◎【フォトエッセー】
山城知佳子
「記憶の部屋」
「目を閉じてあなたが部屋に入るのを思い描き、左肩越しに見渡して下さい。家具が一点、窓が一つ、絵が一つ、あるいはその部屋の角にいつも置かれているものを見てください。この場所はあなたの最初の記憶の部屋です。あなたの記憶を蓄えるための部屋を構成する壁面と部屋の角を入れた10個所を思い描いて下さい。さらに場所が必要なら、隣の壁をつたって部屋を幾つ足しても構いませんが、必ず同じ方法で思い描いて下さい」
……部屋に入る。真正面の窓の脇に母の鏡台が置かれている。窓の外から差込む光が鏡面に反射してまぶしい。幼児期に過ごした見慣れた部屋を左肩越しにぐるりと半円描いて見渡す。左側の木目のある壁に近づくと鉛筆書きの落書きを見つける。覚えたてのひらがなで、私の名前と2人の兄の名前が鏡に映ったようにひっくり返って書かれている。
と、突然時間が高速で進み、あたりは昼間の明るさから急激に暗くなり夜になった。壁に沿って視線を下方に向けるとレコードプレーヤーを囲んでゲームに興じる小さな兄達が現れた。兄のそばには幼い私もいる。自分が分裂したようだ。大人の私が幼い私を見つめる。兄達は好きな音楽を持ち寄り、どの曲が最高に面白いかを互いに説明し合い批評している。勝ち負けを決める基準はわからないが、どうやらお気に入りの曲を聞き比べて競い合っているようだ。
幼い私は年の離れた兄達の遊びを理解できずうらやましい思いで傍らに引っ付いている。ひとしきり彼らの遊びを見た後、ぐるりと部屋の残りの隅を左肩越しに見渡し一周すると、部屋の中央に年老いた祖母が横たわっている。時間が進んだのか戻ったのか、窓の外は闇夜から昼下がりへと瞬時にして変わり、まぶしい陽光をたたえた木々がさわさわと揺れている。
電気を消した真昼の部屋の中は暗く、祖母は逆光で黒い影をかたどっている。3歳の私には祖母は威厳があり巨大に感じる。祖母は畳にひじを付いて横たわり、その近くを小さな私はちょこちょこと動き回るうち祖母の顔を足でまたいでしまった。遠くから母の声が聞こえる。祖母を足でまたぐのは失礼な行為だから止めなさいと母に注意を受ける。私は母の、祖母に対する尊敬の気持ちを初めて知り、自分の行為がいけない事だと知って驚いた。ふと、我に返る…。
『記憶の部屋』を試みた。脳の中で構成されていない情報を思い起こすために効果的な手法なのだそうだ。物のある部屋をイメージし、物体とイメージを関連させてみる。忘れてしまった情報を思い出すために、心の中にある部屋をざっと見て回り、知っている物と関連するイメージを視覚化させてみると、脳裏に映像が映り動き始める。
当時の感触や感情が徐々によみがえってくる。遠くから自分を呼ぶ声が初めは小さく、次第にはっきりと聞こえてくる。ある映画のワンシーンが私の体験した記憶と絡まる。テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』で詩人が自分自身の記憶の中の人物に問いを投げかけ、答えを求める。「明日の時の長さは?」「永遠と一日」。記憶の中で生きる人々は、心の中に定着し永遠にたたずんでいるようだ。そして詩人は彼の最期の仕事を「言葉で君を、ここへ連れ戻す」とつぶやく。と、この映画のワンシーンも私の記憶に刻まれた。
山城知佳子
「記憶の部屋」
「目を閉じてあなたが部屋に入るのを思い描き、左肩越しに見渡して下さい。家具が一点、窓が一つ、絵が一つ、あるいはその部屋の角にいつも置かれているものを見てください。この場所はあなたの最初の記憶の部屋です。あなたの記憶を蓄えるための部屋を構成する壁面と部屋の角を入れた10個所を思い描いて下さい。さらに場所が必要なら、隣の壁をつたって部屋を幾つ足しても構いませんが、必ず同じ方法で思い描いて下さい」
……部屋に入る。真正面の窓の脇に母の鏡台が置かれている。窓の外から差込む光が鏡面に反射してまぶしい。幼児期に過ごした見慣れた部屋を左肩越しにぐるりと半円描いて見渡す。左側の木目のある壁に近づくと鉛筆書きの落書きを見つける。覚えたてのひらがなで、私の名前と2人の兄の名前が鏡に映ったようにひっくり返って書かれている。
と、突然時間が高速で進み、あたりは昼間の明るさから急激に暗くなり夜になった。壁に沿って視線を下方に向けるとレコードプレーヤーを囲んでゲームに興じる小さな兄達が現れた。兄のそばには幼い私もいる。自分が分裂したようだ。大人の私が幼い私を見つめる。兄達は好きな音楽を持ち寄り、どの曲が最高に面白いかを互いに説明し合い批評している。勝ち負けを決める基準はわからないが、どうやらお気に入りの曲を聞き比べて競い合っているようだ。
幼い私は年の離れた兄達の遊びを理解できずうらやましい思いで傍らに引っ付いている。ひとしきり彼らの遊びを見た後、ぐるりと部屋の残りの隅を左肩越しに見渡し一周すると、部屋の中央に年老いた祖母が横たわっている。時間が進んだのか戻ったのか、窓の外は闇夜から昼下がりへと瞬時にして変わり、まぶしい陽光をたたえた木々がさわさわと揺れている。
電気を消した真昼の部屋の中は暗く、祖母は逆光で黒い影をかたどっている。3歳の私には祖母は威厳があり巨大に感じる。祖母は畳にひじを付いて横たわり、その近くを小さな私はちょこちょこと動き回るうち祖母の顔を足でまたいでしまった。遠くから母の声が聞こえる。祖母を足でまたぐのは失礼な行為だから止めなさいと母に注意を受ける。私は母の、祖母に対する尊敬の気持ちを初めて知り、自分の行為がいけない事だと知って驚いた。ふと、我に返る…。
『記憶の部屋』を試みた。脳の中で構成されていない情報を思い起こすために効果的な手法なのだそうだ。物のある部屋をイメージし、物体とイメージを関連させてみる。忘れてしまった情報を思い出すために、心の中にある部屋をざっと見て回り、知っている物と関連するイメージを視覚化させてみると、脳裏に映像が映り動き始める。
当時の感触や感情が徐々によみがえってくる。遠くから自分を呼ぶ声が初めは小さく、次第にはっきりと聞こえてくる。ある映画のワンシーンが私の体験した記憶と絡まる。テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』で詩人が自分自身の記憶の中の人物に問いを投げかけ、答えを求める。「明日の時の長さは?」「永遠と一日」。記憶の中で生きる人々は、心の中に定着し永遠にたたずんでいるようだ。そして詩人は彼の最期の仕事を「言葉で君を、ここへ連れ戻す」とつぶやく。と、この映画のワンシーンも私の記憶に刻まれた。