Seriously?

ひとりごとです

映画 ■■ドライブ・マイ・カー■■

2022年02月22日 | 映画

映画の記事書くの2年ぶり!

何もまだこんなに感染者多い時に
行かなくても…
3回目接種終わって
間違った無敵感にみなぎっている
危険だ…
 
客席は1席おきに使用
お客さんはシニアの方ばかりだった
 
 
映画 ■■ドライブ・マイ・カー■■  ☆☆
 
アカデミー賞に
ノミネートされていると聞いて
どんな名作なんだと思ったら
刺さる人には刺さる作品で
私には刺さらなかった
 
「パラサイト半地下の家族」は
テンポの良い展開で
万人にウケる作品だと思いましたが
これは観る人を選ぶ
 
元々、原作の村上春樹の作品が
私には良さがわからないから
この映画も味わう力が
なかったんだろうな
 
「ワーニャ伯父さん」や
「ゴドーを待ちながら」が
どのような内容なのか
わかっていないと楽しみも半減
「皆さん、チェーホフの戯曲は
ご存知ですよね?」
という前提で進む知的な世界を
嗜む作品だ
というか
「どこが面白いのかわからない」
と発言することは
「私は芸術を鑑賞する力のない
教養のない無知な人間です」
と、言っているようなもの
そう思われたくなくて
「あのベケットの引用は
絶妙だね!」
などと、汗をかきながら
言わないと落ち着かないタイプの
作品だ
鼻持ちならぬ
 
 
そういう気取った空気が
好きになれないが
たくさんの象徴が示唆されていて
「あれが象徴するものは何か?」
と、読み解いていく楽しみがある
1ヶ月後、2ヶ月後にジワジワと
面白くなっていくタイプの映画だ
これからの私の中の吟味が楽しみ
 
 
 
 
 
 
 
ここから先は
ネタバレ感想で!
 
 
悠介の妻・音がセックスをすると
物語が降りてくる
それは彼女の無意識の世界に
隠蔽されている想い
 
降りてきた物語の中
少女は
好きな男の子の部屋に
空き巣に入り
小物を盗む代わりに
自分のものも何か隠して帰る
それは一人っ子の男の子の
母親の支配に対する挑戦状
 
そして
男の子に
「気付いてほしい」という
サイン
 
男の子は「悠介」の象徴か?
音は、悠介に
気付いて欲しかったのか
自分がこっそりと
悪いことをしていること
 
「本物の空き巣」も「悠介」の象徴
少女は左目にペンを刺して
殺してしまった
 
音は悠介に不倫現場を見られたこと
知っていた
(或は後日そう感じた?)
利己的な裏切りで
悠介の心を汚してしまった
殺してしまった
その罪悪感に苛まれていた
 
でも、男の子の家が
何事もなかったかのように
空き巣の死を隠蔽したように
悠介も
「裏切りなんてなかった」
かのように
全く今まで通りの毎日を続ける
 
悠介は音が好きだから
見なかったことにして
二人の生活を続けたいと思った
 
でも音は
悠介がショックや怒りを隠して
平静を装っていることを知っている
針の筵
 
叱責されることよりも怖いのは
無視されること
 
音は「私はここにいます」と
悠介に気付いて欲しかったのだ
あんなに近くにいたのに
気付かれていない
満たされない思いを抱えていたとは
 
 
「ゆっくり話し合いましょう」
と、言った日に
くも膜下出血で亡くなるのは
ちょっと都合良すぎないか…
 
でも、音の死は
悠介のせいじゃない
 
でも悠介は自分を責める
 
 
多言語と手話で
演じられる「ワーニャ伯父さん」
一つの戯曲を通して
違う言語を話す人達が
心を通わせる
 
時々
複数の言語や
手話を理解する人がいて
ようやく分かり合える
 
「分かりたい」
「分かってほしい」
「分からない」
「分かってもらえない」
というもどかしさは
みんな多かれ少なかれ抱えている
 
 
言葉では分かり合えないという
どうしようもない燻りを抱えたまま
混然とする舞台に立ち
主人公の絶望を演じることで
悠介は傷を治していったのだと
思った
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