■とりあえず「ただの豚」から出直しを
今や学校どころかオリンピックの日本代表レベルでさえ「体罰」という名の暴力が蔓延していることが明るみに出て来て、この平和憲法下においても実は暴力は我々の身近に蔓延っていたんだなあという感じです。
オリンピックとかプロのレベルでなら、殴ってでも勝ちさえすれば何してもいいんだという考えもアリなのかもとは思いますが、あの世界は結果がすべてなのでね。結果が出てないからダメねってことです。
今回の女子柔道監督だった園田さんは、「オマエなんか柔道辞めたらただの豚」という名言(暴言)を吐いたそうですが、現に勝ててないんだからダメですね。もうグダグダ言い訳とかしないでいいから、一度柔道を辞めてただのブタからやり直せってことです。見事なブーメラン発言になりましたね。
■竹刀は人を殴る道具じゃありません
私が今回の柔道界についてとくにダメだなあと思ったのは、稽古中に竹刀や竹刀をバラした竹の棒で選手をぶっ叩いてたという証言が続々出てきたことについてです。
よく、ドラマとかで体育教師(体罰教師)が、威嚇のために竹刀を持って、先端の部分(先革)で床をドンドン突いてたりしますよね。
実はあれはNG行為。剣道では真っ先に「やってはいけないこと」として教えられるはずです。
理由はと言うと、「竹刀」というのは言わば"抜き身の刀"なんだから、切っ先で床をドスドスするなんてことはあり得ないし、道場に失礼だということはすぐ理解できると思います。
それに、先革の部分というのは、相手を打ったり突いたりする部分なので、それを地面につけるなど相手に対し礼を失する行為でもってのほか、ということです。
基本的に竹刀は地面に立てかけてはならず、どうしても立てかけなければならない場合は柄を下にするようにと言われます。
当然、竹刀をバラバラにして人を殴る道具にしてもいいわけがない。
女子柔道の監督だった園田さんは本業が警察官なので剣道もやっているはずだから、そういうことを知らないはずはないんですけどね…って今は選択制なんだっけ。
どっちにしろ、「自分が主にやってる武道じゃない」とは言え、武道具の扱いがなっていなかったのは、礼節がおろそかになっていたとしか言いようがありません。
「勝てればいいんだ」と言うことなのかも知れませんが、勝ててないんだからやっぱり豚からやり直せということです。はいブーメラン。
じゃあ竹刀以外で殴ればいいのかと言えばそうでもなくて、もしこれが「監督が自慢の改造エアガンで選手をフルオート銃撃!」とかだったら、日テレとかがここぞとばかりに批判してたでしょうね。エアガンを。
まあその前に海外に持って行こうとしたら空港で捕まるか。
■国際柔道連盟から脱退して新競技でも始めますか?
選手を殴ることで勝てるって言うんなら、FF2みたいに死なない程度にガンガン殴って強くするという考えもあるかと思いますが、結果としては全然勝ててないんだから、殴る奴はただの豚かサディストです。
乱取り中に指導者から竹刀で殴られるのも当たり前みたいだけど、さて、柔道ってそういう競技でしたっけ?
もし柔道が「試合中にも第三者が選手の後ろから竹刀でビシバシ殴ってくるのを耐えつつ試合をしなければいけない競技」だってんなら、超実戦的な稽古だろうけどね。
でも柔道ってそういう競技じゃないでしょ。
まあ、いずれ国際的に孤立して、負け惜しみに「日本精神を!」とか言い出して、「日本古来の…」とか言い出して「第三者に竹刀で殴られながら試合する柔道」とか提案しちゃうのかもしれないけど。風雲たけし城のアトラクションかよ!?
■言い訳はいつも「俺を敵視する奴の謀略だ!」
賭けてもいいけど、今日本の柔道界の偉いさんたちは、今回の事態を受けても、その原因を「柔道界を敵視している奴が居て…」とか「誰それが俺たちを貶めて地位を得ようとしている」とか言って、「敵対勢力が仕掛けた謀略」とか「派閥抗争」とかそのぐらいにしか捉えていないでしょう。んで、そういうことを普段から仲の良いベッタリズッポリの「マスコミ記者」とかに愚痴りながらリークして、そういう陰謀論に沿った記事でも書かせてるんじゃないですかあー。
こういうことを書くと、「だから体育会系は…」って話になりがちなんだけど、実力じゃなくて、もっぱら政治闘争によってライバルを蹴落としながら地位を築いてきた人たちというものは、えてしてこういう物の考え方をします。これ、体育会だからとかあんまり関係なくて、政治家とか企業役員とかエリート官僚とか医者とか芸能の世界とか、権謀でのし上がった人はハンコで押したみたいにみーんなそうです。あいつらいつも同じことを言う。飽きた。
■フィクションの見過ぎなのか?
竹刀で床をドンドンってのがフィクションにおける暴力教師のカリカチュアって話をしましたけど、竹刀で殴る体罰は相撲部屋とかでもやってるみたいですね。
そう言えば竹刀どころかビール瓶で弟子を殴り殺した相撲部屋の親方とかも居ましたね。ビール瓶で人殴ったら死ぬに決まってるだろ。
映画とかのフィクションでビール瓶で人を殴るシーンはよくあるけど、ああいうのは柔らかい小道具で音も合成してるの。いい年してそういうことも分からないんですかね。
体罰とか言いながら殴った相手が大ケガするほどの暴力を振るう馬鹿って、どうもいい年してフィクションとかを真に受けてるんじゃないかという気がします。
■闘争を。一心不乱の大闘争を!
じゃあ体罰問題ってどう解決すんだって話ですけど、「選手を殴るな」「生徒を殴るな」って言ったって、殴るのが好きな奴は隠れて殴るのを決してやめないだろう。それに体罰を振るう奴が殴る相手って、メンタル弱そうな人とか反撃して来なさそうなおとなしい人ばっかりだもんね。これって「いじめをする人」とも重なる共通項だね。
そこで、もはや対策としては「殴られる側の交戦権を否認しない」でおkかと。
この世のすべては闘争です。体罰を振るった相手に反撃されて殴り合いで負けるような指導者ならばこれからの日本に必要ありません。引退していいですよ。
■そこで「ラリー君人形」ですよ
ラリー君人形ってのは、昔ヤクルトに在籍してたラリー・パリッシュという野球選手が使ってたサンドバッグ人形のこと。打席で凡退したりムカツクことがあったときには、ベンチとか用具とかコーチの代わりにラリー君人形を殴ったり蹴ったりして、ストレス解消と気分転換に使ってたんだと。
そこでだ、暴力とか罵声しか能が無いダメ監督・ダメコーチの皆さんも「ラリー君人形」を導入してみたらどうか。「一番弱い奴をボコボコにすることで残りの全員を威圧する」のが体罰の主な目的なんだから、殴られ役は別に生きてる人間じゃなくてもいいだろう。ええ?
生きた選手を殴っても全然勝てないだけでなく、悪くすると今回みたいに辞任するはめになったり、どこの誰とも知れない奴等から豚呼ばわりされたりと散々ですが、ラリー君人形なら殴っても大丈夫。もちろん竹刀で叩いても大丈夫です。
■精神主義者は戦争に勝てません
一対一の個人間戦闘においては、精神力が勝敗を決する場面があることは完全には否定しませんが、我々の先祖はそれを近代国家間の総力戦にもそっくり当てはめたため、惨憺たる敗北を喫しました。にもかかわらず、今なお彼ら精神主義者の残党共が跋扈していることは日々の報道からも明白です。
現代では、戦争だけでなく、多くのスポーツでもまた、選手・スタッフ一丸となってのチームとしての戦力で戦うことが当たり前になってきています。精神主義なんぞブタにでも喰わせろ、なのです。
この現代で精神主義には個人の自己満足以上の意味はありません。今後精神主義をスポーツや教育や軍事に持ち込む者は、いかにも「日本の保守」のような顔をしながら秘かに日本再敗北を目論むプリテンダー(フリをする者)、尾崎秀実的なる者と見て間違いはないだろう。そうでないならただの「無能な味方」だ。
現代の組織造りにおいては、「優秀な味方をいかに集めるか」よりも、「とんでもないバカをいかに自陣営に入れないか」を優先すべきなのです。
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今や学校どころかオリンピックの日本代表レベルでさえ「体罰」という名の暴力が蔓延していることが明るみに出て来て、この平和憲法下においても実は暴力は我々の身近に蔓延っていたんだなあという感じです。
オリンピックとかプロのレベルでなら、殴ってでも勝ちさえすれば何してもいいんだという考えもアリなのかもとは思いますが、あの世界は結果がすべてなのでね。結果が出てないからダメねってことです。
今回の女子柔道監督だった園田さんは、「オマエなんか柔道辞めたらただの豚」という名言(暴言)を吐いたそうですが、現に勝ててないんだからダメですね。もうグダグダ言い訳とかしないでいいから、一度柔道を辞めてただのブタからやり直せってことです。見事なブーメラン発言になりましたね。
■竹刀は人を殴る道具じゃありません
私が今回の柔道界についてとくにダメだなあと思ったのは、稽古中に竹刀や竹刀をバラした竹の棒で選手をぶっ叩いてたという証言が続々出てきたことについてです。
よく、ドラマとかで体育教師(体罰教師)が、威嚇のために竹刀を持って、先端の部分(先革)で床をドンドン突いてたりしますよね。
実はあれはNG行為。剣道では真っ先に「やってはいけないこと」として教えられるはずです。
理由はと言うと、「竹刀」というのは言わば"抜き身の刀"なんだから、切っ先で床をドスドスするなんてことはあり得ないし、道場に失礼だということはすぐ理解できると思います。
それに、先革の部分というのは、相手を打ったり突いたりする部分なので、それを地面につけるなど相手に対し礼を失する行為でもってのほか、ということです。
基本的に竹刀は地面に立てかけてはならず、どうしても立てかけなければならない場合は柄を下にするようにと言われます。
当然、竹刀をバラバラにして人を殴る道具にしてもいいわけがない。
女子柔道の監督だった園田さんは本業が警察官なので剣道もやっているはずだから、そういうことを知らないはずはないんですけどね…って今は選択制なんだっけ。
どっちにしろ、「自分が主にやってる武道じゃない」とは言え、武道具の扱いがなっていなかったのは、礼節がおろそかになっていたとしか言いようがありません。
「勝てればいいんだ」と言うことなのかも知れませんが、勝ててないんだからやっぱり豚からやり直せということです。はいブーメラン。
じゃあ竹刀以外で殴ればいいのかと言えばそうでもなくて、もしこれが「監督が自慢の改造エアガンで選手をフルオート銃撃!」とかだったら、日テレとかがここぞとばかりに批判してたでしょうね。エアガンを。
まあその前に海外に持って行こうとしたら空港で捕まるか。
■国際柔道連盟から脱退して新競技でも始めますか?
選手を殴ることで勝てるって言うんなら、FF2みたいに死なない程度にガンガン殴って強くするという考えもあるかと思いますが、結果としては全然勝ててないんだから、殴る奴はただの豚かサディストです。
乱取り中に指導者から竹刀で殴られるのも当たり前みたいだけど、さて、柔道ってそういう競技でしたっけ?
もし柔道が「試合中にも第三者が選手の後ろから竹刀でビシバシ殴ってくるのを耐えつつ試合をしなければいけない競技」だってんなら、超実戦的な稽古だろうけどね。
でも柔道ってそういう競技じゃないでしょ。
まあ、いずれ国際的に孤立して、負け惜しみに「日本精神を!」とか言い出して、「日本古来の…」とか言い出して「第三者に竹刀で殴られながら試合する柔道」とか提案しちゃうのかもしれないけど。風雲たけし城のアトラクションかよ!?
■言い訳はいつも「俺を敵視する奴の謀略だ!」
賭けてもいいけど、今日本の柔道界の偉いさんたちは、今回の事態を受けても、その原因を「柔道界を敵視している奴が居て…」とか「誰それが俺たちを貶めて地位を得ようとしている」とか言って、「敵対勢力が仕掛けた謀略」とか「派閥抗争」とかそのぐらいにしか捉えていないでしょう。んで、そういうことを普段から仲の良いベッタリズッポリの「マスコミ記者」とかに愚痴りながらリークして、そういう陰謀論に沿った記事でも書かせてるんじゃないですかあー。
こういうことを書くと、「だから体育会系は…」って話になりがちなんだけど、実力じゃなくて、もっぱら政治闘争によってライバルを蹴落としながら地位を築いてきた人たちというものは、えてしてこういう物の考え方をします。これ、体育会だからとかあんまり関係なくて、政治家とか企業役員とかエリート官僚とか医者とか芸能の世界とか、権謀でのし上がった人はハンコで押したみたいにみーんなそうです。あいつらいつも同じことを言う。飽きた。
■フィクションの見過ぎなのか?
竹刀で床をドンドンってのがフィクションにおける暴力教師のカリカチュアって話をしましたけど、竹刀で殴る体罰は相撲部屋とかでもやってるみたいですね。
そう言えば竹刀どころかビール瓶で弟子を殴り殺した相撲部屋の親方とかも居ましたね。ビール瓶で人殴ったら死ぬに決まってるだろ。
映画とかのフィクションでビール瓶で人を殴るシーンはよくあるけど、ああいうのは柔らかい小道具で音も合成してるの。いい年してそういうことも分からないんですかね。
体罰とか言いながら殴った相手が大ケガするほどの暴力を振るう馬鹿って、どうもいい年してフィクションとかを真に受けてるんじゃないかという気がします。
■闘争を。一心不乱の大闘争を!
じゃあ体罰問題ってどう解決すんだって話ですけど、「選手を殴るな」「生徒を殴るな」って言ったって、殴るのが好きな奴は隠れて殴るのを決してやめないだろう。それに体罰を振るう奴が殴る相手って、メンタル弱そうな人とか反撃して来なさそうなおとなしい人ばっかりだもんね。これって「いじめをする人」とも重なる共通項だね。
そこで、もはや対策としては「殴られる側の交戦権を否認しない」でおkかと。
この世のすべては闘争です。体罰を振るった相手に反撃されて殴り合いで負けるような指導者ならばこれからの日本に必要ありません。引退していいですよ。
■そこで「ラリー君人形」ですよ
ラリー君人形ってのは、昔ヤクルトに在籍してたラリー・パリッシュという野球選手が使ってたサンドバッグ人形のこと。打席で凡退したりムカツクことがあったときには、ベンチとか用具とかコーチの代わりにラリー君人形を殴ったり蹴ったりして、ストレス解消と気分転換に使ってたんだと。
そこでだ、暴力とか罵声しか能が無いダメ監督・ダメコーチの皆さんも「ラリー君人形」を導入してみたらどうか。「一番弱い奴をボコボコにすることで残りの全員を威圧する」のが体罰の主な目的なんだから、殴られ役は別に生きてる人間じゃなくてもいいだろう。ええ?
生きた選手を殴っても全然勝てないだけでなく、悪くすると今回みたいに辞任するはめになったり、どこの誰とも知れない奴等から豚呼ばわりされたりと散々ですが、ラリー君人形なら殴っても大丈夫。もちろん竹刀で叩いても大丈夫です。
■精神主義者は戦争に勝てません
一対一の個人間戦闘においては、精神力が勝敗を決する場面があることは完全には否定しませんが、我々の先祖はそれを近代国家間の総力戦にもそっくり当てはめたため、惨憺たる敗北を喫しました。にもかかわらず、今なお彼ら精神主義者の残党共が跋扈していることは日々の報道からも明白です。
現代では、戦争だけでなく、多くのスポーツでもまた、選手・スタッフ一丸となってのチームとしての戦力で戦うことが当たり前になってきています。精神主義なんぞブタにでも喰わせろ、なのです。
この現代で精神主義には個人の自己満足以上の意味はありません。今後精神主義をスポーツや教育や軍事に持ち込む者は、いかにも「日本の保守」のような顔をしながら秘かに日本再敗北を目論むプリテンダー(フリをする者)、尾崎秀実的なる者と見て間違いはないだろう。そうでないならただの「無能な味方」だ。
現代の組織造りにおいては、「優秀な味方をいかに集めるか」よりも、「とんでもないバカをいかに自陣営に入れないか」を優先すべきなのです。
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