スポイチ編集長日誌

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学歴よりも、「学閥」。そしてそれは手段の一つ

2008年08月04日 | 大学・改革
既にあっちこっちで言及されている、以下の「学歴」に関する話なんですが、

没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たち――女。京大生の日記。


一言だけ述べさせてもらうと、

日本は「学歴社会」と言うよりも、
学閥社会
なのではないかと。


今や学歴なんてなもんは、就職氷河期という新卒採用控えと、少子化および新設大学・新学部ラッシュによる大学易化・全入化による大学名ブランドのインフレ・中堅以下の大学の崩壊によって、企業が採用活動を行なう際に尺度とするには、あんまりアテにならなくなってきています。

しかし、その一方で、同じ大学出身者同士の上下のつながりとか人脈という部分、すなわち「学閥」から「出身大学」というものを見た場合には、業種による差はあるものの、これってまだまだ有効なんではないか。

だから、なんらかの事情(知名度低い・有力なOB居ない/少ない・主な専攻が特殊過ぎ等)により、たとえば「一般の人から思われてるレベル」よりも、企業(の採用担当者)からの評価がずっと低かったりする大学は、いわゆるお買い損大学ってことになるのかと思う。

京大がそうだと言えるかは分からないけれど、一般的に言って私立よりも国公立のほうが「企業からの評価」については、かつてはかなり鈍感だった。今はかなり変わって来てはいるらしいけど。


現実に、「大学で何を学びましたか?」ってことと同じか、それ以上に「誰の後輩(教え子)なのか?」のほうが社会では重視される傾向があるということは否定出来ないと思う。

だから、「学歴なんて意味ないよ」とは、まだ言えない。
だけど、大学に入るのは目的じゃなくて、あくまで手段の一つだから、そこを取り違えると、「学歴なんて意味ないじゃないか!」という結果になりがちではある。


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