転職して、一人暮らしを始めた私は、実家のある田舎からちょっと都会的な場所に住み始めました。
初めての組織で上手くやっていけるだろうかと不安でしたが、
その日のうちに地区部長さんと女子部の部長さんが来てくれ、いろいろ親切にしてくれました。
何だかすごく心強い気持ちになりつつ、もうその日のうちに会合のスケジュールなども告げられ、
私は新しい組織でさっそく活動家としてやっていくことになったのです。
組織が変われば、雰囲気もまるでがらりと変わります。
その地区は繁華街の近くにあると言うこともあり、女子部、婦人部共に、水商売をされている方が多かったです。
女子部の場合、専業、兼業(OLをしながら水商売をしている)を合わせると、半分ぐらいが水商売関係の人だったと思います。
会合なんかも、私は仕事を終えて会合に駆けつけるのですが、彼女たちは会合を終えて出勤となります。
OLと水商売の兼業の子は、仕事を終えて会合に駆けつけ、さらに会合を終えてお店に出勤していました。
幸せになりたい……そんな気持ちが人一倍強い人たちだったと思います。
やはり接客のプロというだけあって、話し上手、聞き上手の人が多く、会合なんかも独特の雰囲気でしたが楽しかったです。
それに、水商売をされている方はいろんな事情からそのお仕事をされているということもあり、
情に厚く、私が悩んでいたときとかも本気で心配して話を聞いてくれたりしました。
これは彼女たちのほとんどが、私のように生まれた時に入会させられたのではなく、
信心をしているお店のママから折伏をされ、人生の途中から信心を始めたということも関係しているのかもしれません。
人生の途中から信心を、しかも創価学会に入るというのは、ものすごいハードルだったと思います。
だけど、それを乗り越えて信心を始めた彼女たちは、活動に対しても積極的でした。
実家のほうの組織はどちらかというと受け身の人が多かったように記憶しているのですが、
彼女たちは自分からどんどんどんな活動にも参加します。
その反面、創価学会の子として生まれた「福子」である私を羨ましがったりもしました。
でも、新聞啓蒙や折伏、選挙においても圧倒的な数の結果を出している彼女たちに羨ましがられても、
私はまったく得意になることはできませんでした。
実家の組織では多少頑張れば認めてもらえる感じでしたが、
こちらの組織では人が変わったみたいに頑張らないと、普通の成績も出せないといった状態でした。
でも、だからといって会合に行くのは嫌ということはありませんでした。
会合に行くと女子部のメンバーが愉快で楽しかったし、目標(ノルマ)を達成する楽しさも彼女たちから学んでいきました。
本当にすごい人たちだなぁとその当時は思っていたのですが、
今から思い返せば、せっかく創価学会と関係のない家に生まれてくることができたのに、
職場の上司という店のママから強引な折伏を受け、無理に会合に出ているうちにマインドコントロールされてしまった彼女たちは、
本当に気の毒だなと思います。
人一倍強い「幸せになりたい」という気持ちを、創価学会に見事に利用されてしまったのです。
でも、その彼女たちの大部分は、今は非活だったり、脱会していると聞き、
私はその事実だけは、本当に救われたような気持ちになります。
一人一人の人柄が、本当に温かくて私も精神的にたくさん助けてもらったので、
もう二度と創価学会に関わっちゃ駄目だよ、と思っています。
その一方で、未だにマインドコントロールが解けず、学会活動をだましだまし、もしくは喜んでやっているのは
ほとんどが創価学会員の子として生まれた学会二世、つまり「福子」だったりして、
そのマインドコントロールの深さに悲しくなったりもします。
ただ、仲の良かった元水商売の一人は、今もまだ創価学会を信じ、自分をだましだまし活動を続けています。
折伏の親である店のママとの関係も深く、マインドコントロールも深いようでした。
実は私は覚醒後に彼女に対し「創価学会を脱会することにした」というメールを送りました。
返事は全く期待していませんでした。何しろ創価学会は脱会者に対してとても冷たいからです。
「ホウボウ(創価学会の教義に背く恐ろしい行為。地獄に落ちるとされている)だ」「関わったら自分も引きずられる」「恩知らず」等々。
創価学会員は脱会者をさまざまな言葉で罵り、徹底的に見下します。
でも、その彼女からは驚いたことに返事が来ました。
「近々会おうよ」という返事で、私はまた驚きました。
それで、本当にメールを送ってすぐぐらいに会うことになりました。
お互いに近況報告をしつつも、何だか微妙な空気でした。
彼女は私に対してさまざまな言葉でさりげなさを装いながら説得にかかってきましたが、
以前なら素晴らしいと思ったはずのどんな言葉にも、私の心はまったく反応しませんでした。
彼女の近況も聞きました。彼女は今は水商売ではなく、普通のOLをされているのですが、
その会社が悪化した経営を建て直すため、犯罪まがいのことをおこない、彼女もそれに荷担しているというのです。
しかも、それでも会社を建て直すことはできず、今年のうちに職を失うかも知れないということでした。
「でも、私には信心がある。絶対に守られるから大丈夫」と彼女は笑って見せました。
脱会者である私に対しては、余裕を見せておかなくてはならないと思ったのかもしれません。
こんな状況だけど、一発逆転して見せつけてやると思っていたのかもしれません。
だけど、私はアルコール依存症末期の父の姿を思い出してしまいました。
「俺は大丈夫」「病院なんて行く必要はない」「俺は別に病気じゃない」
そう言い続けた父は、家の中で何度も転倒し、顔からは血を流し、トイレには間に合わなくて垂れ流しの状態でした。
ぜんぜん大丈夫なはずはありません。
私や母も「信心しているから必ず守られる」と信じ「父がお酒をやめることができますように」と祈り続けました。
でも、私たちが「功徳の奇跡」を待ち続けている間に父の症状はさらに悪くなり、最終的に「もう二度と治らない状態」になってしまったのです。
その父の姿と、友人の姿が重なりました。
私は覚醒してからさまざまな物事が絡まった糸が解けるように良くなっていったことを伝えましたが、
その瞬間、友人の「創価シャッター」ががしゃんと閉じる音が聞こえたようでした。
「創価シャッター」というのは、マインドコントロール下にある創価学会員が
マインドコントロールを解除する可能性のある都合の悪い言葉を聞いた瞬間に、一切を拒絶しようとする現象のことです。
アルコール依存症患者が、お酒をまもろうとするあまりお酒を奪われそうになると頑なになるのに似ています。
創価学会も一種の依存症だと思うのですが、そのことについては別の生地で詳しく書こうと思っています。
その創価シャッターが下りてしまうと、私の言葉はすべて彼女の耳に右から左へと流れてしまうようになります。
彼女の顔は微笑んでいましたが、必死に閉じたシャッターがあがらないように押さえ込んでいるのが分かりました。
だからせめて、「功徳の奇跡に期待するんじゃなくて、現実的な対処法も考えておいたほうがいい」ということを伝えました。
それから「仕方がないとはいえ、犯罪は犯罪。犯罪に社員を荷担させるような会社とは関わらないほうがいい」とも。
友人は「ありがとう」と言いましたが、まったく響いているとは思えませんでした。
創価学会員になると、善悪の判断も創価学会の常識をもとに判断するので、
時にそれが「犯罪行為」となることが分かっていても、「広宣流布のため」という理由をつけ、
犯罪に手を染めてしまうことがあるのです。
選挙などが良い例です。犯罪すれすれ、グレーどころか完全にブラックな行為も、
「法戦」という名のもとに、創価学会員の中だけでは正当化されてしまうのです。
そうした行為の積み重ねは、創価学会員の犯罪に対するハードルを下げ、
気がつけば、自分の個人的な事情による犯罪行為も「広宣流布のため」「仏法のため」という理由をつけ、正当化してしまうようになります。
実際に私はいくつかのそうした例を見てきましたし、犯罪者に創価学会員が多いのはそのせいでもあると思います。
「広宣流布のため」「仏法のため」と言われれば、それが悪いことでも何だか正しいような気がしてしまうのです。
彼女が脱会者である私に、わざわざ会社で自分が犯罪めいたことに荷担していることを告げたのも、
紛れもなく彼女の中の「犯罪に対するハードル」が下がっている証だと思います。
普通は犯罪めいたことをしていれば、後ろめたいし、口に出すこともできません。
簡単に口に出してしまうことがもう問題だということに、彼女自身まったく気付いていないのです。
私に友人のマインドコントロールを解くのは無理だなと思いました。
創価のマインドコントロールは、残酷なようですが、自分で本当に痛い目にあって解くしかないのです。
北風と太陽のお話と同じで、外野がいくら「創価は駄目だよ」といったところで、
コートの襟をさらに強くかき合わせ、絶対に風で飛ばされてなるものかと余計に意固地になってしまいます。
いつか彼女が「何だか暑いな」と気付いて自分からコートを脱ぐのを待つしかありません。
残酷なようですが、それしか方法はないのだと思います。
初めての組織で上手くやっていけるだろうかと不安でしたが、
その日のうちに地区部長さんと女子部の部長さんが来てくれ、いろいろ親切にしてくれました。
何だかすごく心強い気持ちになりつつ、もうその日のうちに会合のスケジュールなども告げられ、
私は新しい組織でさっそく活動家としてやっていくことになったのです。
組織が変われば、雰囲気もまるでがらりと変わります。
その地区は繁華街の近くにあると言うこともあり、女子部、婦人部共に、水商売をされている方が多かったです。
女子部の場合、専業、兼業(OLをしながら水商売をしている)を合わせると、半分ぐらいが水商売関係の人だったと思います。
会合なんかも、私は仕事を終えて会合に駆けつけるのですが、彼女たちは会合を終えて出勤となります。
OLと水商売の兼業の子は、仕事を終えて会合に駆けつけ、さらに会合を終えてお店に出勤していました。
幸せになりたい……そんな気持ちが人一倍強い人たちだったと思います。
やはり接客のプロというだけあって、話し上手、聞き上手の人が多く、会合なんかも独特の雰囲気でしたが楽しかったです。
それに、水商売をされている方はいろんな事情からそのお仕事をされているということもあり、
情に厚く、私が悩んでいたときとかも本気で心配して話を聞いてくれたりしました。
これは彼女たちのほとんどが、私のように生まれた時に入会させられたのではなく、
信心をしているお店のママから折伏をされ、人生の途中から信心を始めたということも関係しているのかもしれません。
人生の途中から信心を、しかも創価学会に入るというのは、ものすごいハードルだったと思います。
だけど、それを乗り越えて信心を始めた彼女たちは、活動に対しても積極的でした。
実家のほうの組織はどちらかというと受け身の人が多かったように記憶しているのですが、
彼女たちは自分からどんどんどんな活動にも参加します。
その反面、創価学会の子として生まれた「福子」である私を羨ましがったりもしました。
でも、新聞啓蒙や折伏、選挙においても圧倒的な数の結果を出している彼女たちに羨ましがられても、
私はまったく得意になることはできませんでした。
実家の組織では多少頑張れば認めてもらえる感じでしたが、
こちらの組織では人が変わったみたいに頑張らないと、普通の成績も出せないといった状態でした。
でも、だからといって会合に行くのは嫌ということはありませんでした。
会合に行くと女子部のメンバーが愉快で楽しかったし、目標(ノルマ)を達成する楽しさも彼女たちから学んでいきました。
本当にすごい人たちだなぁとその当時は思っていたのですが、
今から思い返せば、せっかく創価学会と関係のない家に生まれてくることができたのに、
職場の上司という店のママから強引な折伏を受け、無理に会合に出ているうちにマインドコントロールされてしまった彼女たちは、
本当に気の毒だなと思います。
人一倍強い「幸せになりたい」という気持ちを、創価学会に見事に利用されてしまったのです。
でも、その彼女たちの大部分は、今は非活だったり、脱会していると聞き、
私はその事実だけは、本当に救われたような気持ちになります。
一人一人の人柄が、本当に温かくて私も精神的にたくさん助けてもらったので、
もう二度と創価学会に関わっちゃ駄目だよ、と思っています。
その一方で、未だにマインドコントロールが解けず、学会活動をだましだまし、もしくは喜んでやっているのは
ほとんどが創価学会員の子として生まれた学会二世、つまり「福子」だったりして、
そのマインドコントロールの深さに悲しくなったりもします。
ただ、仲の良かった元水商売の一人は、今もまだ創価学会を信じ、自分をだましだまし活動を続けています。
折伏の親である店のママとの関係も深く、マインドコントロールも深いようでした。
実は私は覚醒後に彼女に対し「創価学会を脱会することにした」というメールを送りました。
返事は全く期待していませんでした。何しろ創価学会は脱会者に対してとても冷たいからです。
「ホウボウ(創価学会の教義に背く恐ろしい行為。地獄に落ちるとされている)だ」「関わったら自分も引きずられる」「恩知らず」等々。
創価学会員は脱会者をさまざまな言葉で罵り、徹底的に見下します。
でも、その彼女からは驚いたことに返事が来ました。
「近々会おうよ」という返事で、私はまた驚きました。
それで、本当にメールを送ってすぐぐらいに会うことになりました。
お互いに近況報告をしつつも、何だか微妙な空気でした。
彼女は私に対してさまざまな言葉でさりげなさを装いながら説得にかかってきましたが、
以前なら素晴らしいと思ったはずのどんな言葉にも、私の心はまったく反応しませんでした。
彼女の近況も聞きました。彼女は今は水商売ではなく、普通のOLをされているのですが、
その会社が悪化した経営を建て直すため、犯罪まがいのことをおこない、彼女もそれに荷担しているというのです。
しかも、それでも会社を建て直すことはできず、今年のうちに職を失うかも知れないということでした。
「でも、私には信心がある。絶対に守られるから大丈夫」と彼女は笑って見せました。
脱会者である私に対しては、余裕を見せておかなくてはならないと思ったのかもしれません。
こんな状況だけど、一発逆転して見せつけてやると思っていたのかもしれません。
だけど、私はアルコール依存症末期の父の姿を思い出してしまいました。
「俺は大丈夫」「病院なんて行く必要はない」「俺は別に病気じゃない」
そう言い続けた父は、家の中で何度も転倒し、顔からは血を流し、トイレには間に合わなくて垂れ流しの状態でした。
ぜんぜん大丈夫なはずはありません。
私や母も「信心しているから必ず守られる」と信じ「父がお酒をやめることができますように」と祈り続けました。
でも、私たちが「功徳の奇跡」を待ち続けている間に父の症状はさらに悪くなり、最終的に「もう二度と治らない状態」になってしまったのです。
その父の姿と、友人の姿が重なりました。
私は覚醒してからさまざまな物事が絡まった糸が解けるように良くなっていったことを伝えましたが、
その瞬間、友人の「創価シャッター」ががしゃんと閉じる音が聞こえたようでした。
「創価シャッター」というのは、マインドコントロール下にある創価学会員が
マインドコントロールを解除する可能性のある都合の悪い言葉を聞いた瞬間に、一切を拒絶しようとする現象のことです。
アルコール依存症患者が、お酒をまもろうとするあまりお酒を奪われそうになると頑なになるのに似ています。
創価学会も一種の依存症だと思うのですが、そのことについては別の生地で詳しく書こうと思っています。
その創価シャッターが下りてしまうと、私の言葉はすべて彼女の耳に右から左へと流れてしまうようになります。
彼女の顔は微笑んでいましたが、必死に閉じたシャッターがあがらないように押さえ込んでいるのが分かりました。
だからせめて、「功徳の奇跡に期待するんじゃなくて、現実的な対処法も考えておいたほうがいい」ということを伝えました。
それから「仕方がないとはいえ、犯罪は犯罪。犯罪に社員を荷担させるような会社とは関わらないほうがいい」とも。
友人は「ありがとう」と言いましたが、まったく響いているとは思えませんでした。
創価学会員になると、善悪の判断も創価学会の常識をもとに判断するので、
時にそれが「犯罪行為」となることが分かっていても、「広宣流布のため」という理由をつけ、
犯罪に手を染めてしまうことがあるのです。
選挙などが良い例です。犯罪すれすれ、グレーどころか完全にブラックな行為も、
「法戦」という名のもとに、創価学会員の中だけでは正当化されてしまうのです。
そうした行為の積み重ねは、創価学会員の犯罪に対するハードルを下げ、
気がつけば、自分の個人的な事情による犯罪行為も「広宣流布のため」「仏法のため」という理由をつけ、正当化してしまうようになります。
実際に私はいくつかのそうした例を見てきましたし、犯罪者に創価学会員が多いのはそのせいでもあると思います。
「広宣流布のため」「仏法のため」と言われれば、それが悪いことでも何だか正しいような気がしてしまうのです。
彼女が脱会者である私に、わざわざ会社で自分が犯罪めいたことに荷担していることを告げたのも、
紛れもなく彼女の中の「犯罪に対するハードル」が下がっている証だと思います。
普通は犯罪めいたことをしていれば、後ろめたいし、口に出すこともできません。
簡単に口に出してしまうことがもう問題だということに、彼女自身まったく気付いていないのです。
私に友人のマインドコントロールを解くのは無理だなと思いました。
創価のマインドコントロールは、残酷なようですが、自分で本当に痛い目にあって解くしかないのです。
北風と太陽のお話と同じで、外野がいくら「創価は駄目だよ」といったところで、
コートの襟をさらに強くかき合わせ、絶対に風で飛ばされてなるものかと余計に意固地になってしまいます。
いつか彼女が「何だか暑いな」と気付いて自分からコートを脱ぐのを待つしかありません。
残酷なようですが、それしか方法はないのだと思います。
確かに創価歴35年1世の兄弟も客観的に根拠の無い事を「絶対的真理なんだよ。」なんて事を大勢の人々に説き、それに沿った活動を続けて来たんだろうから、だんだんと創価以外でも自分の言動=真実。みたいになっちゃってますね。
それも些細な事やお遊びなら構わないんだけど重大な案件、犯罪に近い事になると危ない人になってしまいますね。
しかも信仰の結果には責任を取らない習慣も重なって「引っ掻き回すが解決できない人」が出来上がるんだなぁと納得しました
。
創価歴35年ともなると、もはや一世とか二世とか関係なくなりますよね。
うちの両親も一世で、創価歴50年とかですが、一向に良くならない状況を幹部に相談すれば「30年をめざして頑張りなさい」と言われ、30年たってもまだ幸せになれていないので相談すれば「50年をめざしなさい」と指導されたらしいです……。
そして50年を超えた今、両親は幸せなんでしょうか。
創価のマインドコントロールはあらゆる角度から責めてきますので、なかなか厄介だなと思います。
疑いを微かにでも抱くと願いが叶わないと言われますから、信心歴が長ければ長いほど(年齢をかさねればかさねるほど)、自分の人生を失敗してはいけないという焦りも重なり、頑ななほどに他の意見を聞き入れなくなっていくのかもしれません。
私は創価3世で福子ということでものごこころがつかないうちから池田大作命の両親、祖父母の家庭で育ちました
私から見ると、創価を途中で辞めた、叔母以外、親戚、兄弟姉妹、全員おかしいです
池田さんから、お菓子、数珠、おふさ、色紙、などたくさんいただきましたが祖父母、両親は世間には通用しない性格破綻者でした 信心しても子供に頼り、自分で何一つ困難を打破できていません 人間革命の池田さんは嘘ですよね
キンマンコーとかお世辞をいったほうが広布基金がたくさんとれるとか、嘘も百回いえば真実になるとか、全体主義が一番とかナチスじゃあるまいし、完全な不幸な弱者から幸せになるよと嘘をつき一部の宗教官僚がゆうふくになる詐欺団体だと思います
家族に池田大作のすべりまくる話の動画をみせてもMCは解けません 宗教よりも自分自身が襟を正し、謙虚にいきていくのが真実の人間革命だと思います
ご家族がそれだけ熱心な創価学会員だと、本当に大変だろうなと思います。
うちは両親と私以外はマインドコントロールを逃れることができましたが、もしきょうだいたちが全員マインドコントロールされていたらと思うと、本当にぞっとします。
お数珠やふくさ、色紙、懐かしいですね。
母のゴミ部屋を掃除していたとき、よれよれの池田さんからもらったふくさが出てきて「本当に母にとって池田先生は先生なのか?」と思ってしまいました。
宗教よりも自分自身が襟を正し、謙虚にいきていくのが真実の人間革命というお言葉、まさにありゃりゃさんの仰る通りだと思います。
創価家族に周りを囲まれて本当に大変だと思いますが、ありゃりゃさんはありゃりゃさんで、創価を上手く避けまくって、創価と関係のない幸せな人生を謳歌されて欲しいと思います。