■キレた鉄オタ?に対抗している子供がかっこいい件
ある動画が話題になっています。
http://www.youtube.com/watch?v=m1ZqBLN_pXc
事態の背景の説明などは無いため、犯罪に当たるかどうか等はここでは保留しますが、この動画に登場する赤い服の男の子の行動はなかなか見事だったと思います。
最初にフレームインする時に自分の頭をおさえている(男にぶたれた?)ようにも見えますが、すぐに画面右手の母親?を守るように、大声で威嚇している男の前に立ち塞がって両手を広げています。
怒鳴っている鉄男?もその気概に押されたのか、人質にするように抱きかかえていた小さいほうの子供(弟?)を解放しますが、するとすかさず彼を抱きかかえ、男から守るように背中を向けていますね。
オイこの子マジでかっこいいよ!
このように、「いきなり他人からキレられて怒鳴りつけられる」みたいな「非日常的突発事態」に際し、咄嗟に適切に行動ができるかどうか、すなわち、
「即応能力」
がこれからの時代において重要になってきます。
■机上のテストやカードゲームと、現実との違い
何を大げさな、と言われるかも知れませんが、たとえどんなに頭が良くても、テストでいい点を取ることができても、あるいは本当に「能力」があったとしても、現実の突発的な事態に対してうまく対応できずに何も出来なかったり、うまく言葉が出て来ずにフゴモゴしていただけでは、それは結果だけを見れば「能力不足で何も出来なかった」ことと同じなのです。
ペーパーテストにおいては、難しい問題はひとまず後回しにしたり、制限時間ギリギリいっぱいを使って答えを出したとしても正答は正答であり、即答したのと同じ点数をもらえます。ノブヤボなどのゲームでは、戦略を練る画面で長いことボーッと考えていてもとりあえずその時間に滅亡することはありません。アクションゲームもポーズ機能がありますし。
しかし、現実においては判断が遅れれば遅れるほど、大抵の場合は事態は悪化していきます。「なにもしない」という選択をしても、何もしないという選択をした結果は降りかかってきますし、もちろんポーズ機能なんか付いていないのです。『フロントライン』かよ!?
しかし、かといって、思いつきでただ適当に言葉を並べても、すぐにバレるウソとか口から出まかせのプランなどでは見破られるか、すぐに行き詰まって破綻するので逆効果になります。
現実とは、いきなり目の前に難しい問題が突きつけられ、即座に回答を出して行動しないと、減点どころか後に続く問題の解答権まですべて失うこともある、バランス無視のとんでもないクソゲーなのです。
そして、何が正解だったのかは、ずっと時間が経ってからようやく明らかになることが多い。ポーカーや麻雀で言えば、現実世界とは、相手の手札も自分の手札も限られた部分しか見えない状態で勝負をさせられているようなものなのです。さらに、自分のカードも相手のカードも刻々変化していきます。ジョーカーを温存していたつもりがカスカードに化けていた…なんてことは日常茶飯です。
そして、すべてが終わった後でカードが公開されても、いくつかのカードはずっと伏せられたまま、結局不明なままのカードは歴史家や学者が推測で開けていくしかありません。
上の動画の男の子の行動も、もしも男が凶器を持っていたら、結果として「不適切だった」ということになっていたかもしれません。しかし、男にそういう行動をさせなかった咄嗟の行動があったからこそ、男は小さいほうの子を放したとも言えます。
■「ハードディスク」的な人間は、コモディティ化する
「最初から答えの決まりきったことを、最高の速度で答えを引き出して処理していく。」
戦後の日本社会はまさにそういう人材を求め、教育制度もそういった視点のもとで作り上げられました。
なぜかと言えば、何をすべきかを判断して決めるのは大人や老人だから、教育を受ける若者に求められたのは「膨大な知識を詰め込み、指示に応じて素早く吐き出す」、すなわちパソコンで言えばハードディスク(HDD)のような役割だけでした。
判断や命令をする、つまりCPU役の老人から見れば、自分の手足になるHDD役がたくさん欲しかったというわけです。
しかし、現実のハードディスクと同じように、この種の能力は個人で大差は無いため、いずれ陳腐化し、海外から安い製品が大量に入って来たりして、いずれは安く買い叩かれるようになっていきます。
さらに、SSDみたいなものが普及すれば一気に淘汰されるかも知れません。
そして、「社会のCPU」を自負していた老人方は、自分たちが棺桶に入る番になってようやく気がつきました。
「俺ら後継のCPU用意してないじゃん!」
と。これが「リーダー不在」が叫ばれ、教育の綻びが顕在化している今の日本社会の状況でしょう。
■頭と身体の「即応性」
しかし、ハードディスク的な役割をするための教育しか受けてこなかった人というのは、咄嗟の決断が要求される突発的な事態に対して、素早く適切な行動をとることが出来ずにパニックを起こすか、何もせずに他力本願に陥りがちです。そして、そういう人間たちばかりの組織では、誰も決断できずに目の前にある問題は放置され、時間ばかりが空費されていき、事態は致命的となる…。
事前に何らかの問題が明らかになっていても、自分たちのルーチンに無いことに対してはなんのかんのと理由をつけてはぐらかしたり、つまらないプライドに「こだわって」、結局は何もせずに放置する。だって、ルーチンに無い対策なんてめんどくさいし、どこにどういう話を持って行けばいいかわかんないし、今までの職務で関わりのなかった知らない人と話をするのも怖いし億劫だし…。
そういった問題を放置し続けた結果、突発的な災害や事故に際し、何をどうしていいか分からずパニックを起こし、ただオロオロしてその場しのぎの対応をしたり、不適切な手段をとろうとして対応を誤る…。そういう事例が、我々の周りにはゴロゴロ転がっている。
■「体育会系信仰」のもう一つの理由
就職などの採用の場で「体育会系」が優遇されるのも、単純に体力がある(だろう)からとか、根性がある(だろう)からというだけでなく、「いざというとき咄嗟に動ける」という期待値が、スポーツをやっていない、普段体を使っていない人よりは高いから、ってのもあります。
勉強(頭を使う)と、運動やスポーツ(身体を使う)は対立概念みたいに捉えている人もいますが、たぶん違います。
両者は一体不可分であり、この2つの「即応性能」がこれからの時代の生残性を分ける決め手になるでしょう。
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ある動画が話題になっています。
事態の背景の説明などは無いため、犯罪に当たるかどうか等はここでは保留しますが、この動画に登場する赤い服の男の子の行動はなかなか見事だったと思います。
最初にフレームインする時に自分の頭をおさえている(男にぶたれた?)ようにも見えますが、すぐに画面右手の母親?を守るように、大声で威嚇している男の前に立ち塞がって両手を広げています。
怒鳴っている鉄男?もその気概に押されたのか、人質にするように抱きかかえていた小さいほうの子供(弟?)を解放しますが、するとすかさず彼を抱きかかえ、男から守るように背中を向けていますね。
オイこの子マジでかっこいいよ!
このように、「いきなり他人からキレられて怒鳴りつけられる」みたいな「非日常的突発事態」に際し、咄嗟に適切に行動ができるかどうか、すなわち、
「即応能力」
がこれからの時代において重要になってきます。
■机上のテストやカードゲームと、現実との違い
何を大げさな、と言われるかも知れませんが、たとえどんなに頭が良くても、テストでいい点を取ることができても、あるいは本当に「能力」があったとしても、現実の突発的な事態に対してうまく対応できずに何も出来なかったり、うまく言葉が出て来ずにフゴモゴしていただけでは、それは結果だけを見れば「能力不足で何も出来なかった」ことと同じなのです。
ペーパーテストにおいては、難しい問題はひとまず後回しにしたり、制限時間ギリギリいっぱいを使って答えを出したとしても正答は正答であり、即答したのと同じ点数をもらえます。ノブヤボなどのゲームでは、戦略を練る画面で長いことボーッと考えていてもとりあえずその時間に滅亡することはありません。アクションゲームもポーズ機能がありますし。
しかし、現実においては判断が遅れれば遅れるほど、大抵の場合は事態は悪化していきます。「なにもしない」という選択をしても、何もしないという選択をした結果は降りかかってきますし、もちろんポーズ機能なんか付いていないのです。『フロントライン』かよ!?
しかし、かといって、思いつきでただ適当に言葉を並べても、すぐにバレるウソとか口から出まかせのプランなどでは見破られるか、すぐに行き詰まって破綻するので逆効果になります。
現実とは、いきなり目の前に難しい問題が突きつけられ、即座に回答を出して行動しないと、減点どころか後に続く問題の解答権まですべて失うこともある、バランス無視のとんでもないクソゲーなのです。
そして、何が正解だったのかは、ずっと時間が経ってからようやく明らかになることが多い。ポーカーや麻雀で言えば、現実世界とは、相手の手札も自分の手札も限られた部分しか見えない状態で勝負をさせられているようなものなのです。さらに、自分のカードも相手のカードも刻々変化していきます。ジョーカーを温存していたつもりがカスカードに化けていた…なんてことは日常茶飯です。
そして、すべてが終わった後でカードが公開されても、いくつかのカードはずっと伏せられたまま、結局不明なままのカードは歴史家や学者が推測で開けていくしかありません。
上の動画の男の子の行動も、もしも男が凶器を持っていたら、結果として「不適切だった」ということになっていたかもしれません。しかし、男にそういう行動をさせなかった咄嗟の行動があったからこそ、男は小さいほうの子を放したとも言えます。
■「ハードディスク」的な人間は、コモディティ化する
「最初から答えの決まりきったことを、最高の速度で答えを引き出して処理していく。」
戦後の日本社会はまさにそういう人材を求め、教育制度もそういった視点のもとで作り上げられました。
なぜかと言えば、何をすべきかを判断して決めるのは大人や老人だから、教育を受ける若者に求められたのは「膨大な知識を詰め込み、指示に応じて素早く吐き出す」、すなわちパソコンで言えばハードディスク(HDD)のような役割だけでした。
判断や命令をする、つまりCPU役の老人から見れば、自分の手足になるHDD役がたくさん欲しかったというわけです。
しかし、現実のハードディスクと同じように、この種の能力は個人で大差は無いため、いずれ陳腐化し、海外から安い製品が大量に入って来たりして、いずれは安く買い叩かれるようになっていきます。
さらに、SSDみたいなものが普及すれば一気に淘汰されるかも知れません。
そして、「社会のCPU」を自負していた老人方は、自分たちが棺桶に入る番になってようやく気がつきました。
「俺ら後継のCPU用意してないじゃん!」
と。これが「リーダー不在」が叫ばれ、教育の綻びが顕在化している今の日本社会の状況でしょう。
■頭と身体の「即応性」
しかし、ハードディスク的な役割をするための教育しか受けてこなかった人というのは、咄嗟の決断が要求される突発的な事態に対して、素早く適切な行動をとることが出来ずにパニックを起こすか、何もせずに他力本願に陥りがちです。そして、そういう人間たちばかりの組織では、誰も決断できずに目の前にある問題は放置され、時間ばかりが空費されていき、事態は致命的となる…。
事前に何らかの問題が明らかになっていても、自分たちのルーチンに無いことに対してはなんのかんのと理由をつけてはぐらかしたり、つまらないプライドに「こだわって」、結局は何もせずに放置する。だって、ルーチンに無い対策なんてめんどくさいし、どこにどういう話を持って行けばいいかわかんないし、今までの職務で関わりのなかった知らない人と話をするのも怖いし億劫だし…。
そういった問題を放置し続けた結果、突発的な災害や事故に際し、何をどうしていいか分からずパニックを起こし、ただオロオロしてその場しのぎの対応をしたり、不適切な手段をとろうとして対応を誤る…。そういう事例が、我々の周りにはゴロゴロ転がっている。
■「体育会系信仰」のもう一つの理由
就職などの採用の場で「体育会系」が優遇されるのも、単純に体力がある(だろう)からとか、根性がある(だろう)からというだけでなく、「いざというとき咄嗟に動ける」という期待値が、スポーツをやっていない、普段体を使っていない人よりは高いから、ってのもあります。
勉強(頭を使う)と、運動やスポーツ(身体を使う)は対立概念みたいに捉えている人もいますが、たぶん違います。
両者は一体不可分であり、この2つの「即応性能」がこれからの時代の生残性を分ける決め手になるでしょう。
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