昨日はすごく面倒見のいい、人生の生き方をおしえてくれる石川真生さんと一緒に
東松照明さんのお宅へ。
写真人生60年のお話は話す要点に無駄がない!素晴らしくスマートで感嘆の領域でした。
色々とありましたがもったいので話しませんっ
ありがとうございましたぁ。
東松照明 「時を削る」長崎県美術館
2010年9月16日(木)~11月7日(日)
東松照明さんのお宅へ。
写真人生60年のお話は話す要点に無駄がない!素晴らしくスマートで感嘆の領域でした。
色々とありましたがもったいので話しませんっ
ありがとうございましたぁ。
東松照明 「時を削る」長崎県美術館
2010年9月16日(木)~11月7日(日)
本日、中途半端なくもりっす。
撮影断念。
ぎんぎんに晴れてないと。
最近まいにち天気予報が変わるので、読めないっす
ハイニシムイS氏は映画の仕事で、琉大映研の部長かっちんも山本監督
と撮影で沖縄を歩いているようです。
私も勉強&経験したいー!
明日こそ晴れてくれッ!
撮影断念。
ぎんぎんに晴れてないと。
最近まいにち天気予報が変わるので、読めないっす
ハイニシムイS氏は映画の仕事で、琉大映研の部長かっちんも山本監督
と撮影で沖縄を歩いているようです。
私も勉強&経験したいー!
明日こそ晴れてくれッ!
Histoire(s) du cin�ma, 1A, Toutes les histoires, 05:41-7:41
『....〈待つ〉というのは、時間を駆ることはしないが、しかしただたんに流れるままにまかせる
というのでもないような身がまえということになる。そう、ひとは向こうからやってくるのを
期して〈待つ〉。〈待つ〉ことには、「期待」や「希い」や「祈り」が内包されている。
否、いなければならない。〈待つ〉とは、その意味で、抱くことなのだ。
〈待つ〉ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづ
けることでしか維持できない。待ちおおした、待ちつくしたという想いをたえず放棄すること
なしに〈待つ〉ことはできない。
...待つことの甲斐のなさ、それを忘れたところでひとははじめて待つことができる。〈待つ〉
ことにはだから、「忘却」が内包されていなければならない。〈待つ〉とは、その意味では、
消すことでもあるのだ。
抱きながら、消す。この振り幅が、じれったさということを〈待つ〉にもたらす。待ち遠し
い、待ちこがれる、待ちわびる、待ちかねる、待ちあぐねる、待ちくたびれる、待ち明かす、
待ちつくす・・・・と、このじれを表す言葉はくどくどしいほどある。
意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではど
うにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことな
くただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」
や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそ
れを手放すことなくいること、おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。』
というのでもないような身がまえということになる。そう、ひとは向こうからやってくるのを
期して〈待つ〉。〈待つ〉ことには、「期待」や「希い」や「祈り」が内包されている。
否、いなければならない。〈待つ〉とは、その意味で、抱くことなのだ。
〈待つ〉ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづ
けることでしか維持できない。待ちおおした、待ちつくしたという想いをたえず放棄すること
なしに〈待つ〉ことはできない。
...待つことの甲斐のなさ、それを忘れたところでひとははじめて待つことができる。〈待つ〉
ことにはだから、「忘却」が内包されていなければならない。〈待つ〉とは、その意味では、
消すことでもあるのだ。
抱きながら、消す。この振り幅が、じれったさということを〈待つ〉にもたらす。待ち遠し
い、待ちこがれる、待ちわびる、待ちかねる、待ちあぐねる、待ちくたびれる、待ち明かす、
待ちつくす・・・・と、このじれを表す言葉はくどくどしいほどある。
意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではど
うにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことな
くただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」
や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそ
れを手放すことなくいること、おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。』