。そしてフランズ氏の友人や知り合い達も組織の教理に個人的な意見を述べただけで排斥になってしまいました。組織に同調できない考えを持つ人たちは一気に排除されていきました。まるで魔女狩りのようです。
教理面に関しても『1914年』、『この世代』、『輸血拒否』、『羊と山羊』など、これら代表的な教理決定の背後には霊の導きは無く統治体の独断と偏見による多数決という民主的な世の政府となんら変わりのない手法によって採択されてきました。そこには神の導きなど微塵も存在していない事は明らかです。要するに少数の人間たちの独自の聖書解釈によって教理が作られていった訳です。
もちろん、導き出された数々の教理は時代と共に『新たなる光』と称していかにも霊感を受けた聖書の言葉と同等の意味を持たせて教理の変更を公然と行ってきました。過去の教理の間違いを反省することもなく、忠節心と言う言葉で信者たちを惑わし組織の見解が正しいものであるかのように圧力をかけていたのでした。
組織はものみの塔を通してこんな言葉を掲載しました。
塔96 3/15 15–20ページ
『わたしたちにはエホバの組織に忠節を示す義務があります。「忠実で思慮深い奴隷」はその組織の一部であり,この奴隷を通してクリスチャン会衆は霊的に養われています。仮に,ものみの塔協会の出版物に載せられた事柄がその時点でよく理解できない,あるいは同意できないとしたらどうでしょう。わたしたちはどうするでしょうか。憤慨して組織を離れますか。何十年も前のことですが,「ものみの塔」誌が新しい契約を千年期に適用したとき,一部の人たちは組織を離れました。また,「ものみの塔」誌がかつて中立の問題に関して述べた事柄に憤慨した人たちもいます。そうした事柄につまずいた人たちは,もし組織と兄弟たちに対する忠節を保っていたなら,エホバがそれらの事柄を明快に説明してくださるまで待ったはずです。実際,エホバはご予定の時にそうされたのです。ですから,忠節ということには,より明確な理解が忠実で思慮深い奴隷によって公表されるまで辛抱強く待つことも含まれます。 』
組織の見解が理解できなかったとしても辛抱強く待つと勧めていますが、そうではなく、自ら調査して、納得できるまで調べることではないでしょうか?
待っているだけでは思考が停止してしまうだけです。
さらにこんな言葉も、ものみの塔に掲載されました。
塔13 11/15 p. 20
『エホバの組織から与えられる指示は,奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし,わたしたちは皆,同意できるかどうかにかかわらず,どんな指示にもすぐに従うべきである。それらの指示に従うことは命を意味するからである。 』
どんな奇妙な指示でもすぐに従うと勧めていますが、これでは命令に従うロボットと同じですね。そうではなくその指示の背後にある意味を理解できるように努力する必要がありますし、組織は信者達に対して指示の意味を理解できるように説明する努力をしなければなりません。
私自身、過去の記事で分からない事は極力、組織の出版物で調べる事はしていましたが、組織外部の資料を調査することまではしませんでした。ですから、でうしても分からない場合はあきらめてました。当然ですが、組織の資料だけ調べても組織の都合の悪い物は見つけられません。
ご存じのように、組織は外部の資料に極力接することのないように、組織外の見解が書かれたものは背教的な文書として信者から遠ざけようとしていました。今思えば、私もその指示に乗せられていたんですねえ。
結局、問題なのは、JW組織の中枢である統治体が少数の正しい意見を飲み込んでしまう事です、先ほども述べましたが、少なくとも、神権組織であれば、そこから出される見解はきちっとした聖書的根拠があり、それを審議する関係者全員が多数決で決めるのではなく、満場一致で決定しなければならないと思います。
それが出来ないのであれば、神権的な経路に、人間の組織は不必要なのかもしれません。所詮、人間組織には正しく人々を導くことは出来ないのですから、神と人間との関係が良好になれば、おのずと人間関係も円滑に平和になっていくように思います。そもそも聖書にある地上の人間組織(部族や王国)に関する記述は、うまく存続できた組織の例はまったく無く、滅んだり消滅した組織ばかりですよね。
次回、JWの組織の特徴を考えてみたいと思います。
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