いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

祈りの証言-生死の瀬戸際で主イエス様の御恵みを授かりました

2019-08-09 16:22:26 | 賛美の心

  私の家族は経済的に苦しんでいました。もっと良い生活をしようと、私は長年一生懸命に働きました。私は過労が原因で様々な病気に罹りました:心臓病、高血圧、神経衰弱症、頸神経圧迫、過形成腰静脈の圧迫等。私は検査を受けに病院に行った時、医師から末期症状だと言われました。当時、私はこれらの病気に苦しみ一晩中寝れませんでした。私は本当に辛い痛みに苦しみました。自分の将来とこれだけの病を抱えていることを考えると、助かる道はないと感じずにはいられませんでした。

 

  私が痛みに苦しみ、無力感に駆られていた時、私の親戚が私に主イエス様の福音を伝導してくれました。当時、私は拠り所も当てもないまま海をさまようボートのようでしたが、主が救いの御手を差し伸べてくださりました。主が側に居てくださるおかげで、私はとても温かい気持ちになり、人生にうろたえることもなくなりました。私はまた生きる希望を手にしたのです。後に、私の容態も少し改善していきました。

  2007年5月のある朝、私は朝食を作りたくなりました。私は立ち上がったとたんに突然意識を失ってしまいました。私は急いで子供にこう言いました:「助けを読んできて。気分が悪いの⋯」私の子供は急いで助けを求めに行きました。その瞬間、私は自分の体が思い通りにならない感じがして、喋ることもできませんでした。しばらくした後、私の家族と近所の人たちが来て、急いで私を地元の病院に連れて行ってくれました。しかし、医師は私を病院に入院させてはくれず、私の夫に私の病は重篤過ぎて、治療ができないと伝えたのです。母と夫が泣いているのが聞こえました。彼らはすすり泣きながらこう言っていました:「彼女はまだ若いのにこんな深刻な病に罹ってしまうなんて。一体どうしたらいいんだろう?ああ、神様!どうか彼女を御救いください!」私はこれを聞いて少し混乱し、緊張しました。私はこう思いました:「私の病気は本当に治療不可能なの?私は本当に絶望的なの?

  ちょうどその時、私は主イエス様のこと、そして私の親戚が私に福音を伝導してくれた時に言ったことを思い出しました:「私たちが信仰する主イエス様は天と地、そして万物を創造なされた唯一なる真の神であられ、生命の与え手であられるのです。どのような危険に遭遇しようとも、主は私たちの拠り所であられるのです。」この御言葉について考えた後、私はそれほど動揺しなくなりました。私はこう考えました:「神が側に居てくだされば、私は死ぬことはないのです!」そして私は心の中で主にこう祈りを捧げました:「ああ、主なる神様。今日、私はあなたの憐みと御恵みのおかげであなたの前に来ることができました。私は重篤ではありますが、全てはあなたの御手にあると信じています。私は自分をあなたの支配に委ねたいと思います。私の生死はあなたによって決まるのです。」こう祈りを捧げた後、私の心は安定して平安を感じ、私は真の信仰を抱けているように感じました。次第に、私は頭がすっきりとし、体の痛みを感じられるようにもなったのですが、呼吸するのが困難で、それによって激しい腹痛と頭痛がして、息苦しくもなりました。私たちは直ぐに病院に到着しました。診断後、医師は私は大動脈疾患と重症高血圧を患っていると言いました。私が昏睡状態に陥ったのは頸神経の圧迫と神経血管の圧迫が原因でした。ある程度の治療を行った後、医師は私に点滴をしてくださり、更なる観察のために私を緊急治療室へと運んでくれました。その時、私は心の中で絶えず主に祈りを捧げました:「ああ、主なる神様!私はあなたの御導き、そして御加護のみが私を地獄の門から引き戻してくださるものと期待していました。」私はこう祈りを捧げて少しエネルギーを得た気分になりました。私は知らぬ内に普通に呼吸ができるようになっていました。痛みは大幅に収まり、私は眠りに落ちました。

  ある夜中、私は突然の鳴き声によって目が覚めました。私と同じ病で、私から反対外のベッドにいた患者が死んでしまったのです。彼が入院してわずか2日目の出来事でした。私は彼らの鳴き声を聞きながらこう思いました:「主の御気遣いと御加護がなければ、私たちは何時、何処で死ぬか分からないわ。私たちのいのちは本当にはかないものなのね。私も病気で入院しているけど、私はまだ生きている。これは主から私への御加護なのではないかしら?」私は主に心から感謝しました。そして、私は10日以上前に、私の近所に住んでいた隣人が同じ病を患っていたことを思い出しました。当時、彼は自ら歩いて救急車に入ることができていましたが、私は運ばれて入りました。しかし、彼は数日間病院で入院した後に亡くなってしまいました。これについて考えていると、私は自発的に主に祈りを捧げて感謝しました:「主なる神様、私は重篤でありながらも、あなたに対する確信と信頼を感じられています。私はあなたを信仰しているがために、あなたは常に側に居てくださり、私に信念をお与えくださり、私を強くしてくださっておられます。」

  そして3日目に奇跡が起こりました。私はまだ歩くことはできませんでしたが、話すことと、目を開けることができるようになったのです。私は地獄の門まで行ってしまいましたが、主の力強い御手が私を引き戻してくださったのだと知りました。4日目、私はまだ歩くことができませんでした。しかし、私たちには高額の医療費を支払う余裕がなかったので、私の家族は私を地元の病院へと転送しました。私は10日ほど治療を受けた後に退院することができました。私の親戚と近所の人たちが全員私の見舞いにきてくれました。彼ら全員が驚いてこう言いました:「あなたはひどく病気だったのに、半月で回復するなんて信じられない!」私は喜びながらこう言いました:「そうなんですよ!主なる神様が私を救ってくださったんですよ!これは全て主の御業、私が生き延びたのは本当に奇跡なんです!」

  この病に罹り、私は主の権威と素晴らしい御救いの働きを実際に体験したのです。主イエス様はこう仰っておられました:「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。」 (マルコによる福音書 11:23)。主はこうとも仰りました:「また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう。」 (マタイによる福音書 21:22)。私は、この体験により、主は常に側で私に信念と力をお与え下さり、私が病に打ち勝てるよう支えてくださっておられたのだと理解しました。主は人々を救う光であられ、いのちが生き続ける基盤であられます。この体験は私が主を信仰して行く道に根を下ろしてくれました。私は死ぬまで主に従って行きます!主なる神様、有難うございました!



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