お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

創価学会員と汚部屋について

2016-10-02 06:47:07 | 日記
文化祭からしばらくたって、私は転職し、初めて一人暮らしをすることになりました。
実家にいるときは朝の6時には出勤のために家を出ていたので、
家は寝に帰るだけの場所になっていてあまり気にしなかったのですが、
一人暮らしをはじめて改めて私は「片付けられない人」だと認識することになりました。
私の知る限りですが、創価学会の人は片付けがあまり得意でない人が多かったように感じます。
会合前には「家片付けないと……」と言っている人が多かったので、普段は片付いていないのかなと思ったりしました。
実際は片付いてるけど謙遜してるだけなのかもしれませんが、本当に片付ける人は、何もなくても片付けられるんです。
そういう友人(注:創価学会以外)を見てきたので、何となく分かります。
それに、幹部の家で会合があるときに仏壇を見ると、吹き残した埃の後があったりもしました。
私たちが来る前は埃がかぶってたんだろうなと、慌てて掃除したんだろうなと、自分の家の仏壇もそうだから察しがつきます。
実は私も片付けが大の苦手でした。ゴミ屋敷とまではいきませんが、間違いなく汚部屋でした。
なぜこのテーマで記事を書こうと思ったのかというと、
実は私は創価学会の活動から離れてしばらくしてから、部屋が片付けられるようになったからなんです。
自分でもびっくりです。
だから、創価学会と汚部屋には何らかの関係があるのか考えてみたいと思いました。
活動していたときは「部屋が片付けられるようになりますように」というのが祈りの項目に入っていたのですが、
ずっと片付けることができず、実は密かな、それでいて深刻な悩みでした。
お題目をあげたり活動したりして叶えたい願いを100コ書けと言われ、
毎年正月に書き直していたんですが、何年もずっと「部屋が片付けられますように」が入っていました。
でも、いつまでたっても、部屋は片付けられませんでした。
きっと私は部屋が片付けられない人なんだ、一生このままでも仕方ないかと思って諦めかけたこともありますが、
それでも潜在意識の中では部屋片付けたかったのかな。しつこく祈り続けていました。
でも、祈りがかなったのは、学会活動を完全に休止してからでした。
活動を休止した辺りから、部屋を片付けるということに意識が向き始め、
こ●まりさんなどの片付けの本を読んだり、断捨離を始めたりしました。
それでも、片付けも練度があるのか、努力した分だけ、少しずつ片付けられるようになっていった気がします。
片付けられるようになり始めると、部屋が多少散らかっているぐらいでも気になるようになりました。
以前は多少散らかっているぐらいでは、「物が取りやすくていい」と開き直っていました。
そしてそのうちにだんだん「散らかっている」から「汚い=汚部屋」となると
自己嫌悪に陥り、それでも「人が家に来る」時や年末年始ぐらいでないと片付けモードになれませんでした。
活動を完全に休止した頃はどん底だったので、その時はまだ片付ける余裕がありませんでした。
その後、一年ぐらい経って心が落ち着きを取り戻し始めたとき、片付けようという意識が芽生えました。
そして、そのまま少しずつ、努力した分だけ片付けられるようになっていき、
数年後、完全に勤行唱題をやめ、ご本尊を巻いた後ぐらいから、けっこう完璧に片付けられるようになりました。
私の母は私以上の汚部屋でした。
仏壇のある自分の部屋は、正座するところしか床が見える部分がなく、
部屋の隅に行くに従って、物がどんどん高く積み上がっているという状況でした。
父も汚部屋でした。父はまだ片付けるときは片付ける人なのですが、片付くまではいつも汚部屋でした。
ちなみに創価学会を完全に否定していた妹二人は片付けられる人でした。
そして、私の知る汚部屋の人の特徴でもあると思うんですけど、
その汚部屋を他人に見られることを極端に恐れてしまいます。
人の目をとても気にするくせに、普段から部屋を片付けることができません。
だから会合や家庭訪問などで人が来るとなると大変です。前日から部屋を片付け始めます。
片付け終わるといつも電池切れのようになっていました。
それが今は、努力の結果もありますが、突然友達が来ても「あがっていく?」と言える程度まで片付けられるようになりました。
ずっと憧れだったそれが、創価学会から離れたとたんにできるようになり始めたのは、
やっぱり創価学会と汚部屋が関係あるのかなと思います。
一番の原因は、マインドコントロールの影響でいびつになっている優先順位だと思います。
マインドコントロール下にあるとき、私の生活の中の優先順位は、
一番は会合や部員さんの家庭訪問、二番は友好活動(折伏や新聞啓蒙のために友人と会うこと)、三番は勤行唱題です。
ちなみに折伏や新聞啓蒙以外の用事で友人に会うこと、が四番目ぐらいに来るかと思います。
掃除の優先順位はそれ以下で、かなり低いのです。できたらやろう、と思うのですが、
一番、二番、三番をやっていると、結局時間(と気力)がなくなってしまっていたと思うのです。
たぶん幹部の人たちの中にも本当は片付けられる人たちがたくさんいると思うんですが、
掃除以上に優先順位の高いことが多く、それをさばくのでいっぱいいっぱいなので、結局片付けられなくなっているのかなと思います。
私は学会活動を休止したことで、当然ですが時間ができました。
すると、ずっと気になり続けていた「片付け」ということに初めて真剣に向き合い、
「片付けられるようになるためにはどうすればいいのか」ということを考え始めたのだと思います。
頭の中にあった「創価学会関連」の優先順位のものがすべてなくなり、
初めてそこに掃除というものが入ってくることができたのかもしれません。
ひとつできるようになると「片付けにも努力が必要だ」ということが理解できます。
努力とともに少しずつ片付けのレベルもあがっていって、「いつも自分が心地よい部屋」を作ることができるようになりました。
片付けられなかった頃の私は「片付けにも努力が必要」だということが理解できていませんでした。
お題目をあげていれば、いつか片付けられるようになると思っていたのかもしれません。
広宣流布のために戦っていれば(学会活動していれば)部屋が汚くても許されると思っていたところもありました。
だから「片付けられるようになったら片付けよう」と思っていて、必要に迫られたときしか片付けられなかったのかなと思います。
広宣流布のための戦いで時間のない創価学会員は友人との約束でさえ、優先順位の高い会合が入ってくれば平気で破ります。
さらに優先順位の低い掃除に手が回らないのは、当然のことかもしれません。
ただ、創価学会員の中にもちゃんと片付けられる人はいると思います。
私が知るのは本当に僅かですが、部屋に入った瞬間、「これはいつも片付いている部屋だ」と感じたことがありました。
だから創価学会員だからといって全員が汚部屋とは限りませんが、
さまざまな状況から、汚部屋になりやすいということはあるのかなと思います。

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