いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

私は神が存在すると信じているが、私はまだ若く、人生でなすべきことが多くある。忙しくなくなるまで待ってから神を信じても、まだ救いを得られるのか。

2019-10-04 14:36:00 | 賛美の心

神の御言葉による答え:
  人間の生活には、少しのぬくもりもなく、人間らしさや光がまったくない──それなのに、人間はそれに慣れていて、価値のない人生を送り、何事も成し遂げず、走り回っている。瞬く間に死が迫り、人間は悲痛な死を迎える。人間はこの世で何事も成し遂げず、何も得ない──ただあわただしくやって来て、大急ぎで去ってゆく。その誰一人、わたしの目には何ももたらさず、何も持ち去らなかった。そこで、人間は、この世が不公平だと感じる。しかし、誰も急いで去ろうとは思っていない。わたしの天からの約束が突然人間の中に実現する日を待っているだけだ。そうなれば、たとえ道を踏み外しても、その時には、もう一度永遠の命への道が開かれるというのだ。

「全宇宙に向かって語った神の言葉」の「二十番目の言葉」より

  人々は常にこの世に迎合する傾向があり、あまりにも多くの望みを胸に抱き、将来にあまりにも多くの期待をかけ、あまりにも多くの途方もない贅沢を要求する。彼らはいつも自分の肉のことばかり思い、肉のために計画しているが、神を信じる道を求めることにはまったく興味をもたない。彼らの心はサタンの虜となり、彼らは神を畏れ敬う心を失ってしまった。そして、彼らはサタンに自分の心を捧げている。しかし、人間は神によって創られたのだ。こうして、人間は証しを失ってしまった。つまりそれは神の栄光を失ったということだ。人類を征服する目的は、人間の神への畏敬による栄光を取り戻すことだ。…あなたは、光の中に住んでいるうちはそのありがたさを感じないだろうが、いったん暗い闇夜の中に住めば光のありがたみに気づくであろう。そのときあなたは後悔するだろう。今はいいかもしれないが、後悔する日が訪れるだろう。その日が到来し、暗闇が地を覆い、もはや光がなくなる時、あなたが後悔しても遅すぎるであろう。あなたが今の時を大切にしないのは、現代における業を理解しないからである。いちど全宇宙の業が始まってしまえば、すなわち、わたしが今日言っていることのすべてが現実となる時、多くの人々が頭を抱えて悔し涙を流すだろう。これこそ、暗闇の中に落ち、泣き叫び、歯ぎしりすることでなくて何であろう。

「征服の働きの内なる真実(1)」より

   あなたは、神により完全にされる機会を求めず、完全にされることの追求に努めないのであれば、最終的に良心の呵責で満たされるであろう。完全にされる絶好の機会、絶好の時は、今である。あなたが神による完全化を熱心に追求しないならば、神の業が完了した時には手遅れで、あなたはその機会を逸したことになる。あなたの望みが如何に強かったとしても、神が業を行わなくなった場合、あなたが重ねてきた努力を問わず、あなたは決して完全にされ得ないであろう。あなたはこの機会をとらえ、聖霊の大いなる業により協力する必要がある。あなたは、この機会を逃したならば、どれほど努めてもその機会は二度と与えられないであろう。

「完全とされるために神の旨に配慮する」より

  神が繰り返し注意や呼びかけを行うのは、神が準備した、人の肉と霊魂にとって耐えられない前例のない災いをその手にもっているからであるということを知る者は、誰もいない。この災いは、単に肉の懲罰だけではなく、霊魂の懲罰でもある。あなたはこのことを知っていなければならない。すなわち、神の計画が無効にされ、神の注意と勧告が何の反応も生まないときに、神はいかなる怒りを解き放つだろうか。これは、いかなる被造物も今までに経験したことも聞いたこともないものであろう。そして、この災いは前例がなく、決して繰り返されない、とわたしは言おう。これは、神の計画の中にはただひとつの創造とただひとつの救いしかないからである。これは最初であり、最後でもある。

「神は人のいのちの源である」より

  兄弟達よ、目覚めよ!姉妹達よ、目を覚ませ!わたしの日が遅れることは無い。時間はいのちであり、時間を捕まえるということは、いのちを救うことである。その時は遠くない。入学試験を受けて合格しなかったとしても、再度挑戦し、試験のために詰め込み勉強が出来る。しかし、わたしの日には、そのような延期は無い。憶えておきなさい!しっかり憶えておきなさい!これらの良い言葉で、わたしはあなたがたに強く勧告する。世の終わりがまさにあなたがたの目の前で展開しつつある。大いなる災いが急速に迫り来る。重要なのは、あなたがたのいのちであろうか、それとも眠ることや食べること、着ることであろうか。そのうちのどれに重点を置くのか、選択の時が来たのだ。もう疑ってはならない!また、ひるむことなく真剣になりなさい。

キリストが最初に発した言葉と証し」より