いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

なぜ主がわたしの祈りを聞き入れないのか

2019-06-06 22:15:30 | 賛美の心

  祈りは、クリスチャンが神との正常な関係を維持する手段の一つです。特に早祷と晩祷はクリスチャンにとって不可欠なことです。内山さんは毎日必ず祈ることにしていますが、しかし主が自分の祈りを聞き入れないといつも感じ、主の臨在さえ感じられません。彼はインターネットで自分の感じを書いた後、すぐ多くの兄弟姉妹の共感を呼びました。

  内山さんの言葉が真実であることを証明するために、一部の兄弟姉妹はまた皆さんに打ち明け話をしました。彼らは次のように言っています。「毎回の祈りの中で多くの言葉を言ったが、多くの時、独り言を言い、或いは空気に対して話すように感じ、主が自分の祈りを聞き入れなかったとはっきり感じました。そのため、自分が主に捨てられたのではないかと疑っています」。

  なぜ主がわたしたちの祈りを聞き入れないのですか。そこには、いくつかの原因があります。


第一番目の原因は、誠実な心によって主に祈ることをせず、神をごまかし、欺くことです。

  主イエスはこう言われました。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」(ヨハ4:23)。だが、わたしたちは神に祈る時、いつも心を落ち着かせて心から神に祈ることをしません。祈る時、わたしたちの口が動いているが、心の中で家のことや、仕事のことを考えていて、心が乱れています。ある時、誠実な態度で祈り、心から祈ることをせず、口先だけで祈り、形式的に祈り、二言三言言っていいかげんにごまかしてしまいました。しかも、わたしたちが祈る時、いつも大きな話をし、無意味な言葉、尾ひれの付いた言葉を言います。例えば、わたしたちは主より自分の父母や事業を愛しますが、「神よ、わたしはあなたを愛します!」と祈り、家の中で気にくわぬことが起こると、消極的になって主を怨みますが、祈りの中で、主に感謝し、主を賛美するような言葉を言います。……心からの祈りをしないなら、そして祈るばかりで実際の行動が伴わず、祈りの中で大きな話をし、無意味な言葉、心にもない言葉を言ったとしたら、神をごまかし、欺いてしまうことになります。そのような祈りを、神は絶対に聞き入れません。

第二番目の原因は、祈りの意図、目的が正しくなく、いつも神が自分に何かを与えることを要求し、神に対する従順がないことです。

  わたしたちは多くの時、祈りの中で本当のことを言うのだが、しかしいつも神に何かを要求します。例えば、仕事を持っていない者は、神に仕事を準備してくださるようにと祈り、子供を持っていない者は、神に子供を与えてくださるようにと祈り、商人は自分が神の祝福を得て、もっと多くのお金を稼ぐことができるように祈り、学生は神に賢しさ、知恵を与えてくださるようにと祈り、若者は神によい仕事を与えてくださるようにと祈り、老人は神の守りを得て、病気にもならず災難にも遭わず、無事に晩年を送るために祈ります。しかも、わたしたちは病気にかかったら、神に自分の病気をいやしてくださるようにと祈り、家に困難があったら、神に助けてくださるようにと祈ります。平安がある時、わたしたちは祈って主に感謝し、主を賛美し、しかも心の中に、主の守りを得て、いつまでも平安のうちに生きたいという欲望が生じます。患難に遭った時も、試練を受けた時も、わたしたちは神の支配、按配に従うことができず、神は苦杯をわたしたちから取り去って、わたしたちがもはや苦しみを受けないようにすると望んでいました。その上、わたしたちはいつも間違った位置に立って神に要求し、神がわたしたちの意志によって行うことを要求します。……こうして、わたしたちはそのように祈れば祈るほど、神からますます遠ざかります。なぜなら、そのように祈るのは、神と取り引きし、神を利用して自分の目的を達成するのであり、その中に、神に対する本当の信仰がなく、神に対する真の愛もないからです。神が言われたように、「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」(マタ15:8)。こういうわけで、そのような祈りを、神は全然聞き入れません。

第三番目の原因は、わたしたちの教会の中に聖霊の働きがなくて、主がわたしたちの祈りを聞かなくなることです。

  これは最も重要な原因です。律法の時代の初期を思い出してください。あの時、神殿の中で聖霊の働きがありました。人が罪を犯したら、聖霊の懲らしめを受け、神に仕える祭司が律法を犯したら、天から火が下って来て、彼らを焼き殺しました。そのため、人々は神を怖がっていて、神を畏れる心を持っていました。だが、律法の時代の後期、すなわち主イエスが働き始めた時、ユダヤ人が神殿の中で両替したり、牛や羊や鳩を売ったりして、神殿を強盗の巣にしてしまったとしても、聖霊は彼らを懲らしめませんでした。こういう時、聖霊はもう神殿を離れて、主イエスの働きを守り始めました。それなら、人が神殿の中で律法を守っても、ヤーウェ神の御名によって祈っても、聖霊の働きを得られませんでした。こうして、ヤーウェ神に仕える神殿は徹底的に宗教的な場所になりました。

  またわたしたちの教会を見てみましょう。わたしたちの今の教会は律法の時代の後期の教会と全く同じではありませんか。わたしたちは毎回欠かさずに集会に参加し、また教会の復興のために懸命に祈りますが、でも道を説く時、新しい光がありません。そのため、信徒たちも本当の供給を得られません。わたしたちは毎日聖書を読み、祈りますが、しかし聖書を読んだ後、字句の表面上の意味しか理解できず、主の言葉の真意が分かりません。その上、わたしたちは自分の霊の中が干からびて暗いとますます感じ、聖霊の臨在を感じられなくなり、たとえ酒食遊楽にふけり、地位、権勢をむさぼり、絶えず罪を犯すとしても、聖霊の懲らしめを受けません。同労者たちも腹を探り合って暗闘しますが、でも聖霊は彼らを懲らしめません。今、わたしたちは常に罪に征服されても、神に負い目があると感じず、わたしたちは異邦人のようになりました。……そのため、わたしたちはわたしたちの教会の中に聖霊の働きがないとはっきり感じました。

  以上のいくつかの原因のほかに、また別の原因がありますが、ここではもう列挙しません。では、どのような祈りは主に聞き入れられますか。


あなたと神との関係はどのようなものか

2019-06-06 21:34:32 | 賛美の心

   神の信仰においては、少なくとも神と正常な関係を持つという問題を解決する必要がある。神との正常な関係がなければ、神を信仰する意義は失われる。神との正常な関係の確立は、神の存在によって心を鎮めることによって完全に実現される。クリスチャン,悔い改める,神に祈り神との正常な関係というのは、神のいかなる業をも疑ったり否定したりせずに従えるということ、そしてさらに、神の前で善意を持ち、自分を顧みず、何をしている時も、神の家族の利益をもっとも重視し、神の監視を受け入れ、神の采配に従うということを意味する。あなたは何をするときにも、神の前で自分の心を鎮めることができる。たとえあなたが神の心を理解していなくても、本分を尽くし、責任を果たすために全力を尽くす必要がある。神の心が明らかになるまで待ってから、それを実践しても遅くはない。あなたと神との関係が正常になったときには、あなたと人々との関係も正常になるだろう。すべては神の言葉という基礎の上に確立される。神の言葉を飲食することにより、神の求めに応じて行動し、自らの見解を正し、神に逆らったり教会の邪魔になるようなことをしたりしないようにしなさい。兄弟姉妹のいのちに役立たないことはせず、他の人々の役に立たないことを言わず、恥ずべきことをしないようにしなさい。何をする時にも、公正かつ高潔に、神に見られても恥ずかしくないようにしなさい。時として肉体が弱いことがあるとしても、あなたは自己の利益に固執することなく、神の家族に恩恵を与えることを最優先し、義を行う。あなたがこように行動できるなら、あなたと神との関係は正常になる。

 

  

  あなたが何かをするときには、常に動機が正しいかどうかを吟味する必要がある。あなたが神の求めにしたがって行動できるなら、あなたと神との関係は正常である。これが最低限の基準である。自分の動機を吟味した結果、間違った動機が出てきた場合でも、そのような動機に背を向けて、神の言葉に従って行動できるなら、あなたは神の前で正しい者になるだろう。それは、あなたと神との関係が正常であることを示し、あなたのすることのすべてが、自己のためではなく神のためであることを示すだろう。何かをしたり言ったりするときには、常に心を正して義にかなうようにし、感情に流されたり、自分の意志で行動したりしないようにしなさい。これが神の信徒が自らを律する原則である。人の動機や背丈は小さなことの中に現れる。したがって、神によって全きものとされる道を進むためには、人はまず自分自身の動機や神との関係をはっきりさせる必要がある。あなたと神との関係が正常になって初めて、あなたは神により全きものとなり、そうして初めて、あなたに対する神の取り扱い、刈り込み、訓練、鍛錬が望ましい効果を達成することができる。それはつまり、人々が自分の心の中に神を抱いて、個人の利益を追求せず、個人の将来を考えず(これは肉の思いを意味する)、いのちに入るための重荷を背負って、真理の追求に最善を尽くし、神の業に従うということだ。そうすれば、あなたの追求する目標は正しく、あなたと神との関係は正常である。神との関係を正すことは、霊的な旅を始めるための第一段階であると言える。人の運命は神の手の中にあり、神によってあらかじめ決められており、自分で変えることはできないが、あなたが神により全き者とされるかどうか、神のものとされるかどうかは、あなたと神との関係が正常かどうかによって決まる。おそらく、あなたには弱い部分や従順でない部分がある。しかし、あなたの見解や動機が正しい限り、そして、あなたが神との関係を正して正常な関係にしている限り、あなたには神によって全きものとされる資格がある。あなたが神と正しい関係を持たず、肉のためや自分の家族のために行動するなら、どんなに一生懸命に働いても、何の役にもたたない。あなたの神との関係が正常であれば、すべてがあるべきところに落ち着く。神が見ているのは、あなたの神の信仰についての見解が正しいかどうかだけで、それ以外は何も見ていない。あなたが誰を信じ、誰のために信じ、なぜ信じるか。あなたがこのようなことをはっきり認識し、自分の見識や実践を正すことができれば、あなたのいのちは成長し、あなたはきっと正しい道に進むことができるだろう。あなたと神との関係が正常ではなく、あなたの神の信仰についての見解が逸脱したものであるなら、それによってそれ以外のすべては台無しになるだろう。あなたがどのように神を信仰しても、何も得られないだろう。あなたと神との関係が正常な場合にのみ、あなたが肉に背を向けて、祈り、苦しみ、耐え、従い、兄弟姉妹を助けて、神により多く献身したとき、あなたは神に認められるだろう。あなたのやることが価値や意義を持つかどうかは、あなたの意図が正しいかどうかや、あなたの見解が正しいかどうかによって決まる。近頃の多くの人の神への信仰は、首を捻じ曲げて時計を見るようなもので、その視点はねじ曲がっている。ここを突破できれば、万事が好転する。これが解決されれば万事落着するが、解決されなければ、万事が無に帰す。神の前では行儀よく振る舞うが、見えないところでは逆らってばかりいる人もいる。これはねじ曲がった偽りの現れである。この種の人はサタンの奴隷であり、神を試す典型的なサタンの化身である。わたしの業と言葉にしたがうことができて初めて、あなたは正しい人となる。あなたが神の言葉を飲食し、神に見られても恥ずかしくないことしかせず、公正かつ高潔なことしかせず、恥ずべきことをせず、人々のいのちに害のあることをせず、光の中で生き、サタンに利用されなければ、あなたの神との関係は正常化される。

  神を信じるにあたり、あなたは正しい意図と見解を正さなければならない。あなたは、神の言葉、神の業、神によって作られた環境、神によって証しされた人間、そして実践の神を正しく理解し、正しく扱う必要がある。あなたは、あなた個人の考えにしたがって行動したり、自分でささやかな計画を立てたりしてはならない。あなたは、あらゆることにおいて真理を求め、神の被造物の立場に立って、神のあらゆる業にしたがわなければならない。あなたが神によって全きものとなることを求め、いのちの正しい道に進みたいなら、あなたの心は常に神の前で生きなくてはならず、放蕩せず、サタンにしたがったり、サタンが働く機会を与えたり、自分を利用させたりしてはならない。あなたはあなた自身を完全に神にゆだね、神に支配してもらう必要がある。

  あなたはサタンの奴隷になりたいか。あなたはサタンに利用されたいか。神によって全きものとされるために、あなたは神を信じ、神を追求しているか。それとも、神の業において引き立て役になるのか。あなたは神のものとされて、意味のある人生を生きたいか、それとも、価値のないからっぽの人生を生きたいか。あなたは神に使ってもらいたいか、それともサタンに利用されたいか。あなたは神の言葉と真理で満たされたいか、それとも、罪とサタンで満たされたいか。これを考えて、選り分けよ。あなたは日々の暮らし中で、自分の言った事やした事の中から、神との関係を異常にするようなものを把握し、自らを正し、正しい生き方を選ばなければならない。常に自分の言葉、行動、やることなすこと、考えや思い付きを吟味せよ。自分の真の状態を把握し、聖霊の業の道へ入ること。このようにすることによってのみ、神との正常な関係を持つことができる。自分と神との関係が正常かどうかを測ることにより、あなたは自らの意図を正し、人の本質を理解し、自分自身を理解することができるだろう。これを通して、あなたは実体験に入り、真に自分自身を捨てて、心から委ねることができる。神との関係が正常であるかどうかを経験するような問題において、神によって全きものとされる機会を見出し、聖霊が働いているような状況を理解し、サタンの策略や陰謀の多くを見抜くことができるだろう。このようにしてのみ、あなたは神によって全きものとなることができる。神との関係を正して、神の采配に全て従うべきである。そうすればあなたは、実体験により深く入り、聖霊の業をもっと多く受け取るだろう。あなたが神と正常な関係を持つことを実践しようとするとき、肉を捨てて、神に真に協力することを通じて実践可能になることが多い。あなたは「協力の心なしでは、神の業を受け取ることは難しい。肉の試練を経ない限り、神からの祝福はない。霊が葛藤しない限り、サタンが恥じることはない」ということを理解する必要がある。このような原則を実践しはっきりと理解すれば、あなたの神の信仰についての見識は正されるだろう。あなたがたは現在の実践において、「飢えを満たすために、パンを探す」という見方や、「すべては聖霊によって成され、人が介入することはできない」という見方を捨てる必要がある。このように話す人々はみな、「人はなんでもやりたいことができ、時が来れば、聖霊が働いて、人は肉を克服する必要も協力する必要もなくなり、必要なのは聖霊に人を動かしてもらうことだけである」と考えている。このような見解はすべてばかげている。このような状況では、聖霊が働くことはできない。聖霊の業に対する大きな障害になるのは、この種の見方である。多くの場合、聖霊の業は、人の協力を通して実現される。協力や決意もなく、人の性質を変え、聖霊の業を受け、神から啓示や啓蒙を得たいと思うのは、まったく虫の良い考えである。このような態度を、「自分を甘やかし、サタンを大目に見る」と言うのだ。このような人々は、神と正常な関係を持っていない。あなたは自分自身の中にサタンの現れをたくさん見つけた。そしてあなたの過去の行動の中には、神の現在の要求に反することがたくさんあった。あなたはそれらを今捨てることができるか。神との正常な関係を獲得し、神の意図にしたがって行動し、新たな人となって新たないのちを得、過去の罪を振り返らず、後悔しすぎず、立ち上がって神と協力することができる、そして、やるべき本分を果たす。このようにすれば、あなたと神との関係は正常になるだろう。

 

  

  あなたがこのような言葉を読んだ後に、それを単に言葉通り受け止めるだけで、心を動かされなかったら、また、あなたが真剣に神と正常な関係を持とうとしていないなら、それはあなたが神との関係を重視していない証拠であり、あなたの見解はまだ正されておらず、あなたの意図は神のものとされることや神に栄光を帰すことに向けられておらず、むしろサタンの陰謀が蔓延ることや、あなたの個人的な目的を達成することを認める方向に向けられている。クリスチャン,悔い改める,神に祈りこの種の人々は、全て間違った意図や見解を持っている。彼らは、神が何をどのように言おうが無関心であり、何の変化も見られない。彼らの心はまったく畏れを感じないし、恥じることもない。この種の人は、霊のない混乱した人である。あなたは、神のいかなる発言でも、読んで理解したら、実践に移すべきである。あなたがかつてどのように実践しようが(かつてあなたの肉は弱かったかもしれないし、反抗的だったかもしれず、反逆していたかもしれないが)、それは大きな問題ではなく、あなたのいのちが今成長することを妨げることはない。あなたが今日神と正常な関係を持つことができるなら、そこには希望がある。あなたが神の言葉を読むたびに、あなたが変わり、あなたの生活がよい方向に変わったと他の人々も認めるなら、それはあなたが神と正常な関係を持っていること、関係が正されたことを示している。神は、人々の罪を基準にして扱ったりしない。あなたが理解し認識した後、二度と反抗したり逆らったりしなければ、あなたにはまだ神の慈悲がある。あなたがこのことを理解し、神により全きものとなることを求める意志があるならば、あなたの神の前での状態は正常である。何をするときにも、必ずこう考えよ。「私がこれをやったら、神はどう思うか。それは兄弟姉妹にどのような影響を与えるか。」あなたの祈り、交わり、発言、仕事、人々との接触の意図を吟味し、あなたと神との関係が正常であるかどうかを吟味せよ。もしあなたが意図と意見がどのようなものであるか見分けることができないとすれば、あなたには判断力がないということであり、それはあなたが真理を知らなすぎるということを証明している。神の行うあらゆることを明確に理解し、神の言葉にしたがって物事を見て、神の側に立って物事を見ること。このようにすれば、あなたの見解は正されるだろう。したがって、神と良好な関係を築くことは、神を信仰する誰にとっても、最優先事項になる。これは誰もが、最も重要な課題として、また、人生における重要な項目として扱うべきである。あなたのやることはすべて、神との関係が正常であるかどうかに照らして判断する必要がある。あなたの神との関係が正常であり、あなたの意図が正しいならば、それをしなさい。神との正常な関係を維持するには、個人的な利益を失うことを怖れてはならず、サタンが蔓延ることを許してはならず、サタンが自分を操ることを許してはならず、サタンがあなたを笑いものにすることを許してはならない。このようなことを避けようとすることは、あなたと神との関係が正常であることの現れである。それは肉のためではなく、むしろ、魂の平安のためであり、聖霊の業を得るためであり、神の心を満たすためである。あなたが正しい状態になろうとするなら、神と良好な関係を築く必要があり、神の信仰についての自分の見解を正す必要がある。それは、自分を神のものとされ、神の言葉の実をあなたの中に示し、あなたをさらに啓発し啓蒙することを可能にする。このようにすれば、あなたは正しい道に進むだろう。神の現在の言葉を飲食し続けて、聖霊の業の現状に溶け込み、神の現在の求めに従って行動し、古臭い慣習に従う事を止め、物事の古いやり方にしがみつくのをやめ、現在の仕事のやり方に素早く溶け込むようにしなさい。このようにすれば、あなたと神との関係は完全に正常になり、神を信仰するための正しい道に進むだろう。

 

もっと知る        

   更に多くの内容を読むには、神の名前のウェブサイトへどうぞ