いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

キリストの再臨と携挙-「危うく引き上げられる」

2020-09-16 21:41:36 | 賛美の心

キリストの再臨と携挙-「危うく引き上げられる」

 趙志剛は中国のある地方教会の長老です。大勢のクリスチャンと同じように、彼の最大の願望は、生きたまま天に引き上げられ、主と出会って共に王権を握ることでした。1999年に、宗教のリーダーたちは「2000年に主は必ず再来され、信徒が生きたまま天に引き上げられる」という情報を流しました。それを聞いて、彼はいたく感激し、もっと熱心に追い求め、揺ぎない信念を持ってその日の到来を待ち望んでいました……しかし、2000年は過ぎてしまい、彼の希望がはずれ、教会も空前の危機に見舞われました。そこで、彼は自分の歩んでいる道が正しいかどうか反省するようになりました。
全能神の王国降臨の福音が地方教会に伝えられた後、趙志剛と同労者たちは、彼らが地方教会で長年主を信じながら固く守ってきた観点の下で、全能神教会の説教者たちと深く交わり、いろいろ弁論を繰り広げました⋯⋯最後に趙志剛は、宗教界の反キリストが人を惑わす真相を見通し、はっと悟って、全能神の働きを受け入れ、とうとう神様の玉座の前に引き上げられました。彼は感激のあまり、「私は本当に危うく引き上げられた」と言いました

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キリスト教映画「滅びゆく都」神からの終わりの日の警告


聖書物語ーイエスは信じないトマスに現れる

2020-09-15 21:42:47 | 賛美の心

聖書物語ーイエスは信じないトマスに現れる

弟子たちに現れる
    その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。 


イエスは信じないトマスに現れる
    十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

    イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

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聖書の言葉


日本語ゴスペル「待ち焦がれて」私たちは主イエスの再臨を待ち焦がれている

2020-09-14 21:53:18 | 賛美の心

日本語ゴスペル「待ち焦がれて」私たちは主イエスの再臨を待ち焦がれている
世は悪魔が制す
果て無く続く夜
神を信じ、命求める道は険しい
中共が神の民を弾圧し
逮捕し、迫害する
家族には分らない
隣人に嘲罵され
世間から拒絶される
苦痛に耐え、主に呼びかける
我を強めたまえ
導きたまえ
闇にいる時、そばにいたまえ
主が信仰を強めれば
耐え拔き、救われる
主よ、サタンから救いたまえ
あなたへ戻れるよう
主の再来を待っています 天国へ行き
永遠にあなたと暮らす
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より


聖書の言葉-主イエスの教え・正直な人こそが天国に入れる

2020-09-13 20:15:51 | 賛美の心

聖書の言葉-主イエスの教え・正直な人こそが天国に入れる

 聖書の言葉
 よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない。

マルコによる福音書10:15

 この聖句から、神様は幼な子のような素朴で、率直で正直な人を好み、このような人こそ天国に入れることが分かりました。それでは、私たちはどのように追い求めれば正直な人になれるのでしょうか。

 1、祈る時に正直でなければなりません。主イエスは言われました。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネによる福音書4:23-24)。正直な人になることの第一歩は祈りから始まり、祈りは心の中にある言葉を神様に言い、本当の状態、現実の困難を神様に示すことであり、ひびきの良い言葉や不本意な言葉を言って神様を欺くのではありません。

 2、正直な人になることは本当の事を言い、嘘を拒絶することから入るべきです。主イエスは言われました。「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」(マタイによる福音書5:37)。主イエスは私たちにありのままを言い、正確で混じりけのないように求められています。このようにしないと、悪を行う者なのです。

 3、本分を尽くすことにおいていい加減に神様に対応したり、神様を欺こうとしたりしないように達すべきです。主イエスは私たちにこのように求められています。「イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。これがいちばん大切な、第一のいましめである。』」(マタイによる福音書22:37-38)主の言葉から分かったのは、クリスチャンの一人として、私たちは心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主のために費やし、さらに多くの人を神様の前に連れてきて、全身全霊でできる限りの努力をし、いい加減に神様に対応しないようにしなければなりません。

 4、正直な人になることは心を真実に神様に捧げなければなりません。これは正直な人になるための最も肝心なことです。主イエスは言われました。「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。」(マルコによる福音書7:6-7)この中から分かったのは、神様は口先の信仰と礼拝を求めず、自分の心を完全に神様に捧げ、どんな環境に臨んでも、神様の支配と采配に従い、自分の言い訳と条件を言わず、自分の利益や損得を考えないことを求められるのです。

 


言葉は肉において現れる第二章

2020-09-12 15:12:10 | 賛美の心

第二章

    フィラデルフィアの教会が形を整えたが、これはひとえに神の恵みと憐れみによる。神への愛が無数の聖徒たちの心に生じ、聖徒たちは霊の旅路においてよろめくことがない。聖徒たちは、唯一の真の神が肉となり、その神はすべてを司る宇宙の頭であるという信仰を固守する。それは聖霊によって確証され、山のように揺るぎない! そしてそれが変わることはない!

    ああ、全能神よ! 今日あなたは私たちの霊の目を開き、盲人を見えるようにし、足の不自由な者を歩けるようにし、重い皮膚病の者を癒やした。あなたは天の窓を開き、私たちに霊の世界の奥義を見せた。あなたの聖なる言葉に満たされ、サタンに堕落させられた人間性から救われること。これがあなたの計り知れないほど偉大な働き、計り知れないほど偉大な憐れみである。私たちはあなたの証人である!

    あなたは長きにわたり、沈黙して謙虚に隠れていた。あなたは死からの復活と磔の苦しみ、人間として生きる喜びと悲しみ、迫害と苦難を経験した。人の世の痛みを経験してそれを味わい、時代に見捨てられた。受肉した神は神自身である。あなたは神の旨のために私たちを汚物の山から救い、右手で私たちを持ち上げ、思うままに私たちに恵みを施した。労を惜しまず、私たちにあなたのいのちを注いだ。あなたが血、汗、涙で払った代価は聖徒たちの上に凝縮している。私たちはあなたの血のにじむような努力の産物であり、あなたが払った代価である。

    ああ、全能神よ! あなたの慈愛と憐れみ、義と威厳、聖さと謙遜ゆえに、すべての民はあなたの前にひれ伏し、永遠にあなたを拝する。

    今日、あなたはあらゆる教会、フィラデルフィアの教会を完全なものとし、それにより六千年にわたる経営(救いの)計画を実現した。聖徒たちはあなたの前で謙虚に従うことができ、霊において互いに繋がり、愛の中で互いに伴い、泉の源に繋がっている。いのちの生ける水は絶え間なく流れ、教会の汚れた泥水をすべて洗い流し、あなたの神殿を再び清くする。私たちは実際の真なる神を知るに至り、神の言葉の中を歩み、自らの役割と本分をわきまえ、教会のために自分を費やすべく、あらゆることを行なってきた。あなたの旨が私たちの中で妨げられることのないように、私たちはあなたの前で静まるたび、聖霊の働きに留意しなければならない。聖徒たちのあいだには互いへの愛があり、力ある聖徒が他の聖徒の弱みを補う。聖霊による啓きと照らしを受け、聖徒たちは常に霊の中を歩くことができる。真理を理解するとすぐに実践し、新たな光に歩調を合わせ、神の足跡に従う。

    積極的に神に協力しなさい。神に支配をゆだねることは、神とともに歩むことである。私たちの考え、観念、意見、世俗の束縛はすべて煙のように空中に消える。私たちは霊において神に至高の統治を委ね、神と歩み、それにより超越を得、世に打ち勝ち、私たちの霊は自由になって羽ばたく。それが、全能神が王になったときの結果である。どうして踊りと歌で褒め讃え、讃美と新しい賛歌を捧げずにいられようか。

    神を讃美する方法は確かにいくつもある。神の名を呼ぶ、神に近づく、神ことを考える、祈りを唱える、交わる、黙想する、熟考する、祈る、讃美歌を歌う。このような讃美の行為には喜びがあり、また聖別がある。讃美には力があり、また重荷もある。讃美には信仰があり、新たな識見がある。

    積極的に神に協力し、協調して奉仕を行ない一つになり、全能神の旨を満たし、急いで聖い霊の体となり、サタンを蹂躙し、サタンの運命を終わらせなさい。フィラデルフィアの教会は神の前に携挙され、神の栄光の中に現われる。