いのちの源

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ギャンブラーからキリスト教徒への変身

2020-07-27 22:34:06 | 賛美の心

 競馬で賭けを行なうと言うと、それを怖がって疫病のように避ける人もいれば、ヒバリのように大喜びしていくら賭けても物足りないという人もいます。競馬に対する態度は人によって違います。私もかつてはギャンブラーで二十年以上も競馬をしていましたが、苦さと痛みを味わいました。いかにして競馬のギャンブラーから一人のキリスト教徒になったかを振り返ると、どうしても感情がこみ上げるのを感じずにはいられません……

 当時、私の収入は少なく、家族の経済的負担や資金不足もあってより多くの金を稼ごうと知恵を絞りました。ある日のこと、職場の同僚とおしゃべりしていたところ、彼はこう言いました。「『副収入のない人間は決して豊かになれない。夜、干し草に飢えている馬が決して太らないのと一緒だ』君ももっと稼ぎたかったら、競馬をしたりマーク・シックス・ロトを買ってみたらいい。十ドル分を買えば、それが何十ドルにも、何千ドルにも、何万ドルにも、何十万ドルにもなるんだ……」同僚がそう話すのを聞いていると、私の心は欲望にかき立てられ、金持ちになる夢がすぐに叶うような気がしました。

 競馬を始めたとき、私は二十ないし三十ドルしか賭けず、それで数百ドルから千ドル以上を簡単に儲けていました。私はこう考えました。「競馬で稼ぐのは難しくない。だからもっと賭ければもっと儲けられる。これは金持ちになるいい方法だ」そこで競馬新聞を買い、大儲けするにはどの馬に賭ければよいかを調べるようになりました。働いているときも競馬新聞を持ち歩いていました。一度など、新聞を読みながら機械作業をして注意力が散漫になったために、機械に手を挟まれ負傷するということもありました。数針縫う必要があり、仕事を数ヶ月休まざるを得ませんでした。

ギャンブラーからキリスト教徒への変身

 私がギャンブル中毒になったと気づいた妻は強く反対し、そのことで口論することも頻繁にありましたが、妻がなんと言おうと私は決して聞き入れませんでした。競馬でより多くの金を賭けるために、私は生活費を切り詰めました。バスに乗らず歩いて通勤し、時には食事をとらないでロールパンを買うだけにして、そうして節約した金をギャンブルにつぎ込んだのです。当時は金持ちになるという夢の中で暮らしていました。私は疲れ果てて身体を弱らせ、目はぼんやりと命を失ったように見えることがたびたびあり、両目のまわりに黒いくまが現われるようになりました。同僚たちは時々こう尋ねました。「どうして毎日そんなに疲れているんだ?」「ロールパンばかり食べて、ちゃんとした食事をとらないのはどうしてなんだ?人生を楽しめるように働いているんじゃないか?」私は普通に見えるよう努力するしかできず、こう言うのが精一杯でした。「僕はロールパンが好きなんだ。それに疲れているように見えるのは、息子が夜泣きするのでよく眠れていないせいだよ」

 競馬で儲けるたびに私は大喜びし、勝ち馬を見抜ける目を持っているような気がしました。賭ければ賭けるほど勝つチャンスが大きくなり、より多くの金を稼げる、そう考えた私は大金を得るために、儲けた金を再び賭けました。しかし大金を賭けたとき、思いがけずそれを全部失ってしまったのです。頭が真っ白になり、心がひどく痛むのを感じました。私はこう考えました。「他の誰にも負けないほど競馬を勉強し、確率や傾向を研究したのに!どうしてこんな風になってしまったのだろう?二十年以上も競馬を続けたのに金持ちになっておらず、その代わり大金を失ってしまった」一人になって落ち着いたあと、さらに考えました。「どうしてこんなことを悩んでいるんだろう?どうしてこんなつらい、くたびれるような人生を送っているんだろう?」私は徐々に将来への方向性や目標を失い、毎日無意味にぼんやりしていただけでした。

 2008年の終わりごろ、親戚の一人が神の国の福音を私に説いてくれました。しかし私は、名目上は神様を信じ始めただけで、私の人生は相変わらずギャンブルに費やされたままでした。神様を信じるならギャンブルをやめるべきだと心の中でわかってはいても、どうして競馬中毒から抜けられないのかはわかりませんでした。

 ある集会で、神様を信じ始めたあとも競馬を続けていることを兄弟姉妹に打ち明け、語り合いました。すると姉妹の一人が神様の御言葉を私に読んでくれました。「誰も神の足跡や出現を自発的に探し求めないし、誰も神の配慮と守りのもとで存在することを望まない。むしろ、人は、この世と、邪悪な人類が従う生存の法則に適応するために、進んでサタンと悪しき者の腐敗に頼ろうとする」

 私たちがサタンによって堕落させられたあと、私たちの考えや意見はすべてサタンの生命原理に支配されたことを、私は神様の御言葉によって理解しました。こうしたよくない物事が私たちの命となり、そのせいで喜んでサタンに従い、社会の傾向に従い、そして神様の御前に出向いて崇拝するという考えを持たないようになったのです。私は、「副収入のない人間は決して豊かになれない。夜、干し草に飢えている馬が決して太らない」というサタン的な思想や物の見方のせいで害を受けたこと、自分が競馬中毒になり、金持ちになることしか考えず、食事をしたり働いたりすべき時も競馬の研究をしていたこと、そしてせっかく節約した金を競馬に費やしたことを考えました。それなのに、何年もの年月を経ても金持ちになる夢は実現せず、その代わりに金をすべて失ったのです。さらに私のギャンブルのせいで妻と頻繁に口論し、私の家庭はもはや家庭のようではなくなっていました。それよりつらかったのは、私の心が競馬で一杯だったことです。人生に何の目標も持たず、それにも増して私の心は空虚で苦痛に満ちていました。多くの人々が競馬のせいで借金漬けになり、自分たちの家族を経済的な苦境に追いやり、逃れられない苦痛の中で生きていることを私は思い浮かべ、こう考えました。「サタンが私たちにこの害をもたらしたんだ!」そう気づいたとき、私はギャンブルをやめる決心をしました。

 ギャンブルをやめる決心はしたものの、競馬クラブの馬券売り場の前を通りかかり、馬券を手にしながら盛り上がったり、どの馬に賭けるべきか真剣に考えたりしている群衆を見るたび、私の両手はむずむずし、一度だけ賭けをして失った金を取り戻したいと本気で考えました。しかし、神様の前で決意したことを思い出しました。再びギャンブルをすれば、神様を騙していることにならないだろうか?こうしたことを考えながら、私は心の中で罪の意識を感じていました。しかし結局はいまだ自分を抑えられず、再び競馬をしてさらに多くの金を失ってしまうのです……

 その後の集会で、姉妹の一人が神様の御言葉を私に読んでくれました。「人間はサタンの支配下において全生涯を過ごし、自分でサタンの影響から逃れられる者は一人もいない。人間はみなけがれた世界で、堕落と空虚の中、少しの意味も価値もないままに生きている。彼らは、肉や欲望のため、そしてサタンのために、そうした気楽な生活を送る。彼らの存在には何の価値もない」「あなたは、獣同然の堕落した気楽な生活から抜け出す方法を見出すべきである。あなたは意味のある人生、価値のある人生を実際に生きるべきであり、自分をごまかしたり、自分の人生を玩具のように弄んだりしてはならない…あなたは、どのようにして自分の人生を生きるべきだろうか。あなたは、どのように神を愛し、その愛を用いて神の願いを満足させるべきであろうか。あなたの人生において、これより重要なことはない。あなたは、何よりもそうした大志と根気を持っていなければならず、骨抜きの弱虫のようであってはならない。あなたは有意義な人生を経験する方法を知り、有意義な真理を経験しなければならず、自分自身をそのようにいいかげんに扱ってはならない。あなたの人生は、気付かぬうちに過ぎてゆく。その後、あなたには神を愛する機会がもう一度あるだろうか」

 私はその言葉を慎重に考え、競馬で賭けをすることは人々を騙しそそのかすためにサタンが用いる手段なのだと知りましたが、サタンの誘惑が再び降りかかったとき、私はそれに従うことを余儀なくされ、そしてそれが、「副収入のない人間は決して豊かになれない。夜、干し草に飢えている馬が決して太らない」というサタン的な物の見方の結果だったのです。私は、自分が競馬に夢中になっていたこと、何の目的もなく一日中ぶらぶら歩いていたこと、そして人間らしさを一切持たず普通に働くことも生きることもしていなかったことを考え、こんな風に生き続けていたらますます堕落して神様から離れるだけで、神様の救いを得る機会も失われてしまうとわかりました。とりわけ、「あなたは、獣同然の堕落した気楽な生活から抜け出す方法を見出すべきである。あなたは意味のある人生、価値のある人生を実際に生きるべきであり、自分をごまかしたり、自分の人生を玩具のように弄んだりしてはならない」という神様の御言葉を読んだとき、神様が示してくださったご配慮やお考えに感謝するようになりました。神様は、私がサタンの暗い影響から脱け出し、以前の堕落した生き方を完全に捨て去ることをお望みになっていましたが、私は何度も何度も神様を悲しませていたのです。あまりにも麻痺し、反抗的でした。姉妹の一人は私にこうも語ってくれました。「私たちがどれだけつらい環境や困難に見舞われようと、誠実に神様の御前に出向き、神様に祈り、神様に頼り、神様の御手に自分を委ね、神様が私たちを支配し、すべてを整えてくださるのを認めるなら、神様はいつも私たちのために道を開いてくださいます」神様の御言葉を考え、姉妹の言葉を聞きながら、私は自分の行動の指針を持つようになりました。そして正直な心をもって神様の御前に出向き、神様に誓いを立て、神様の御言葉通りに実践し、ギャンブルへの中毒を断ち切ろうと思ったのです。

 しかし程なくして、私のギャンブル中毒が再び醜い頭をもたげました。良心が私をたしなめたものの、私はこう考えました。「ギャンブルをするのはこれが本当に最後だ。今後は絶対にしない。失った金を最後の賭けで全部取り戻したいんだ」競馬クラブに入って馬券の購入用紙を買ったとき、私の心はひどく不安を感じ、両手の震えが止まらなくなるほど激しく鼓動しました。私は購入用紙をじっと見つめましたが、心の中は真っ白でした。どう記入すればいいのかもわからず、不安のあまり頭がふらふらしました。私にできたのはクラブを離れて一息つき、心の落ち着きを取り戻すことだけでした。心が落ち着いたあと、ギャンブルを諦めたくなかったのでクラブに戻りました。そして賭けをしようとしたところ、私の心はまたも真っ白になりました。手はペンを掴んだまま前後に動きます。私は賭け方がわからず、そうする度胸もありませんでした。そのとき、神様の御言葉が心に浮かびました。「わたしが真の神であり、人間の心の奥底を探る神であることを彼が永遠に忘れないようにする。本音と建前があってはならない。わたしにはあなたがすることは全てはっきりと見えている。他の人を欺くことはできても、わたしを欺くことはできない。わたしにはすべてがはっきりと見えている。あなたは何も隠すことができない。すべてはわたしの手の中にある。」そうだ!私はずっと神様の前で誓いを立てたと思っていたのに、まだギャンブルをやめられていない、それにギャンブルをすることで明らかに神様を騙している!神様は人間の心の奥底を吟味なさいます。私がそうしている間も、神様はご覧になっていました。そして私は、競馬で賭けを行なうのがよくないことだと完全にわかっていながら、それでも繰り返し続けたのです。そうと知りつつ悪事を行なうことで、神様が私をさらに憎まれるようにしていたのです!そこで私は競馬クラブを出るとすぐ、急いで神様の御前に赴き、祈りました。「ああ、神様、サタンのそそのかしと誘惑にこれ以上苦しまず、あなたを頼り、あなたの御言葉に注意を払い、そしてギャンブルを完全にやめられるよう、私に信仰と強さをお与えください。アーメン!」そして私は、断固としてクラブをあとにしました。

 私はしばらく時間をかけて自分のギャンブル問題について神様に祈り、私のために道を開いてくださったことに感謝しました。兄弟姉妹とともに集まり、語り合い、本分を尽くすことを通じて、また神様の御言葉に従って働き、生きることを通じて、私の心は徐々に豊かさと平和を感じ始め、もはや競馬をする時間も欲求もなくなりました。時々昔のギャンブル仲間に出会うと、彼らはこう尋ねます。「最近勝ったかい?一緒に競馬に行こうじゃないか」「誰それがシックス・リング・ロトを当ててね……」そうした言葉を聞きながら、いまだに心の中で欲望が盛り上がるのを感じることもありますが、それはサタンの誘惑でありそそのかしであると気づいていました。それだけでなく、神様のために証しをし、これ以上サタンに騙される人間にはならないと、私はすでに神様に誓ったのです。だから私はこう言います。「僕はギャンブルをやめたんだ。もうやらないよ」

 その後、競馬クラブを通りかかって外に座る数多くのギャンブラーを見ても、以前のように両手がむずむずすることはなくなりました。私はギャンブルをやめた経験を思い返しました。自分自身に頼るだけでは、やめる意志も信仰も持たなかった。しかし神様の御言葉によってギャンブルの本質を完全に理解することができ、神様は私に、競馬をやめる力をお与えになった。

 現在、妻と私は神様の御言葉を頻繁に読み、教会で自分たちの本分を尽くしています。私の精神は完全に新しい見方をするようになっていて、どこに行くときも競馬新聞を持ち歩いていた過去の人生は完全に捨て去りました。神様が新しい人生を与えてくださったのは、真に神様のお恵みのおかげです!



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