山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

ぁあっ、日記が間に合いませんっ

2011年01月22日 | Phillipin

今日は、フィリピン滞在3日目。

昨日スービックでの山奥トレッキング。

高速で帰ってきて今日はイントラムロス(観光地)を馬車で周り、

そのままチャイナタウンへ。

日記が間に合っておりません。

 

都会エリアのホテルやデパートにいると東京を歩いてる感覚と変わらないですが、

車で移動してると都会と都会の狭間のすぐそこにスラム街が多く見えます。

 

 

貧富の差が激しい。

激しすぎて、沖縄から来るとこの差が、ほんとに驚いてしまう。

貧富の差が激しい国。

路上で薄黒い水たまりの中で遊ぶ裸の子どもたち。

川でプラスチックのゴミを集めている小学低学年の子どもたち。

 

 

 

 


イントラムロス

2011年01月22日 | Phillipin




スペイン統治時代の名残の地。
半端ないお金持ちのコーディネートで今日までは案内付安全ガイドにお願いして夜はチャイナタウン問屋街へ。

やっぱり!

2011年01月21日 | Phillipin


フィリピンに来る前、沖縄市のフィリピンレストランで観たフィリピンのトレンディ・ドラマは大都会とジャングルが隣り合わせの設定で、物語の展開がなんだかダイナミックだった。

都会のコジャレた恋愛ドラマ。だと見ていたら突然彼女がジャングルの妖精に連れ去られ、胴体から頭が3つ増えてしまう魔法をかけられたりしてた。

なんだこれ!すげぇ展開。フィリピンって未開の森が大都会の隣にまだあるのかな?

って思ったら
その通りにアリマシタ。
写真見てください。

今日1日で私が見た世界です。

まぁでも勿論、未開ではありません。
沖縄でもあるエコツーリズムのプログラムで、山の民族のおじいちゃんはインストラクターなんですっす!
ナイフを操り竹で細工やら料理やらをデモンストレーションしてくれた現地の面白いおじいちゃん。筋肉すごい!70歳!サルを捕まえる罠作りデモンストレーションの時はサル役をこなし高い樹から飛び降りるなど、サービス精神が旺盛。

言葉も

スービックにやっと着いた

2011年01月21日 | Phillipin


フィリピンにあった米軍基地跡地のスービックに夜11時にやっと到着。

マニラからめちゃめちゃ混んでたのだが、途中洪水があったらしい。
洪水?

嘉手納基地の規模の跡地は建物を再利用して観光地を図ってるらしい。が、なんか閑散としている。
閉じた建物は巨大で不気味。その狭間にバーがあったりカジノがあったりするがイメージと違って静か~。
静か~にみんなカジノってる。

20年前に米軍が撤退して跡地利用をどうしてるのか
スービックとクラークを見ると少し参考になるかも

でもやっぱカジノなんだ~。。
だから知事が頻りに言うんだなぁ

でも閑散として賑わってないですょ…。

参考にしなくてもいいかなぁ。

今日はもう寝て明日はスービックの山へトレッキング&アウトドアクッキングランチだ!

到着しました

2011年01月20日 | Phillipin


マニラ空港に到着。

沖縄からは約五時間かかりました

時差は1時間。
日本時間より遅れて
ただいま午後5時ですー!

台北経由で来ましたが、機内でモスバーガーの豚肉はさんだライスバーガーがでました。

なんか機内でご飯は久々でした。昔って国内でも食事出てませんでした?

機内を降りるとやっぱりあったかい~。いや、少々暑い~。

そして湿度が高い。夏の沖縄の夜に飛行機で到着したとたんムンッと来るあの湿気と

おんなじ感じ。あれって、私の体には良い感じでしみ込んでる感覚になってて

すでに気候的には親密感を覚える。



2月にまた自分だけで来るときに忘れないようにしなきゃ

空港出て右に降りて、左回りにまた降りたところにタクシーを探すエリアが。
次に一緒におたっちと来たらすぐに案内できるように暗記しますっ。

今回はJamesoneさんの里帰りにタイミングよく同行でき、教えてもらえるので、幸運でした!

『あったかい~』
着いた途端
うっすら汗が。

フィリピンの方々
顔が沖縄と近いナ

ハルサーや海関係やってると
色クルーだから
同じくらい色黒いし。
気候は沖縄気候の初夏と言う感じで肌にあいます

ドライバーを待つ事1時間。

これからマニラから車で3時間程度揺られてスービックへ!!

 


今から出発ですー!

2011年01月20日 | Phillipin


見送りジェフリー。

これからフィリピンに台北経由で向かいますっ!

在沖20年のフィリピン出身、ジェームソンさんと。

 

 

昨日、電話したら11時に空港と言っていたのに、皆さん10時半に皆到着してて

なぜか私が遅刻になってた。意味わからんが、とりあえず急いで宮原氏に

マニラ沖縄県人会のおばさまたちへのお土産を買いに行かせる。

なぜって私すでに荷物チェックすましてこのガラス内に入ってしまった。

 


ニュースナップショット展

2011年01月14日 | 展覧会

2月6日まで!

沖縄からも関係者の方々、友人知人がたくさん観にいってくださっております!

写真によるインスタレーション作品ですので、会場でしか伝わりません。

ぜひ!

 

日本の新進作家展vol.9 [かがやきの瞬間]
ニュー・スナップショット

  • 会 期: 2010年12月11日 ( 土 ) ~ 2011年2月6日 ( 日 )
  • 休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
  • 料 金:一般 700(560)円/学生 600(480)円/中高生・65歳以上 500(400)円

( )は20名以上団体および東京都写真美術館友の会、当館の映画鑑賞券ご提示者、上記カード会員割引/
小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料/第3水曜日は65歳以上無料


フィリピンの映画

2011年01月10日 | 映画
フィリピンの映画を探してます。
今日はこれからドキュメンタリーの「イメルダ」を見ます。

●いろいろ探していたらメモ

【ブリリャンテ・メンドーサ(四十九才)監督】
注)http://bensuki.blogspot.com/2009/06/blog-post_17.htmlより抜粋

・『マサヒスタ』というゲイ専門のマッサージパーラーを舞台にしたきわどいデジタル作品で、制作費はたったの二百万円だった。
・『キナタイ()』
請負殺人をテーマに、娼婦による遺体切断といった猟奇的なシーンが話題となったサイコスリラー風の作品だ。
あまりの残酷なシーンに審査員の評価も賛否両論まっぷたつに分かれたが、類まれな独創性が認められてのカンヌ国際映画祭監督賞受賞となった。

・『マノロ』。アエタというネグリート系の先住民族の子供が文字を覚えて大人に教える教師になるという物語。
・『フォスターチャイルド』
は数々の国際映画祭で受賞。
・『セルビス』
地方の場末の成人映画館の日常をリアルに描いた『セルビス』は、昨年のカンヌ監督週間で上映されている。

今回の『キナタイ』を含みこれまで八本を制作。カンヌの監督賞で、ルネ・クレマンやマーティン・スコセッシ、ウォン・カーウァイなど世界的名監督と並び称されることになった。


【リノ・ブロッカ監督】は今もこの国の若い映画人に多大な影響を与え続けている。
母親の内縁の夫にレイプされるスラムの娘の復讐を描いた『インシャン』は、一九七六年カンヌの監督週間で上映された。
今から三十三年前のことである。

・フィリピン映画祭(一九九一年)国際交流基金
・リノ・ブロッカ監督特集(一九九七年)
・「シネマラヤ・フィリピン・インデペンデント・フィルム・フェスティバル」二○○五年

「フィリピンのインデペンデント映画のテーマとなる物語は、犯罪、暴力、貧困、売春、ゲイとシリアスなものが多い。いずれもフィリピン社会の底辺ではありふれた素材でしかないが、そこには描くに足る生命力に満ちた生活が確かにある。多くのことを語ってくれる物語の宝庫だ。


【キドラッド・タヒミック】
フィリピンふんどし日本の夏(1996)
メディア 映画
上映時間 43分
製作国 日本/フィリピン
初公開年月 不明
ジャンル ドキュメンタリー

新年おめでとうございます。

2011年01月02日 | アート活動速報
あけましておめでとうございます


年末はパフォーマンスアーティストの川口隆夫さんが来沖しまして、
4月沖縄公演のためのリサーチもあり、伊江島へ行ってきました。
寒かったですねー。風が吹くたびに1度下がる計算で、沖縄は体感温度0度だったのです。
あまりの強風に午前の船が欠航になるほど!

島をくまなく見てまわりましたが、映画作家の砂川敦志が昨年舞台公演した『赤い丘』の舞台となった
ガジュマルを見てきました。
沖縄戦時、終戦を知らずにガジュマルの樹の上で2年間生活し生き延びた2人の日本兵のあのお話です。
まだありましたよ、ツタが絡まり大きな枝を伸ばしたガジュマル。
砂川は短編映像の構想のために見に来たのですが、あまりに高くのびたガジュマルに登ってみよう計画は
あまりに高いのと寒いのとで断念。。
でも見れてよかった。

伊江島ヒーロー阿波根昌鴻さんのつくった『ヌチドゥタカラの家』へ。
阿波根さんがどんな風に活動してきたかがよくわかる資料館が併設されています。
島の北西には米軍基地があり、鉄塔へ行こうとする道を遮断していて行けないようになってました。

「ニャティア洞」がかなり広い洞窟。洞窟の中は白い砂浜になっていて、珍しい。
 (ー女性が持ち上げると子宝に恵まれるという、霊石「力石」がある。第二次大戦中は防空壕として利用され、多くの人を収容したことから「千人洞」(せんにんがま)とも呼ばれる。ーWhikipedia-)

こんな風に小旅へ行く時、記録写真をちゃんと撮るべきだなー。
日記をあとでつける時にいつも思う、その時はその場の空気がいつまでも続くような気がしてしまい、あと
また来るさとカメラを構える時間がもったいない気がしてしまうんだけど、後になるといつも後悔。
今年はこまめに撮るようにしよう。