いのちの源

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三自愛国は、主を信仰しているの。共産党ではないわ。主の名を呼び続け、最後まで耐え忍ぶ限り、主は私達をお見捨てにならない。そうでしょう?

2020-01-14 14:21:11 | 賛美の心

 吕姊妹:三自愛国は、主を信仰しているの。共産党ではないわ。主の名を呼び続け、最後まで耐え忍ぶ限り、主は私達をお見捨てにならない。そうでしょう?

 鄭兄弟:呂姉妹よ。私もそんな風に考えていたんだ。後になって、聖書の中で主イエスが言われたことを読んだよ。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7:21) (アーメン!)天の国に入るのは条件付きなんじゃないかと思えてきたんだ。天の国に入るためには、主の名を呼び、集まる場所があるだけじゃだめなんだ。私達は三自愛国教会に隠れて、主を信仰していると言うが、福音を広めたり主の証しをするほど果敢ではない。これが神の意志にかなっていると言えるかな?主が来たときに天の国に入る資格があるかな?

 李兄弟:ここまで話しが進んだのなら、私からも言っておきたいことがあります。天の国に連れて行かれるのは簡単なことではありません。東方閃電を研究して観察していた間に、いくつかの事がだんだんはっきりしてきたのです。今こそが主の再来を歓迎するのに大切な時なのです。主の声を聞くことができず。神の足跡をたどって、子羊の婚姻の宴に出席することができないなら天の国に入ることはまずあり得ません。ペテロが言っている。「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロ第一の手紙 4:17)。これには深い謎があります。 神の家で始まる裁きとは、主が真理を示し、人を裁いて清めるために再来したときにされる働きのことをを指しています。神の声を聞く者、神の御座の前に来る者は真っ先に裁きを経て清められる者なのです。子羊に服従するこのような者は、確かに苦難に会い世間から拒絶されるでしょう。それはヨハネの黙示録の句を成就している。「彼らは大きな患難をとおってきた人たち……」(ヨハネの黙示録 7:14)「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。」(ヨハネの黙示録 14:4)「小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。」(ヨハネの黙示録 21:27)これらの聖句は、子羊の命の書に書いてある者だけが、天の国に入ると言っています。私が思うに、中国共産党の熾烈な逮捕と迫害に耐えている全能神教会の人は断固としてキリストに従い、キリストを証ししているので彼らこそが大いなる試練を通ってきた者に違いないのだと思うのです。彼らだけが神の欲する勝利者であり、彼らだけが子羊の命の書に書かれることができるのです。彼らだけが天の国に入る資格があるのです!三自愛国教会の我々は、証しもせずに、恥を晒しながら存在を続けているのです。我々は主イエスの名を呼ぶだけで、キリストに従ってはいない。なのに、主は来たときに、我々を天国迎え入れてくださると信じている…それは夢の中で結婚したような話ですよ。考えが甘い。

「三自愛国教会は私の傘」より

 

 


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