ちょっと一昔前の写真を見ながら
いろいろ回想する
この数年で急激に老人度が増してきた気がする今日この頃
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安治川を挟んで
USJ側から海遊館の観覧車を望む
そもそも四十数年前カメラを始めたきっかけは安治川だった
安治川は大阪湾河口から上流へ向かい
中之島で土佐堀川と堂島川の二つに分かれ
中之島を過ぎたところでまた大川と言う一本の川となる
中之島をまたぐ天神橋から
天満橋 桜宮橋(銀橋) 都島大橋 源八橋 毛馬橋は天神祭で賑わう
(日本三大祭のひとつ天神祭はコロナで中止となった)
そして毛馬の水門を抜けると淀川となる
もともとこの四つの名前を持つ川は明治40年まで淀川本流だった
思えば大阪に住んでいた50年
日々の暮らしの中に必ずこの川があった
1日一回はこのどこかの橋を渡らない日はなかった
生活も仕事も遊びもすべてがここにあった
1970年代後半PENTAX SPの中古を買ってからは
私の大好な場所となった
場末のノスタルジックな安治川河口両岸
カメラを下げてよく通った
そこには無料の渡し舟があり両岸のノスタルジーを楽しんだ
特にその頃は
錆びつき朽ちたものに魅せられていた
寂れていた場末は今では海遊館やUSJとなり華やかになった
1980年代自転車に乗り始めてからは
旧淀川から淀川を京都まで
その途中の鳥飼大橋 枚方大橋までは
毎日朝昼晩と自転車を漕いだ時期もあった
各地のロードレースにもカメラと一緒に参加した
その頃ツーリングで1日200キロは平気で走っていた
カメラと自転車と私は常に一体だったあのころ
私の大阪暮らしは淀川無しには語れない
この川沿い以外大阪を知らないかも知れない
今頃になってつくづくそう思う
大阪市内に約50年ほど住んでいた
大阪を離れようと準備をしている頃突然
安治川のほとりに派手に大漁旗をなびかせて漁港が現れた
新鮮な海産物が売られ
ちょっとした憩いの場となった
今はもう無い
築城1585年
天守閣は完成間近に倒壊と言う伊賀上野城
しかし石垣は当時と変わらない
435年前石職人がこの隙間にこの丸い石を詰め込んだ
と
遥か昔に思いを馳せたら
ただの石ではなくなる
それは石職人ではなくただの人夫かも知れない
その人物は1日の仕事を終えて
どんな家族の元へ帰っていったのだろうか
この窓からの風景
そしてこの庭を眺めていた人物によって感慨深いものになる?
太宰治が少年期まで日常に眺めていた風景となると
ただの変哲もない風景も値打ちが違ってくると言うモノ