晴耕雨読

晴れの日は耕し、雨の日は読む。

書評:遠藤誉著『卡子(チャーズ)――中国建国の残火』

2016年10月09日 | 書評

書評:遠藤誉著『卡子(チャーズ)――中国建国の残火』


書評というよりも、単なる読書記録、感想文に過ぎない。
この本の著者である遠藤誉氏は1941年(昭和16年)中国の吉林省長春市で生まれた。個人がいつどこで生まれるかは、その個人の宿命とも言えるもので、この本の著者もそうであるように、生まれた土地と時代が、その個人の命運を決定することになる。

著者の生まれた中国北東部には、当時すでに満洲国が建国されており、日本の強い影響力のもとにあった。というよりも日本の行政指導のもとで社会基盤が整備され「五族協和」の「王道楽土」をスローガンに、めざましく国造りが行われていた。

この満洲国の権益を巡る日本、アメリカ、ロシアの争いが、後の太平洋戦争の原因となった。日本に比較的に同情的な立場にあったポルトガル人で後に日本に帰化した作家で、もと駐日ポルトガル外交官だったヴェンセスラウ・デ・モラエスは、「日米両国は近い将来、恐るべき競争相手となり対決するはずだ。広大な中国大陸は貿易拡大を狙うアメリカが切実に欲しがる地域であり、同様に日本にとってもこの地域は国の発展になくてはならないものになっている。この地域で日米が並び立つことはできず、一方が他方から暴力的手段によって殲滅させられるかもしれない」との自身の予測を祖国の新聞に伝えたという。

日本国の満洲国への関与については、太平洋戦争の敗北の結果、GHQやマルクス主義から道徳論で善悪の立場から論じられることは多いが、当時の価値観や国際情勢から多面的に考察される必要はあるだろう。

それはとにかく、アメリカ合衆国をモデルに建国されたという満洲国における日本の利権と主導に対して、アメリカを始めとする欧米諸国が複雑な感情を抱いたことは想像できる。遅れて欧米の列強に割り込み始めた日本人に対する偏見や憎悪がそこになかったとはいえない。満洲国の建設の様子はすでに映像に記録されていてyoutubeなどに見ることもできる。

当時の満洲国の独立の承認をめぐって日本は国際連盟を脱退し、後に戦争へと至る道を歩み始めていたが、国際的に完全に孤立していたわけでもなく、ドイツやイタリアなどのいわゆる枢軸国やバチカンからの承認を得ていた。

当時の日本の国策についての検討もいずれ行いたいと思うけれど、とにかく日本とアメリカとの矛盾と利害対立は、1941年(昭和16年)12月8日に真珠湾攻撃を端緒としてついに太平洋戦争として頂点に達した。著者は戦争の始まったこの年に生まれていたことになる。著者が満洲国に生を享けるに至ったいきさつについては、本書に次のように述べられてある。

「中国大陸にはアヘンやモルヒネ中毒患者が大勢いる。中国に渡ってギフトールを製造すれば多くの人を苦しみから救うことができる。父はこの仕事を天から授かった使命と受け止め、1937年(昭和12年)に中国に渡った。父四八歳、母二九歳、そして二人の間には、父の先妻の子である十六歳の男児が一人と、父と母との間にできた一歳の女の子が一人いた。」(s.25)

現在の中国吉林省長春市は著者が生まれた当時は、満州国の国都として「新京」と呼ばれていた。そして著者が生まれてからわずか五年後には日本は大東亜戦争に敗北し、日本がその建国を主導した満州国は1945年8月18日に皇帝溥儀が退位して滅亡する。

著者の父が従事して大きな収益を得ていた製薬業も日本の敗戦と満洲国の滅亡にともなって入ってきた蒋介石の国民党によって中国の企業として改編された。製薬技術は当時の中国民衆にとっても重要であり、製薬技術者として著者の父は中国国民党によって留用されたのである。その結果として満州在留の多くの日本人が祖国に引き揚げていったのに著者の家族は中国にとどまることになった。

その後1946年になって中国大陸には毛沢東の指導する中国共産党と蒋介石の指導する国民党との間に内戦が発生した。本書のテーマでもある、著者の遠藤氏が巻き込まれ体験することになった「卡子の悲劇」は、まさにこの中国国内の国共内戦のさなかに起きた事件である。

国民党は旧満洲国の首都であった新京、長春を死守しようとし、毛沢東の中国共産党の八路軍は、都市を農村が包囲するという戦略を取って、著者の暮らしていた長春を包囲する。国民党軍は空輸によって食料品などを確保していたが、著者家族たちや一般民衆は食糧もなく飢餓で苦しみ死に絶えてゆく。そうしたおぞましい環境の中に、まだ幼い著者は暮らさざるを得ず、そこでの体験が著者の精神に深い傷としてトラウマとして刻まれることになる。その体験が克明に本書に記録されている。

「卡子(チャーズ)」とは、長春市域にあって国民党軍と八路軍に挟まれた中間地帯で、鉄条網で二重に囲まれたところである。多くの難民はそこに閉じ込められ、どこにも脱出できずに多くの民衆がそこで餓死してなくなった。後にになって著者が調査したところによれば、その死者は30万人にも及ぶという。しかし、この事件については今日においても中国共産党政府は公式には認めていないという。

一時は共産党八路軍は長春に侵入してきたがすぐに国民党軍が市街に戻り、八路軍は市を取り巻いて持久戦に持ち込むという膠着状態が続く。そこで飢えから兄や弟を失った著者の家族は長春を脱出することを決意する。特殊な製薬技術者であった父は八路軍にも重用され「卡子(チャーズ)」という生き地獄から出ることを許されて、すでに共産主義勢力の手に落ちていた延吉に向かう。途中傷病で死の淵に沈みかけた著者を救ったのは、かって父の工場で働いていてその時は八路軍の衛生兵になっていた若い中国人だった。

新しく移動した朝鮮系の住民の多い延吉もすでに共産主義主義社会の生活圏で、そこで著者家族たちも共産主義の洗礼を受ける。

「私たちが延吉に着いた時には、終戦時の混乱や人民裁判はすでに下火になっており、代わりに洗脳の嵐が吹きまくっていた。」「延吉に住む日本人の間では、週に三回、夜の学習会というものが開かれていた。洗脳のための学習会だ。共産主義思想で日本人の脳を洗い直す。」(s.13)

毛沢東の中国共産党が支配権を確立し始めた中国における共産主義運動の現実の姿が体験的に描写されている。

 「もう、やるだけのことはやりました。この上は両腕両足を切断する以外にありませんが、切断したところで、それで助かるという保証があるわけではないですからねえ・・・・・。ま、せめて何か本人の欲しがるものでも食べさせてあげてください」(s.229)

著者は大衆病院の熊田先生から臨終を宣言されるが、父親の奔走で手に入れたストマイでかろうじて一命を取り留める。その蘇生と時を同じくして、著者は共産主義中国の建国と運命をともしてゆく。この時1949年、著者は8歳になっていた。

その地で小学校に入学した著者は共産主義教育を受ける。そこでの経験を次のように記録している。

「勉強だ、勉強だ。歌を歌い、歌のリズムに合わせて右手、左手と交互に握り直しながら、校庭にしゃがんで炭団を作っている。教室の中からは別の歌声が流れる。「民衆の旗、赤旗は」で始まる曲だ。校舎に入ると頭の上に三枚の肖像画がかけてある。中央がスターリン、その両隣が毛沢東と徳田球一である。」(s.252)

しかし、そこでかすかに芽生えはじめた著者の未来への期待を裏切るかのように1950年昭和25年6月25日、朝鮮戦争が勃発する。延吉に住む日本人にも疎開さわぎが及んでくる。そうしたときに、かって著者の父の製薬会社に雇われたことがあり、その時は事業に成功していた中国人から天津に招かれるという僥倖に恵まれる。天津は中国上海と並んで都市文化の色彩を色濃く残した大都会である。

天津というイルミネーションの洪水が夜空いっぱいを駆けめぐる大都市にたどり着いてはじめて、かっての長春での豊かな生活を思い出し、10歳足らずの女の子にはあまりにも過酷なそれまでの逃避行での体験からも癒されてゆく。天津での豊かで美しい都市生活の様子が文学者のような筆致で描かれている。

「気がつくと、私たちはあるレストランの前に立っていた。私たち一家をこの天津に招いてくれた張佑安さんが経営する「克林餐庁」というロシア料理の店である。ガラス戸の向こうに、金ボタンのついた赤い服を着た、痩身の少年が二人立っている。服とお揃いの、金糸の縁取りのついた赤いアーミーハットを斜めにかぶったそのドアボーイたちはおもちゃの兵隊を思わせる。まるで機械仕掛けのように両開きのドアを中心に面対称に動いている。二人はドアを開けながら揃ってお辞儀をし、白い手袋で私たちの行き先を差し招いてくれた。白手袋の先には幅一メートル半ほどの真紅の絨毯が続く。天井にはガラスの雫を無数にぶら下げたような大きなシャンデリアが燦然と輝く。透明な雫は虹色に乱反射して、今にもしたたり落ちてきそうだ。」(s.290)

そうした生活のなかでやがて著者は感情の正常な発露を取り戻してゆく。その一方で新しく始まった天津での裕福な階層としての学校生活の中で、中国にとっては敵国人であった残留日本人として、著者は社会のもう一つの現実を思い知らされながら生きることになる。そこでの体験は次のように描写されている。

「華安街七号に日本人が住んでいるという噂はすぐに広まったらしい。そして顔も覚えられてしまったようだ。学校の行き帰りに、近所の子供に、「日本鬼子!(日本の鬼め!)」「日本狗!(日本の犬畜生!)」と罵られ、石を投げつけられるようになる。唾を吐き吐きかける者もいれば、手鼻の鼻汁を吹きかけるものもいる。学校いる間はもっと肩身が狭い。授業はすべて政治学習であるといっていいほど、思想教育が徹底しているからだ。いかに毛沢東が偉大であるか、いかに中国共産党がすばらしいか、日本帝国主義の侵略によっていかに中国人民が苦しんだか、しかし人民はいかにして勇敢に抗日戦争に立ち上がったか、その先頭に立った人民解放軍はいかに輝かしい軍隊であるか・・・。これらがくり返しくり返し語られる。日本帝国主義、日本の中国侵略、三光作戦、南京大虐殺、抗日戦――。」

「かって裕福な家庭の子女であったとは言え、彼らの身の上にも侵略戦争の爪痕が残されていないわけではない。もう十七歳になる、片足をなくした子、日本軍によって親を失った子、そんな生徒たちも中にはいる。そういう人たちの目の中には嘲りではなく、あからさまな憎しみがある。まるで、こうなったのもすべてお前のせいだ、と言わんばかりだ。日本人であることは、ここでは、それだけで罪人であることに等しい。十歳の女の子が、あの「侵略戦争」の全責任を負わされ、八十個あまりの瞳の責めを一身に担わなければならない。」(s.315)

「・・・その学期はただただ、戸惑いと屈辱と、日本人であることへの謂れなき罪悪感と劣等感の中で終わった。しかし、それらにびくつきながらも、学期の終わりには私はすでに中国語をほとんど理解するようになっていた。それでも試験の対象からは外された。夏休みに入ると私はこっそりと、そして猛然と発音練習に励んだ。中国人と寸分たがわぬ発音をしなければならない。発音の違いはすなわち日本人であることの証となり、それはすぐさま激しい非難といじめにつながる。学校という社会において私を守ってくれるものは何もない。」
(s.317)

このように戦争が、中国、朝鮮、アメリカ、日本などの国家間の政治的な、歴史的な軋轢が、まだ10歳になるかならぬかという少女の生活や心に深刻な影を刻み込んでゆく。

1953年(昭和28年)3月になってスターリンが死に、7月に朝鮮戦争が休戦になると、在留日本人の帰還が取り上げられ、また、ソ連からの産業技術の導入が始まると、中国は日本人技術者の留用から転じて引き揚げを勧告するようになった。そうした環境の変化の中で著者の父が帰国を決意させるようなった動機について次のように書いている。このとき1953年昭和28年著者は11歳である。

「私は日本に向かう船の甲板に立っていた。三反五反運動の中で、父と母が特に目をかけていた女性が父を突き上げる側にまわったことが、父に帰国を決心させたからだ。・・・常に他人を攻撃していなければその日が無事に送れないような、こんな体制の中では、人の道を全うすることができない。父は、そう見極めたらしい。中国人民への服務を、自らに課した終身の掟として公安局の帰国勧誘を断ってきた父だが、この一件があってから突然気持ちを変えた。」(s.357)

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アマゾンレビュー:八幡和郎「本当は分裂は避けられない!? 中国の歴史 (SB新書)」

2016年08月28日 | 書評


アマゾンレビュー:八幡和郎「本当は分裂は避けられない!? 中国の歴史 (SB新書)」

http://amzn.to/2bJE336

『分裂』云々よりも殷王朝から共産党王朝までの歴史概論. 投稿者 LAW人 #1殿堂トップ50レビュアー 投稿日 2015/4/19

形式: 新書
八幡氏の著書は何冊か読んでいるが、本書のタイトルは本書 の趣旨を正しく表象していない。著者は「はじめに」において、「本書のタイトルですが、中国が分裂してくれた方が良いという意味ではありません……史上最 大級の巨大国家でありながら、脆弱性をもった中国の将来が心配……中華国家と中国人を客観的にとらえよう」とする意図を吐露している。概ね時間軸に沿った 中国の歴史を客観的に綴っているものと言うべきで、タイトルや右に言う「脆弱性」の懸念に示唆されるような「分裂」の蓋然性を明確に論じるものではない。 率直な私見を言えば、中国史におけるいわゆる王朝と諸民族の“合従連衡”の繰り返しの歴史性をして、「分裂」の歴史的潜在性を指すものと観るべきか些か迷 うところでもある。けだし著者は「エピローグ」において、「中国などとは関わらない方がよいなどというのはとんでもない暴論……両国の世界における立ち位 置が変わり過ぎて混迷し、互いに気まずくなっている……日本経済が再び活性化すれば、日中関係も自然とよくなる」等とした、(私見では)些か楽観論を展開 しているからである。中国のこのところの“海洋覇権”主義(海軍装備の増強、東・南 シ ナ 海問題ほか)などを鑑みれば、事態は著者の言うほど単純な経済情況で片付くものではないと考える。本書はかかる中国外交・政治論ではないのでこれ以上の右 「エピローグ」の是非は措くとして、殷王朝から共産党王朝までの歴史概論というスタイルである。構成・内容はこのページの「商品の説明」及び「目次を見 る」に譲り、以下個人的に興味を惹いたトピックを紹介したい。

まず全体的に(著者は歴史研究系の履歴は見えないが)、他書にも見えるが (近現代史は格別)史資料の考証・参照に不充分な傾向がある。具体的には、著者の推論・論説においては如何なる史資料に依ったものか、たとい本書が歴史概 論であっても重要トピックでは明示すべきであろう。私が通読する限り、珍説・俗説はないように見えるが、例えば日本人のルーツ論(59〜62頁など)で は、最近のDNA分析による弥生人と縄文人との関係の研究結果(学説)にも言及した方が良いだろう。他方興味深いのが「志 那」の語源(23頁以下)、当事国の意思は別論としても「差別用語」のように扱うのは著者と全く同感である。現に海洋名(東・南)に用いられていることと 整合性が取れない。また「夏王朝」と「二里頭遺跡」(文化)の関連性など議論のあるところだが、懐疑的な筆致はほぼ有力説に従っているが、依拠資料等が明 示されれば説得性の増す論説だろう(52〜55頁)。元王朝(モンゴル民族)の評価についても興味深く、宮崎正勝氏の近著(『空間から読みとく世界史』) と同旨で「モンゴル帝国」の果たした世界史的意義ーー中国・ロシア・インドといった広域における歴史起源性ーーを説いている(160頁以下)。尤も宮崎氏 はより広い「モンゴル帝国」の歴史的意義を考察しており詳しい。本書における著者のスタンスは客観的(中立的)と観て良いだろうが、前記「エピローグ」は 別論として、史資料考証の不充分と近現代史にボリュームの薄さを感じるが、歴史概論としては要所を重点にしており読みやすいと思う。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評『近代思想と源氏物語 』橡川一朗

2008年03月05日 | 書評

 

書評『近代思想と源氏物語 ―――大いなる否定』橡川一朗
1990年4月15日  花伝社

一昔前に手に入れはしたけれど、とくに気を入れて読みもしなかった本を取り出してもう一度読んだ。あまり生産的な仕事であるとも思えないが、 それでも一応は読んでしまったので、 とりあえず書評というか感想文は書いておこうと思った。

日本の学校では、とくに大学においてさえ、 書評を書いて研究するということなどほとんど教えられていないようなので、ごらんのように「書評」とも言えない単なる感想文のようなものでも、みなさんが「書評」を書く際に反面教師としてでも少しは参考になるかとも思い、恥を省みず投稿しました。

Ⅰ・本書の構成

目次から見ると、本書の構成は次のようになっている。
第一部  西洋の二大思想
  序章  西洋の社会と経済の歴史
第一章  キリスト教と罪の意識
第二章   近代文学における罪の意識と体制批判
第三章  認識論から民主主義へ
 
第二部  日本文化史上の二大思想

序章    日本の社会と経済の歴史
第一章  東洋の認識論
第二章  日本における罪の意識

第三部  源氏物語の思想

第一章  源氏物語の作者の横顔
第二章 源氏物語の思想
第三章 両哲理と批判精神

Ⅱ・内容の吟味

だいたい、本書の構成としては以上のようになっている。私たちが一冊の本を読む場合、まず、著者が 「その本を書いた動機なり目的は何か」を確認する。それと同時に、私が「本書を手にした動機は何か、その目的は何か」ということも確認をしておく。

筆者の本書執筆動機はおよそ次のようなものであると思われる。
まず、時代背景としては、第二次世界大戦における同じ敗戦国である旧西ドイツにおける政策転換の現実がある。

その西ドイツにおけるその政策転換の根拠について筆者は次のように言う。
「ドイツの宗教改革者ルターや哲学者カントの思想が、ドイツで復活しつつあるからではないか、と想像される」。そして、さらに「なぜならばルターの宗教思想の核心は「罪の意識」という徹底した自己否定であり、カントの哲学は、デカルトと同じく、一切を否定する厳しい懐疑から出発している。つまり、ルターもカントも、それぞれ「大いなる否定」を原点とし、したがって発想の転換による民族再生の道を教えることにもなる。」(はしがきp10)

このように書いているように、筆者の言う「大いなる否定」とは――これは本書の副題にもなっているが、――つまるところ、宗教的には「罪の意識」であり、哲学的、認識論的には「懐疑論」のことであった。そして、この両者が民主主義と結びついており、我が国が民主主義国家に転生するためにも、筆者は、この「大いなる否定」(^-^)が必要であり、それを我が国において学び取ることができるのは他ならぬ『源氏物語』であるというのである。それによって、日本人の民主主義が借り物ではなくなるという。そのためにも著者は日本国民に『源氏物語』の読書を勧める。(^-^)

だから、西ドイツにおける民主主義の転換を見て、日本もそれに追随すべきであるという問題意識が筆者にあったことは言うまでもない。この本が書かれた1990年の時代的な背景には、まず東西冷戦の終結があった。そして1920年に生まれた著者は、文字通り戦後日本の社会的な変革を体験してきたはずである。そして、何よりも著者の奉職した都立大学はもともと、マルクス主義の影響を色濃く受けた大学であった。本書の論考において著者のよって立つ視点には、このマルクス主義の影響が色濃く見て取れる。

筆者の本書執筆のこの動機については、おなじはしがきの中にさらに次のようにもまとめられている。

「西ドイツの政策転換は、大革命以来の民主的伝統を誇るフランスとの、和解を目的とした以上、当然、民主国家への転生の誓いを含んでいた。わが日本が諸外国から信頼されるためにも、民主主義尊重の確証が必要である。西洋では、罪の意識も認識論哲学も、ともに大いなる否定(^-^)に発して、万人の幸福を願う民主主義の論理を、はらんでいる。日本の両哲理も、その点で同じはずであるが、それを証明しているのは、ほかならぬ源氏物語である。そして、源氏物語から民主主義を学び取ることは、われわれの日本人の民主主義が借り物ではなくなる保障である。しかも、その保障を文学鑑賞を楽しみながら身につけられるのは、幸運と言うほかあるまい。」(p12)

以上に、筆者の本書執筆の動機はつきていると思う。それを確認したうえで、本書の内容の批判にはいる。

筆者の本書におけるキイワードは、先にも述べたように「罪の意識」と「徹底した懐疑」であり、この二つが、本書の副題となっている「大いなる否定」の具体的な中身である。

そして、筆者は「罪の意識」の事例として、古今東西の宗教家や文学者の例を取り上げる。それは、西洋にあっては、ルターであったり、カルヴァンであったり、ルソーであったり、トルストイであったり、シェークスピアであったりする。わが国ではそれは、釈迦の仏教であり、親鸞や法然であり、源氏物語の紫式部の中にそれを見いだそうとする。

そしてそうした、いわば形而上の問題に加えて、筆者の専門でもあるらしい「社会経済史」の論考が、本書の展開の中で第一部にも第二部においても序章として語られている。第一部の「西洋の二大思想」には序章としては、「西洋の社会と経済の歴史」が、第二部の序章では「日本の社会と経済の歴史」について概略的に語られている。先にも述べたように著者の依拠する思想体系としてはマルクス主義が推測されるが、しかし、ただ筆者はその思想体系の明確な信奉者ではなかったようである。筆者は歴史を専攻するものであって、特定の思想を体系的に自覚した思想家ではなかった。

筆者の意識に存在していて、しかも必ずしも明確には自覚はされてはいない価値観や思考方法に影響を及ぼしているは言うまでもなくマルクス主義である。その思想傾向から言えば、「宗教的な罪の意識」や「厳しい懐疑論」がイデオロギーの一種として、一つの観念形態であると見なされるとすれば、それの物質的な根拠、経済的な背景について序章で論じようとしたものだろうが、その連関についての考察は十分ではない。マルクス主義の用語で言えば、下部構造についての分析に当たる。唯物史観の弱点は、「存在が意識を決定する」という命題が、意志の自由を本質とする人間の場合には、「意識が存在を決定する」といもう一つの観念論が見落とされがちなことである。

著者の専攻は「歴史学」であるらしい(p32)が、著者にとっては、むしろこの下部構造についての実証的な歴史学の研究に従事した方がよかったのではないかと思われる。たしかに、仏教の認識論やロックやデカルトの認識論について、一部に優れた論考は見られはするものの、哲学者として、あるいは哲学史家として立場を確立するまでには到ってはいない。哲学研究としても不十分だからである。哲学論文としても、唯物史観にもとづく社会経済史研究としても、いずれも中途半端で不十分なままに終わっている。この書のほかに著者にとって主著といえるものがあるのかどうか、今のところわからない。

それはとにかく、本書においても、やはり、哲学における素養のない歴史学者の限界がよく示されていると思う。その一つとして、たとえば筆者のキイワードでもある「大いなる否定」がそうである。いったいこの「否定」とはどういうことなのか、さらに問うてみたい。また、哲学的な意義の「否定」であれば「大いなる」もなにもないだろうと思うし、哲学的な「否定」に文学的な表現である「大いなる」という形容詞を付する点などにも、哲学によって思考や論理の厳密な展開をトレーニングしてこなかった凡俗教授の限界が出ている。そこに見られるのは、論考に用いる概念の規定の曖昧さであり、また、概念、判断、推理などの展開の論理的な厳密さ、正確さに欠ける点である。それは本書の論理的な構成についても言えることで、それは直ちに思想の浅薄さに直結する。

筆者のこの著書における立場は、「マルクス主義」の影響を無自覚に受けた、マルクスの用語で言えば、「プチブル教授」の作品というべきであろうか。(もちろん、ここで使用する意味での「プチブル」というのは,経済学的な用語であって、決して道徳的な批判的スローガン用語ではない。)

そのように判断する根拠は、たとえば、イエスの処刑についても、著者の立場からは、「キリストに対する嫌疑の内容としては、奴隷制批判のほかには考えられない」(p37)と言ってることなどにある。著者の個々の記述の詳細についてこれ以上の疑問をいちいち指摘しても仕方がないが、ただ、たとえば第一部の2で、パウロのキリスト観を述べたところで、彼は言う。「革命家キリストが対決したのも人間の「罪」、つまり奴隷制という、社会制度上の罪悪だった」が、その社会的な罪をパウロが「内面的な罪」へ転換した」と。

このような記述に著者の立場と観点が尽きていると言える。ここではキリストが著者によって「革命家」に仕立て上げられている。(p41)誤解を避けるために言っておけば、イエスに対するそのような見方が間違いであるというのではない。それも一つの見方ではあるとしても、20世紀のマルクス主義者の立場からの見方であるという限界を自覚した上でのイエス像であることが自覚されていないことが問題なのである。だから、著者はそれ以上に深刻で普遍的な人間観にまで高まることができない。

Ⅲ・形式の吟味

本書における著者の執筆動機を以上のように確認できたとして、しかし、問題は著者のそうした目的が、本書において果たして効率的に必然的な論証として主張し得ているのかどうかが次の問題である。

まず、本書構成全体が科学的な学術論文として必要な論理構成をもたないことは先に述べた。科学的な学術論文として必要な論証性についても十分に自覚的ではない。その検討に値する作品ではない。そうした点においてこの作品を高く評価することはできない。

第一部で著者は、「西洋の二大思想」として、「罪の意識」と「懐疑論」を挙げているが、その選択も恣意的であるし、そもそも「罪の意識」と「懐疑論」は、一つの概念でしかなく、それをもって概念の集積であるべき思想と呼ぶことはできない。それらは思想を構成すべき、一個の概念か、少なくとも観念にすぎない。この二つの観念が、著者の意識にとっては主要な概念もしくは観念であることは認めるとしても、それが客観的にも西洋思想史において主要な「思想」と呼ぶことはできない。

ちなみに「思想」とは何か。その定義を手近な辞書に見ても次のようなものである。(現代国語例解辞典、林巨樹)「1.哲学で、思考作用の結果生じた意識内容。また、統一された判断体系。2.社会、人生などに対する一定の見解。」と記述され、その用例として、「危険な思想」、「思想の弾圧」「思想家」などが挙げられている。

だから、この用例にしたがえば、少なくとも「思想」と呼ぶためには、「キリスト教思想」とか「民主主義思想」とか「共産主義思想」とか国家主義とか全体主義といった、ある程度の「統一的な判断体系」が必要であって、「罪の意識」や「懐疑論」という観念だけでは、とうてい「思想」と呼ぶことはできない。

ただ、こうした観念は、西洋の思想に普遍的に内在しているから、もし表題をつけるとすれば、「西洋思想における二大要素」ぐらいになるのではないだろうか。このあたりにも、用語や概念の規定に無自覚な「歴史家」の「思想家」としての弱点が出ている。

本書のそうした欠陥を踏まえた上で、さらに論考を続けたい。この著書の観点として「罪の意識」を設定しているのだけれども、ここで問われなければならないのは、どのような根拠から著者はこの「罪の意識」と「懐疑論」を「大いなる否定」として、著者の視点として設定したのかという問題である。

それを考えられるのは、筆者の生きた時代的な背景と職業的な背景である。それには詳しくは立ち入る気も分析する気もないが、そこには戦後の日本の社会的、経済的な背景がある。ソ連とアメリカが東西両陣営に分かれてにらみ合うという戦後の国際体制の中で、我が国内においても、保守と革新との対立を構成した、いわゆる「階級対立」がこの筆者の意識とその著作の背景にあるということである。その社会的、時代的な背景を抜きにして、著者のこの二つの視点は考えられない。そうした時代背景にある「社会的な思潮」の影響が本書には色濃く投影されている。

ただ、だからといって著者は何も階級闘争を主張しているのでもなければ、支配階級の打倒を呼びかけているのでもない。ただ、「罪の意識」から「認識論としての懐疑論」へ、そして、さらにいくぶん控えめに「民主主義」が主張されているにすぎない。そして、それを総合的に学べるものとして、その手段として『源氏物語』の文学鑑賞を提唱するだけである。

ただしかし、問題はこの著者の彼自身に、この「罪の意識」「懐疑論」という視点をなぜ持つに至ったのかという反省がないか、少なくともそれが弱いために、そこで展開される論考も現実への切り込みの浅いものになっている。その結果として、筆者自身はこの「罪の意識」も「懐疑論」も克服(アウフヘーベン)できず、より高い真理の立場、大人の立場に立つことができないまま終わってしまっている。

とにかく、著者はそうした観点から、第一章で「キリスト教と罪の意識」として、キリスト教に「罪の意識」の発生母胎を求めている。たしかに、キリスト教はそれを自覚にもたらせたことは間違ってはいないと思う。しかし、罪の意識は仏教、イスラム教など多くの宗教に共通する観念であって、何もキリスト教独自のものではない。それは人間の本質から必然的に、論理的に生じるものである。キリスト教や仏教における「罪の意識」は、その特殊的な形態にすぎない。

ただ、「罪の意識」の根源に社会制度を、古代ギリシャにおける奴隷制度の存在や、インド仏教の背景として、カースト制度を、また、トルストイの諸作品の社会的背景として、当時のロシアの農奴制度や貴族制度などが認められるのは言うまでもない。文学や宗教もその生活基盤の上に、その経済的な基盤のうえに成立するものだからである。これを明確に指摘したのはマルクスの唯物史観である。もちろん、その意義は認めなければならないが、ただ、この史観の不十分な点は、彼の唯物論と同じく、観念と物質を悟性的に切り離して、その相互転化性を認めなかった点にある。いずれにせよ、そうした点において、文学上に現れた「罪の意識」や「懐疑論」などの「大いなる否定」という観念の社会経済的な基盤との必然的な関連を著者がもっと深く具体的に追求していれば、もっと内容豊かな作品になっていたのではないだろうか。

Ⅳ・本書の社会的、歴史的意義について

本書の論理的な展開やその論証についてはきわめて不十分であり、したがって、科学的な学術論文としては評価はできない。だから、実際に日本人が『源氏物語』を文学鑑賞したとしても、本居宣長流の「もののあはれ」を追認するのみで、果たして「罪の意識」と「懐疑論」を深めることを通じて民主主義の意識の形成に果たしてどれだけ役立つことになるのか疑問である。

たしかに、源氏物語にも、また仏教思想にも、あるいは儒教にすら「民主主義」的な要素は探しだそうとすればあるだろう。しかし、そこから直ちに、民主主義をこれらの宗教や思想から帰結させようとするには無理があるように、源氏物語に「罪の意識」と「懐疑論」を見出して、そこに民主主義の素養を培うべきだという筆者の問題提起には無理があるのではないだろうか。

本書はこのように多くの欠点をもつけれども、示唆される点も少なくはなかった。従来から西洋哲学の方面に偏りがちだった私の意識を東洋哲学へ引きつけることになった。とくに仏教の認識論により深い興味と関心をもつようになったことである。また、「源氏物語」の評価についても、伝統的な一つの権威として、国学者である本居宣長の「ものの哀れ」観の束縛から解放されて、あらためて仏教思想の観点から、今一度この文学作品の価値を検討してみたいという興味を駆り立てられた点などがある。

また、本書において著者自身にもまだ十分に展開することのできていない、ルターやカルヴァン、ルソーやロックといった民主主義思想の教祖たちの思想を、さらに源泉にまで逆上って、その時代と思潮との葛藤を探求してきたいという関心を引き起こされたことである。

ロックやカントやデカルトの認識論についても同じである。そうした方面の探求は、現代の日本における民主主義思想のさらなる充実につながるし、また、歴史的にも巨大な意義をもったドイツ・ヨーロッパにおける観念論哲学の伝統を、わが国に移植し受容し継承してゆく上でも、いささかでも寄与することになると思う。

※もし万一、当該書に興味や関心をお持ちになられたお方がおられれば、図書館ででも本書を探し出して、この「書評」を批判してみてください。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評  藤原正彦『国家の品格』3

2006年03月16日 | 書評

だから、藤原氏が第三章の末尾で、「もちろん民主主義、自由、平等には、それぞれ一冊の本になるほどの美しい論理が通っています。だから世界は酔ってしまったのです。論理とか合理に頼りすぎてきたことが、現代世界の当面する苦境の真の原因と思うのです。」(p94)と言うときも、その洞察に思わず微笑せざるをえないし、また、それに続く第四章で、その苦境の「一つの解決策として」「日本人が古来から持つ「情緒」あるいは伝統に由来する「形」」を藤原氏は提示しておられるけれども、(p95)それらが、現代世界の「苦境」を根本的に解決する能力も可能性もないことについては、ここではこれ以上に論証するつもりはない。

ただ、この藤原氏の主張が、「情緒の過剰」と「論理と合理の欠乏」という日本人の民族としての根本的な弱点を拡大再生産することにつながらないことを願うばかりである。ここで「自然に対する繊細な感受性」や「世界一の庭師」や「茶道、華道、書道」などの伝統文化に藤原氏が誇りを持ち、それらにアイデンティティーを見出すのはもちろん自由であるが、その文化の反面は「ひよわな花」と形容されることも知るべきだろう。

また、現代日本の市民社会が退廃しているからという理由で、第五章で「武士道精神の復活」を主張され、志されること自体は、もちろん悪いことではないし、それなりに意義のあることかもしれない。しかし、もはや江戸時代の鎖国社会に後戻りもできない現代日本において、「近代的合理主義の欧米の精神や文化」の否定的な側面を「批判」するということは、そういうことではないと思う。

確かに、武士道の精神であれ、きっちりそれを日本人が実行できれば、それは欧米の「平均的な」モラル以上ぐらいは達成できるかもしれない。しかし、藤原氏が、この「武士道の精神」を「つまらない論理ばかりに頼っている世界の人々に伝えてゆかなければならない」と言って、「武士道の精神」から「論理と合理の精神」を排除するとき、この「武士道」の行き着く先は、先の世界大戦でのインパール作戦の悲劇の再演にしかならないだろう。

そして引き続く第六章で、「なぜ「情緒と形」が必要であるか」、その理由も説明しておられるが、ここでは、それにいちいち反論する意思も暇もないけれども、ただ、部分的には真実が語られているからこそ、この本が広く受け入れられていることになっている事は認めてよいと思う。

しかし、藤原氏が「情緒と形」という言葉で表現されている人間の「感性」という能力は、「悟性」や「理性」よりも低い動物的な能力であること、その分を弁えて、日本人の美しく素晴らしい繊細な「情緒と形」を主張するのでなければ、それは「おのれ誉め」にしかならず、それはすぐに「自惚れ」に転化することを知っておくべきだろう。それに、藤原氏は伝統やユーモアを重んじるイギリスの国柄やその美しい田園風景を評価され、イギリスの政治家のモラルの高さも認めておられるけれども、このイギリスも西欧の一国として、一面は近代的合理主義の精神の国であったはずである。「論理」と「情緒」は両立するし、させるべきものである。論理なき情緒は動物の情緒でしかない。

そして、藤原氏が「人間中心主義というのは欧米の思想です。欧米で育まれた論理や合理は確かに大事です。しかし、その裏側には拭いがたく「人間の傲慢」が張り付いています。」(p152)というとき、それは日本人が欧米人程度の傲慢さも持ちえないということでもある。それに傲慢であればあるほど謙虚さも深い。

また「閉塞感、虚脱感には、人間中心主義により自然が対立関係に陥った事実が深く影響」(p153)しているというとき、対立や分裂のない調和は、子供の調和でしかないし、対立や分裂が大きいだけ、快復した調和は深いということもある。一般に藤原氏に、こうした弁証法的な認識のないことが思考の弱点をなしていると思う。

「繊細な美的感受性の国」(p97)日本の現実の自然破壊(湾岸のコンクリート化や森林伐採を見よ)や風俗産業における女性の人身売買の現実は、「人間中心主義」の欧米よりも日本では深刻であるという事実を藤原氏はどのように説明されるだろうか。日本のパチンコ文化や都市景観の現実を見れば、日本人の「情緒と形」の精神の実際の現象形態がどういうものであるかがわかるだろう。果樹の良し悪しは、その結ぶ実によって分かると言うではないか。

藤原氏のように、「第二章で(自身の)論理の無力を説き、第四章で、それに代わるものとしての「情緒と形」を述べる」(p185)ことによって、果たして目的とする「国家の品格」が取り戻せるかどうか。

家族や友人たちとの人間関係において「論理」を優先するのは、おそらくアメリカなどの多民族の新興国であって、イギリスや日本のような多少なりとも伝統のある国ではその愚かさを国民は知っている。

そうではなく、国家のレベルで品格を取り戻すためには、政治や経済活動の公共の領域において、何が善で何が悪か、高い倫理と論理にもとづく正義を回復してゆくことである。その論理を主張するということは、もちろん「口角泡を飛ばす」ことなどではなくて(修道院の奥で行われる、静かで情熱的な論争がある)、自由や民主主義の哲学についての深い理解と高い論理的な構築力によって、より完成された立憲君主国を建設してゆくことによってである。

もし藤原氏が「自由と民主主義」を疑うのなら、それに代わる武士道の精神にもとづく「品格ある国家」がどのようなものかを具体化してゆく必要があるだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評  藤原正彦『国家の品格』2

2006年03月14日 | 書評

先の章で藤原氏は、帝国主義や植民地主義を、さらには、資本主義の現代的形態である市場原理主義と、その根底にある近代的合理主義の精神の「破綻」について述べたあと、この「第三章」で、現代国家一般の基本的な理念である、自由、平等、民主主義に対する疑いと批判へ歩を進める。

とくに欧米人の「論理の出発点」である「自由」という概念がよく分からない藤原氏は(p66)、とくに戦後日本における「自由」という名の化け物のことさらな強調とその現実の帰結を見て、「どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけだ。それ以外の意味での自由は、このことばとともに廃棄すべきだ」とまで言う。(p66)

そして、この自由は、藤原氏にとっては、欧米人の「論理の出発点」であり、また、それはまた、欧米が作り上げた「フィクション」にすぎないという。(p67)

しかし、果たして自由は、藤原氏が言うように、フィクションなのだろうか。藤原氏は、福沢諭吉の自伝でも読んで、いわゆる近代的な自由のない封建的身分社会に暮らしてみることを想像してみるか、あるいは、現実に北朝鮮や共産主義中国に移住して、氏の欲するような言論活動に従事してみればよいのではないかと思う。そうすれば、「自由」がフィクションであるか否かが、体験によって分かるのではあるまいか。理論的に分からない子供は、旅をし体験して理解するしかないのである。

また、自由は、日本国憲法には、言論の自由、結社の自由、職業選択の自由などと具体的に規定されているのであって、決して「フィクション」であるわけではない。

そして、この自由については第九七条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるとも書かれている。この「人類」とは実際には、直接的具体的には、欧米人のことであって、歴史的にさまざまな革命と変革において、西洋人が血の代償として贖いとってきたものである。

確かに、藤原氏が「欧米が作り上げた」(p67)と言うように、この自由の実現の功績は主として、欧米人によって担われたのであって、アジア人やアフリカ人には、自由の実現ということについては、歴史的にも思想的にも、ほとんど貢献するところはない。しかし、もし西洋人のそうした歴史的な貢献がなければ、今日の日本国憲法下に暮らして私たちが享受しているような自由もなかったはずである。

なるほど、自由は明治期の自由民権運動の成果として、わが国においては大日本帝国憲法によっても、一定限度において実現されていた。しかし、その帝国憲法下の自由と、太平洋戦争後に日本国憲法に規定された、自由に対する権利の内容と比較すれば、後者において格段に自由が増大していることは明らかである。

そして、この自由と権利の保持の責任とその濫用の禁止については、日本国憲法が、その第十二条にこの上なく明確に規定しているにもかかわらず、この日本においては「自由」が、藤原氏の言うような「身勝手の助長」(p66)にしかならなかったのは、結局、日本人にとっては、自由が「豚に真珠」「猫に小判」でしかなかったからではないのか。

西洋人が理解した自由とは、自由の真の概念とは、次ぎのような言葉に表現されているのではないかと思う。


「自分の身にふりかかることを自分自身の発展とのみ見、自分はただ自分の罪を担うのだということを認める人は、自由な人として振舞うのであり、その人は自分の身にどんなことが起こっても、それは少しも不当ではないのだという信念を持っている。」(ヘーゲル「小論理学§147)


ここには自由に「身勝手」という意味はない。藤原氏の自由観は真実を尽くしていないと思う。
 参照 必然性と運命(自由)

自由に対する筆者の「批判」と同じように、藤原氏の「民主主義」批判についても欠陥があると思う。藤原氏は「自由」の場合と同じように、「民主主義」についても、日本の戦後の「自由」や「民主主義」の特殊な「現実」から、自由や民主主義の「概念」を批判する。これでは真の批判にはならない。

そうではなく、批判とは、自由や民主主義についての正しい概念でもって、特殊な戦後日本の「自由」と「民主主義」の現実を判断すべきものである。だから、批判するためには、まず、自由や民主主義の概念を正しく理解していることが前提になる。

藤原氏は疑って「民主主義は素晴らしいのか」(p74)と言う。民主主義すなわち国民主権、主権在民は、「国民が成熟した判断をすることができる」場合には、文句なしに最高の政治形態である(p75)と。

もちろん、民主社会における国民の判断や世論のそうした限界はよく知られているし、一部の狂信的な「民主主義者」だけが、民主主義の限界も弁えずに崇拝し、「絶対性」を主張しているだけである。

それぐらいは誰も知っているし、だからこそ、チャーチルも、「民主主義は最悪の政治形態であるが、今まで存在したいかなる政治制度よりはまだましである」と言ったのだ。民主主義の価値は相対的なものであり、まだその絶対性を論証した者はいない。民主主義は、概念としては、藤原氏が言うように「国民が成熟した判断をする」ことを自明の前提とはしていない。

しかし、だからと言って、「国民は永遠に成熟しない」(p82)と断言して済ませるだけでは、民主主義における日本国民の文化的な成熟度についてや、その国民的な資質の向上についての教育上の課題も問題意識に上ってこない。


それとも、アメリカやイギリス、オランダ、デンマーク、スイスなどの欧米諸国民の民主的な成熟度と日本のそれとが同一の水準にあると藤原氏は見ているのだろうか。雲仙市会議員たちの、口にするのも愚かしいような乱行が、今日も明らかになったばかりである。これが、日本の国民や政治家の現実ではないか。

さらに言うなら、歴史的にプロテスタント・キリスト教文化を背景にする民主主義には、国民が宗教改革を体験し、自由の意識を確立しているという前提がある。この前提がなければ、日本やイラクにその例を見るように、借り物の「民主主義」による悲喜劇を見るだけではないのか。

それとも藤原氏は、この借り物の「民主主義」を本物にしようとするのではなく、民主主義の精神と制度に代えて、武士道の精神に置き換えようとするのだろうか。

民主主義国家にも「真のエリート」が必要である(p83)と言うのはそのとおりであると思う。民主主義国家であれ、株式会社のような経営者の「独裁的」な組織であれ、指導者、幹部の質がその国家なり組織の質を決定することになるのは言うまでもない。

藤原氏が言うように、もはや現在の日本の「官僚」は真のエリートでない(p84)どころではなく、政治家も含めて、「高級公務員」が、反国民的な単なる利益集団に変質し、堕してしまっているのが現実である。

イギリスやフランスやアメリカで養成されているようなエリートが日本にはおらず、養成もされていないことが問題であるのは藤原氏の言うとおりであると思う。しかし、だからと言って、民主主義の「限界」を拡大解釈して、民主主義の持つ「意義」をすら否定しようとするのは、藤原氏の「政治思想」の水準を示すものでしかないと思う。

藤原氏の自由観や民主主義観についていえることは、また平等についてもいえる。悪平等と言う言葉があるように、「平等」をただ抽象的に狂信的に振り回せば、どういうことになるか。それは、フランス革命や中国の文化革命の末期に吹き荒れた凶暴な人民の暴力、日本の「男女平等法案」に教育上の問題を見るまでもない。家庭内において、親と子が「平等」でありうるわけがない。

それにも係わらず、藤原氏は、「平等とは何か」その真の概念を問い、それを具体的に展開しようとせず、「平等」もフィクション(p88)とか、「平等」ではなく「惻隠」を(p90)といって、不完全ながらも、曲がりなりにも「平等」を具体化し制度化した現行の制度を無視する。そして現行の組織や行政を具体的にさらに「真に平等」のものに改革して、本当の惻隠の情を実行しようとするのではなく、「惻隠という武士道精神」の抽象的なスローガンで応じるだけである。そして「論理だけではもたない」とか、「自由と平等は両立しない」(p92)と断言するだけで、より高い論理能力で問題を解決する方向には進まないのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評  藤原正彦『国家の品格』1

2006年03月11日 | 書評

 

およそ批判や批評の対象として取り上げる科学論文なり学術論文が、理論的に価値のある著作であれば、そこで展開されている思想の概念、判断、推理は当然に精確なものであるはずである。

とはいえ、もちろん批判や批評の対象は、必ずしも科学論文、学術論文のみに限らない。詩歌や小説などの文学作品から絵画、音楽、また映画などの芸術作品なども当然に取り上げられる。だが、その際には、「純粋な」科学論文,学術論文を批判する場合のように、その理論を厳密に検証するということにはならない。学術論文を批判する場合と、随筆や宗教的著作や芸術作品を批評の対象とする場合とでは、当然にその方法も内容も異なったものになる。

とはいえ、批判とはいずれにせよ、対象作品を、批判者自身の価値観の体系のなかに取り組み、位置付けることによって評価することである。このことは同時に、批判者の判断力や認識能力など、その理論的水準自体が問われることでもある。だから、何よりも批判者自身が、その作品を批判し、批評する能力や資格があるのか、ということが当然にまず問題にされるだろう。また、その内容がどれだけの理論的な水準にあるか、その批評行為そのものによって批判者自身が批判されることでもある。

この藤原正彦氏の『国家の品格』はベストセラーにもなったそうだ。それにしても、この作品は、ジャンルとしては何に分類されることになるのだろう。作者の藤原正彦氏は数学者である。しかし、言うまでもなく、この著書は数学の本ではない。『国家の品格』という書名が付けられているけれども、国家理論などを厳密に展開したいわゆる国家学の書物であるということもできない。恋愛や愛国心などの人間の心理を掘り下げ追求した心理学書でもなければ、もちろん小説というジャンルに分類することもできない。

また、多くの個所で「論理」の問題が取り上げられているけれども、認識や存在や時間や弁証法などを問題にする哲学の本に分類するにも無理がある。

一読したところ、一冊の本としては、倫理を問題にした随筆か、あるいは愛国心などについて論じた道徳的な啓蒙書として捉えるのが妥当であると思う。愛国心(筆者によれば祖国愛)や倫理的な精神としての武士道を取り上げている。これが本書のテーマでもあるといえる。

「はじめに」(p3~6)のなかに、本書の全体の趣旨が簡単にまとめられているといえる。筆者自身のアメリカとイギリスでの留学体験が語られ、そこでの筆者の価値観の変化、すなわち論理偏重から情緒重視へと、さらに武士道精神の再発見へと心境の変化が語られる。それは、現在わが国社会においても進行しているグローバリズム、アメリカナイズの過程で、市場経済に代表される欧米の「論理と合理」に日本が身を売り、わが国古来の「情緒と形」を忘れ、それが日本の「国家の品格」を失わせることになったという筆者の問題意識が、その時代的な背景としてある。(p6)

第一章 近代的合理的精の限界(p11~34)

もともと「野蛮で遅れていた」西洋はルネッサンス、宗教改革、科学革命により理性が解放されて、ヨーロッパは初めて論理や近代的な合理的精神を手にし、それによって産業革命を起こし、世界の欧米支配が実現した。 (p16)

しかし、今日いわゆる先進諸国では、家庭や教育が崩壊し、犯罪が多発している。筆者の主張によれば、それは近代的な合理的精神が破綻したからだという。そして、帝国主義や植民地主義もその西欧的な論理であり、その論理が通っているからこそ非道なことも行われたという。

ここで、筆者は「西欧的な論理」とか「傲慢な論理」とか「美しい論理」「見事な論理」というように「論理」にさまざまな形容詞を冠してしているが、論理それ自体は、感情的な評価とは無縁なのではないか。論理においては正しいか、必然的であるかだけが問題にされるのではないだろうか。


筆者は「帝国主義の論理」や「資本主義の論理」を取り上げているが、それらの論理がどういうものであるのか、具体的に展開して説明しないで、その論理の帰結だけを見て、弱肉強食とか卑怯とかケダモノとか下品とかといったことばで評して非難しているだけであるのは、単なるレッテル張りで、具体的な説明の展開がないだけ物足りない。この分野を専門としないことから来る限界かもしれない。


そして現在、資本主義の進化した市場原理主義に至って、世界経済自体が危機的な破綻を迎えているといい、それを救済するのは、筆者の主張によれば、「武士道精神」なのだそうである。なぜそうなのかは以下の第二章で説明される。


第二章 「論理」だけでは世界が破綻する(p35~64)     

どんなに論理的に正しくとも、それを徹底してゆくと人間社会はほぼ必然的に破綻に至ると筆者は言う。(「必然的」に「ほぼ」という形容詞を付すのはどういうことなのかよく分からない(笑)が)、だから、「論理」だけでは世界が破綻するという。その理由として、さらに筆者が追加するのは、

①論理には限界があること、   

②もっとも重要なことは論理で説明できないこと、

③論理には出発点が必要であること、

④論理は長くなりえないこと、

などをあげている。   
しかし、この四つ内容は、本当に「「論理」だけでは世界が破綻する」ことの理由の説明になっているだろうか。これらの四点は、理由として必要十分でかつ、必然的だろうか。いずれも非常に粗雑な説明で、論証になっていないと思う。

まず、「「論理」だけでは世界が破綻するという」説明自体が、第一にそもそも意味不明である。おそらく、論理のほかに「情緒や形」がなければ幸福な世界は成り立たないことを説明しようとしているのだと思うけれども。


また「人間の論理や理性の限界」の例として、「社会に出るとタイプが必要だから、学校でタイプを教えると、ろくな英語しか使えなくなった」ことを筆者は取り上げているが、それは、アメリカの当局者の教育理論が、ただお粗末なだけであって、「論理」に限界があるといった大げさなことではまったくない。そして、さらに、筆者は「論理に限界があること」の事例として、「市場経済主義だから株式投資」とか「国際化だから英語」という理由で小学生に英語や株式投資を教えることを、教育上の失敗の例として挙げているが、これもまた、その教育理論が拙劣なだけであって、「論理に限界がある」ためなどではない。

こんな拙劣な事例を取り上げて、厳密に「論理」を検証する余裕も能力もない人々に、事実として「論理」に対する偏見や蔑視を植え付けるのは教育上においても問題ではないだろうか。

特にわが国のように、過去において、その精神主義本位の傾向のために、人間性尊重と技術合理主義の精神の徹底を図れないまま、多大の被害や犠牲を出すという失敗の経験に事欠かない民族においては、「論理」や「合理主義」に対する偏見や蔑視を助長するような、筆者の非合理的な「説明」は、弊害が少なくないのではないかと思う。


また、「論理」だけでは世界が破綻する(笑)第二の理由として、「もっとも重要なことは論理では説明できない」ことをあげているが、これも、また当然のことであって、たとえば女性の心理など、「数学的な論理」で説明できないのは言うまでもないことである。しかし、大衆は日常生活の経験から鍛えられた論理的思考で、のびのびと「論理的」に思考し、日常の問題を解決しているのではないだろうか。奥さんが氏の話を「半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷」というのも一つの見識ではないかとさえ思う。


注意しておく必要があるのは、筆者である数学者藤原正彦氏の念頭にある「論理」の内容が、とくに「数学の論理」であって、それが「特殊な論理」であることである。

数学の論理というのは、ただ、量と数をのみ目的として、その証明は機械的な自然の段階、領域においてのみ通用する論理であって、有機体や生命や社会構成体の運動や発展を説明できる論理ではない。

だから、単なる数学的な論理のみでは、藤原氏自身が述べているように「もっとも重要なことは(藤原氏の数学的な)論理では説明できない」のも当然のことであり、そのことは別段に新しい発見でもない。


論理的に説明できないことの、もう一つの例として、藤原氏は「人を殺していけないのはなぜか」をあげている。しかし、これも当然であって、これらの問題は数学的な論理の問題ではなく、倫理の問題であり、したがって、家族や社会や国家の論理から説明されるべきものである。

またさらに、第三の理由として、論理には出発点が必要であることを上げておられる。だがこれはまさしく、数学的な証明の欠陥を、あるいは限界を示すものであって、数学にあっては、この出発点Aの必然性が洞察されず、これこれの仮説Aから出発せよと外的に命令されて、その命令が証明にとって合目的的であることをさし当たっては盲従するしかないからである。

筆者にとって論理の出発点は、「情緒や形」である。この出発点は恣意的なものであって、その必然性を論証できないから、藤原氏は盲信するしかないし、また、この出発点AやBの恣意的な選択の結果として、結論が異なるのも当然のことである。

これは、数学の目的が、その論理的な証明が、貧弱で、その素材も、一という数や空間という量的なものに過ぎないからである。数学は、時間や有機体など、純粋な生命の不安定な事柄を対象にはできないからである。数学の証明というものは外的な必然性を目的にするものでしかない。
この「数学的な論理」の特殊性を普遍化して、「「論理」だけでは世界が破綻する」と藤原氏がいうのは正しくない。

また筆者は「最悪は情緒力がなくて論理的な人」(p53)というが、これもまた、能力と善悪が必然的に一致するものでないことを考えれば、当然のことである。

筆者が言うように、「数学をいくら勉強したところで、現実(民主主義や哲学など、人文科学や社会科学の領域)において適切な(判断や)振る舞いができるとは限りません」(p54)というのは、全くもって当然の話である。

そして、最後に藤原氏は第四の理由として、「論理は長くなりえない」ことをあげる。(p55)ここで筆者の専門である数学の論理で説明する。数学における証明はここでも説明されているように、1とか0.5といったは数量で取り扱える領域だけであるのに、現実の世界は、生命をや磁石を見ても分かるように、生と死や陰極と陽極のように、その完全な境界を設定できない世界である。ここでは明らかに数学的なデジタル論理は破綻する。「短い(数学の)論理は深みに達しない」(p62)のだ。


だから、「「論理」だけでは世界が破綻する」という、この第二章の標題は、「世界の現実に直面して、藤原氏の論理は「破綻」する」とでもしておけばよかったのではないかと思う。


数学者、藤原氏は本質的には、論理の人ではなくて、感情の人、文学の人ではないかと思う。この章の最後で、氏が「欧米の支配を支えてきた論理や合理のほぼすべてがワンステップやツーステップで彩られている」(p64)というのは、西洋の数千年にわたる伝統の中で蓄積された哲学的思索や論理的な精神についての無知な、井の中の蛙の世界観ではないかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評  中川八洋『日本核武装の選択』(2)

2006年01月31日 | 書評

 

本書による日本の安全保障論議についての中川氏の批判の核心は、以下にあると思われる。氏は言う。


>「五十年に及ぶ「反核」運動が、日本人を、カルト宗教の呪文「反核」「非核」でどっぷりと洗脳していたのである。かくして、知識人といわれる人ですら、核兵器に関する知見も思考力も小学生未満へと、蛇の足のように退化してしまった。これほどに空恐ろしい、お寒い光景がどこの国にあるだろうか。日本は、独立国家の資格たる自国の安全保障を検討する能力を喪失している。日本人の無教養さは、GHQの占領政策によるのではなく、日本人の資質の生来の低級さが生んだのである」(p147)

「日本が現実に核武装すべきかどうか」という問題については、現在のところ私には判断は下せず保留するが、少なくとも、核武装をはじめ、あらゆる角度から、日本の安全保障問題について国民によって大いに議論することについては何の異論もない。多くの国民によって議論され、さらに研究されるべきであると思う。

日本国の安全保障問題を、単に「反核」「非核」をスローガンとしていたずらに叫ぶのではなく、客観的に科学的に、その核保有と非核のいずれにせよ、その両面から、二面性について日本の独立と安全にとってのそれぞれの意義と限界、長所と短所、国際外交上の有利と不利などについて冷静にまず議論の俎上にのせることが必要であることを、中川氏が主張している点には全く賛成である。これまで日本の安全保障論議については、少なからず、「平和主義」「原水禁」一辺倒で、自由で科学的な議論が行われる背景から遠かったように思われるからである。

狂信的な「平和主義者」の最大の害悪は、何事についても自由な本音で議論する雰囲気を許さず、言論にタブーを生んでいることである。自分の盲信する「正義と平和」を狂信して、正義家ぶって傲慢にならないこと、自分の信念を相対化する謙虚さを失ってしまわないことが大切であると思う。

まず今日の日本に必要なことは、「非核」であれ「反核」であれ、また核武装論であれ、日本の安全保障にとって諸外国との外交交渉において、何がもっとも有効で必要かという、客観的で科学的な自由で活発な議論である。もちろん、人間は単なる動物ではないから、安全至上主義に終始すべきではないことは言うまでもない。私たちが守るべき価値とは何か、守るべき国家の価値とは何か、自由や独立はどういうものかという、議論や教育が、核武装論議の前に必要である。残念ながら、日本の教育ではそうした問題を真剣に取り上げられてこなかった。このことは、日本国民が真に自分たちの民主主義政府をいまだ持ち得ていないことと無関係ではない。

国家の安全は、ただに市民の生命と財産の保全を至上の目的としているのではない。そうではなく、むしろ逆で、市民もまた一国民として、国家の自由と独立のためには、自らの生命と財産とをもって国家のために奉仕すべきものである。そうして、国家の主権を担う困難と責任は、すべての国民が平等に分かちあい責任を果たすべきものである。


国家に対する義務と責任においては、「勝ち組み」も「負け組み」もなく、金持ちも貧乏人もなく、すべての国民が国家に対して平等に奉仕することが義務づけられる。この点で中川氏の核武装論は日本国民の倫理的意識の覚醒にとって何らかの意義をもつかもしれない。ただ、現状においては、国民投票に付したとしても、日本の核武装は現段階においては過半数の賛意を獲得することは難しいと思われる。しかし、そうした大衆の意識とは別に、常に緊急の特殊な事態の発生に備えて、中川氏のような専門的な観点からの多数の識者による、自由な日本の安全保障論議は重要である。


緊急の特殊な事態として、さし当たって外国からの核攻撃からの危険にさらされる可能性としては、やはり対北朝鮮との関係だろう。特に北朝鮮は、昨年の十一月以降六者協議に復帰することを拒否している。最近になってアメリカは北朝鮮に対して、タバコやドル札、麻薬の偽造や輸出に厳しい態度をとっている。また。マネーロンダリングでアメリカが北朝鮮に対して金融制裁などで示している厳しい態度は、北朝鮮の感情的な暴発を招く可能性はある。


また、大量破壊兵器の武器輸出で、北朝鮮船籍の船がアメリカ軍の臨検を受けたりした場合に、突発的に北朝鮮が在韓米軍や在日米軍に対して、さらにはソウルや東京を攻撃してくる可能性がある。

その他に緊急性のあるのは、台湾の独立問題に絡んで、中国が独立阻止のために台湾に武力攻撃を加える可能性である。そして、日本との間には東シナ海で領土問題や天然資源問題で武力抗争の発生する可能性がある。その際に、外交交渉上戦略的に必要な有力な背景として、実際に核兵器を使用するかはとにかく、核武装の意義を研究する価値はある。その際に、この中川氏の核武装論も一つの参考意見にはなる。

しかし、日本にとって根本的に要請されることは、今の段階においては、中川氏の主張するような核武装にあるのではなく、まともな民主国家としての日本の再建である。そのためには、政府の質と国民の意識の根本的な変革が必要とされる。現在のような安全保障や外交交渉で示されているような主権意識のぼやけた政府と国民とでは話にもならない。日本国内に、ホリエモン氏のような国家意識の希薄な人間を生むようでは話にもならないのである。


その改造には日本を国家として倫理的に再建することが急務である。そのために、中川氏のように核武装についての論議の喚起も一つの手段としては可能性としてはありうるが、しかし、現在の国際情勢から考えて、その選択は、さしあたって現実的ではないと思われる。周辺諸国に不必要な警戒感を生むだろう。

それよりも、効果的で現実的な方策は、国民の間に兵役の義務を復活させることである。その対費用効果において核武装よりもはるかに優れている。また、市民が避難し数ヶ月待機できる、巨大な地下避難基地の建設なども当面の緊急の課題とすべきかもしれない。都市景観の整備や、公共的な事業として経済政策としても意義をもつのではないだろうか。

万が一日本に核武装の必要があるとすれば、核兵器の保有については、イスラエル方式を採用する。イスラエル方式とは、北朝鮮のように自国の核保有を諸外国に宣言をすることはしないが、その保有の実力は諸外国には「公然の秘密」にしておくことである。少なくとも、緊急時には一ヶ月以内に核配備を実現させうる態勢を確立しておくことである。

いずれにせよ、その前提は何よりも、日本国民一人一人がより成熟した民主国家の成員になることである。民主主義の精神と制度について高度な自覚を日本国民一人一人が体得しないまま――先の大阪市長選の投票率を見よ――現状で、核武装をすることは、危険な玩具を子供に与えるようなものかもしれない。日本の民主主義はまだ、その程度に疑念を残している。中川氏の核武装論に危惧を覚えるとすれば、この点である。杞憂であれば幸いである。

(ロシアや中国などの東アジア諸国とアメリカの戦力の具体的な数値にもとづく批評は、私自身の現在の情報の不足、知見の不足によって行えなかった。引き続き検討課題としておきたいと思う。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評  中川八洋『日本核武装の選択』(1)

2006年01月11日 | 書評

先の九日に駐日ロシア大使ロシュコフは、北方領土問題の問題解決の基盤はむしろ小さくなっていると言ったそうである。


これまでの日本の拙劣な外交の結果として、北方領土の回復はさらにいっそう遠のいたことになる。鈴木宗男の利権がらみの外務省介入の結果である。拙劣な一貫性のない政府と外務省の対ロシア外交はいっそう北方領土の回復を遠ざける。田中真紀子の騒動以来、せっかく俎上に乗り始めた、外務省改革も頓挫したままである。

また、小泉首相の靖国神社参拝問題をめぐって、中国や韓国との首脳外交も停滞したままである。北朝鮮とは、日本人拉致問題をめぐって北朝鮮が誠意のある態度を──拉致被害者全員の無事原状回復──を見せない限り、国交回復などありえないことは言うまでもない。


また、最近になって、アメリカが北朝鮮によるマネーロンダリング・資金洗浄にかかわったとしてマカオの銀行に発動した金融制裁について、北朝鮮は、九日に「われわれを窒息させようとねらったものだ」と非難し、解除しなければ核開発問題をめぐる六か国協議の再開に応じられないとしている。


北朝鮮は、この六ヶ国協議を、自国の核開発のための時間稼ぎとして利用していることは言うまでもない。そもそもこの六カ国協議は、北朝鮮問題を東アジアの当事者である、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、日本の五カ国に任せて、アメリカは出来るだけ手を引こうとして、アメリカがはじめた試みであるが、この六カ国協議は、今では北朝鮮をだしにする、ロシアと中国による対日米攻略の場としても利用されている。


この六カ国協議は、ロシアと中国にとっては、その主たる戦略の対象が北朝鮮にではなく、日本にあることはいうまでもない。したがって、日本はこの会議の隠れた交渉相手は、ロシアと中国であることを国民としても再確認しておく必要がある。北朝鮮の核兵器保有は直ちに日本の核武装の問題に関わるし、日本の核兵器保有こそロシア、中国両国にとっても最大の懸案だからである。

このような最近の東アジアの状況が背景にあって、日本の核武装についての議論の現状を知るために、さしあたって中川氏の『日本核武装の選択』を手にした。一応の感想を記録しておくことにする。日本の核武装の問題についての議論は主に保守派と称される人々によって行われて来たのであって、共産党をはじめとする、いわゆる「進歩派」のグループでは、まともに取り上げられることはなかった。この派には狂信的な「平和主義者」が多いからである。中国とロシアの巨大な核武装には反対せず、ただ、日米の核武装にのみ反対する彼らの偽善的な「平和主義」は、ただ中国とロシアを利するだけである。

本書は直接的には、中川氏の北朝鮮の核武装による日本の安全保障上の危機意識を背景に書かれた。もちろん、北朝鮮と日本との関係においては、核の問題のほかに言うまでもなく拉致問題があるが、この両者はもちろん無関係ではない。


中川氏の結論ないし主張は、日本の核武装による北朝鮮の核軍事基地への攻撃を契機とする金正日体制の崩壊によって、北朝鮮人民を独裁と飢餓から解放すると同時に日本人拉致被害者を解放しようというのである。

日本は、世界初の原爆被害国になったこと、そして、その被害のあまりに悲惨であったために、国民の間に核武装については、きわめてアレルギー反応的な拒絶反応を示してきた。そのために戦後六十年間、核武装の問題についてほとんど国民の間にまともに──科学的に──議論されてこなかったといえる。

中川氏は直接的には北朝鮮の核武装を契機に論じているが、むしろ、実際の日本への核攻撃の脅威の程度からすれば、その対日核ミサイルの保有数からいって、対日核脅威の水準は、ロシア:中国:北朝鮮はそれぞれ、100:10:1になるという。中川氏は、むしろロシア主敵論の立場に立っている。

残念ながら今のところ私は、ロシアや中国や北朝鮮の核爆弾、およびその運搬手段であるミサイルの保有状況や、その規模についての専門的な技術的な知識を、持ち合わせていない。だから、それらの是非については、ここで具体的に検討することは出来ない。

したがって、ここではただ、核武装の思想的な前提と、核兵器を中核とする東アジアの軍事情勢の論理構造について検討することしか出来ない。そして、何よりも緊急に検討を要するのは、核武装の問題をめぐる日本国内の政治的経済的な、あるいは、思想的な状況についての論理的な解明である。中川氏の『日本核武装の選択』の内容を検討しながら、この問題について解明してゆきたいと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義と文書管理

2005年06月27日 | 書評

 

最近はあまり本を読む時間がない。しかし、ビジネスマンは無い時間の中から、時間を作り出して、勉強して行くものなのだろう。

 前から、ハンチントンの『文明の衝突』と、フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』ぐらいは読んでおかなければならないと思いながら、まだ果たせないである。情けないと思う。それらの本の表題から、これらの著作の核心ぐらいは想像はついているつもりだが。しかし、しっかり読んで書評ぐらい書いておくのは当然の仕事だろう。

 昨日は、沖縄で敗戦の慰霊祭があった。そして、戦後六〇年を経て、今年は天皇皇后両陛下が、サイパン島を訪れ、玉砕した軍人と、戦闘に巻き込まれた民間人犠牲者を慰霊される。

八月一十五日の敗戦記念日を中心とする夏の季節は、戦争を記念し思い出させる季節でもある。ただ、マスコミなどで取り上げられる「戦争の追憶」の取り上げ方は、昔から、どこまでも情緒的で「宗教的」だ。「宗教的」だと言うのは、この戦争の背景や原因について、分析し解明し、その意義と限界をきちんと説明しようとするところまで踏み込まないからである。そんな番組や催しも少ないからである。そのほとんどは、過去の戦争による苦難と災害についての情緒的な懐古にとどまっている。そして、「平和」についても、それが現実に実現されて行くためには、どんな条件が必要かという科学的な解明に向かうことなく、ただ、「平和」「平和」「平和」と念仏のように唱えていれば平和が実現すると思っている。

 敗戦記念日には、とくに、戦争の背景と原因、なぜ戦争が起きたのか、なぜ戦争を防ぎえなかったのか、なぜ敗北したのかなどについての科学的な分析と解明にこそ取り組まれるべきである。戦後の日本政府が、先の太平洋戦争について、徹底的に総括した「歴史的文書」を発表しているということも聞かない。戦後の日本国民は、まだ、先の「太平洋戦争」の総括を国民としてきちんと仕上げていないのである。多くの面で、戦前を無自覚に引きずっている。

 その社会や国民がどれだけ民主的に開明しているかは、自らの生活の歴史を、自分たちの体験したさまざまな事件について、すなわち、社会や国家や民族の歴史について、その社会や国家や地方政府が、自らの行政の軌跡をも含めて、どれだけ、客観的に正確に記録し、文書として必要十分に記録し保存しているかという、文書管理の能力と関係がある。

 こうした、文書管理があってこそ、国家や民族の歴史についての客観的な研究も可能になる。そのためには、まずその社会や国家が公正でなければならない。現在の大阪市役所のような地方政府、また、恐らく自民党政府とその「官僚」たちが従事しているような不正の存在している社会では、闇が好まれて光が嫌われ、そのために公正な文書記録が徹底されることは無い。その社会が公正であること、情報が基本的に開示された社会であることは、その社会が徹底した文書管理社会であるための前提である。闇社会のはびこっている社会では、公共の文書管理が行き届くことなどありえない。

 今、日経新聞の夕刊に「現代を歴史に刻む──アーカイブスの今」 と題された連載記事がある。それには、現代の日本社会の文書管理のあり方の貧弱さの現状を伝えてそれなりの意義があるが、なぜ、日本がとくにアメリカやヨーロッパ諸国に比較して、これほどに公共的な文書管理が貧弱なのか、また、それを改善して行くためにはどうすべきかという点についての解明には、まだ十分に踏み込めていないように思われる。

 公共における文書管理能力の充実のためには、社会の公正さについて、倫理的な性格について問題にし、また、学校での図書館教育や文章教育をを含めた、文書管理教育まで含めて論じる必要がある。とくに、社会全般における文書管理能力の貧弱さは、学校における民主主義教育の欠陥と貧しさに多いに関係があるとも思われる。

 学校は小さな社会である。あるいは、学校とは、本質的に「社会の学校」でもある。だから、学校は、生徒たち自身が社会参加して、他者と共同してどのように自分たちの共同体を運営して行くかを学ぶ場にして行かなければならない。そのためには、必要に応じてつねに会議を開き、「会議の運営を通じて事業を遂行して行く能力」に長けるように、学校では配慮され日常的に訓練されるように教育が組み立てられている必要がある。

 各学級では自分たちのクラスに起きるさまざまな問題を議題にして会議を開き、そこで生徒に「司会のやり方」、「議事の進行しかた方」、「出席者の発言のルール」、「決議のとり方」などを教えるとともに、記録係(書記)を常に用意して、会議の記録を採らせ、それを学級の文書として管理蓄積して行く教育を、少なくとも小学校レベルからはじめて行くことである。このような学校における民主主義教育と国語教育の一環としての文書管理教育の充実を通じてこそ、日本も欧米諸国に負けない「アーカイブス社会」になって行く。

 確かに、全国各地の多くのオンブズマンの日ごろの努力によって、小泉政権になってからも、行政や企業の情報開示は着実に進んでいる。それは、評価できる。しかし、大阪市民が「大阪市役所は大阪から出て行け」などと叫んでいるだけでは、世界から笑い者になるだけである。大阪市民は、大阪市の公務員たち自身に、自分たちの行政の記録を、客観的に必要にして十分な記録を、きちんと整備保存させ、いつでも誰でも閲覧できるようにして行かなければならない。菅直人厚生大臣時代の厚生省「官僚」たちのように、いいかげんな文書管理こそ腐敗の原因になる。きちんとした充実した文書管理は行政を合理化する基礎でもある。現在の大阪市長などには、文書管理の決定的な重要性についての問題意識などほとんどないようである。いや、彼のみならず、日本のほとんどの公務員にもその自覚はないように思われる。これが、日本国民の現実なのかも知れない。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする