宮本武蔵が京都 剣道指南役 吉岡一門と最後の戦いをした 一条下り松(左京区 洛北)
訪ねた年月 忘却 「下り松」囲いもなく ポッント痩せた松の木 サイトの写真とは違う
1964「一条寺の決斗」宮本武蔵5部作の4部 監督 内田吐夢
武蔵73人との死闘 戦い場面モノクロ(白黒 臨場感) 刈り取られた田んぼ 群がる吉岡一門
最後の戦い1965「巌流島の決斗」5部 武蔵(旧 中村錦之助) 佐々木小次郎(高倉健)
司馬さん 1979-1980「街道をゆく」16 叡山の諸道
(宮本武蔵が京都の兵法の吉岡一門と決闘したといわれる一条下り松というのは 植物としての松
もしくはそれが植えてある辻だけを指さず その集落の名であった・・)と簡単に記載
吉岡一門と戦った場所はここではないと否定される方もいますが 下り松から西を眺めれば
田畑の広域の場所であったと想像できます
下り松から東に歩けば叡山の山懐に「曼殊院」(まんしゆいん・まんじゆいん)あり
「曼殊院」で司馬さんは「円山応挙」の幽霊の図を見た ↑
(薄暗い次の間に女の幽霊の軸が垂らされた 般若顔ながら両眼がいびつなほどに大きく描かれている)
TV?雑誌?で見た有名な掛け軸がここに秘蔵されていた