市大はC.C.ヨコイチとしてとりあえず存続しているとはいえ、将来またも財政難だとか、役人が「大学改革もう飽きたー」、ってなことになれば、また官僚による自爆テロトンチン改革のセカンドシーズンが始まるだろうな。もちろんMMセンターは脱出ポッドよろしくとっとと分離独立した後にね。
だけども、今の段階ではまだ、既存の”研究者出身教員”を追い出した後釜として、以前は全国区ではまったく相手にされず、特に「学会」などからはバカにされて見向きもされなかったが故に、これまでは地方企業相手の地方ドサ回り講演会とか、せいぜい地方新設大の講師にでもなるしかなかった松下塾人脈だとかの元官僚出身者やヤメ官コンサルを「大学教授」に就任させてあげたりという、”ポストと利権のプレゼント”としてのビジネススクール化に邁進している真っ最中というところなんだろうな。
ところで、いまだに”改革派”による執拗なまでの市大”改革”のそもそもの動機がどうしてもわからない、なんて言う人たちは、上記のような状態に置かれていた者たちが、果たして、これまでの大学教員の主流たる「研究者出身教員」や、何かと「大学の自治」などという概念を持ち出すような教員らに対して、どういった感情を抱いていたかを、ほんのちょっとでも想像してみるとヒントになるかもしれないな。
例えばさ、改革以前の「横浜市立大学」時代に、「元市職員で”行政経営”と”ABC”が専門で学会での実績はない」ってヒトがいきなり幹部教授にしてくれって言って来たとしたら、教授会はその人をご要望どおりに、いきなり幹部教授にしてあげましたか?
な、しないでしょ?
つまり、
”既に持てる者”たちが、それを当たり前だと思って無自覚に過ごしていたとき、”持たざる者”にとってはそれをノドから手が出るほど手に入れたかったというわけである。
そして、彼らは時として”既に持てる者”たちには想像も出来ない手段に訴え出るのである。
かいかくしてでもうばいとる
↓
ねんがんの、きょうじゅとりじのいすをてにいれたぞ!
と、いうわけだ。
「論文審査」も「学会発表」も「椅子の順番待ち」もすっ飛ばして、そこそこ世間の評価もあり名の知れた大学の幹部教授や理事のイスをいきなりゲット出来る奥の手があったわけだなあ。
だけども、今の段階ではまだ、既存の”研究者出身教員”を追い出した後釜として、以前は全国区ではまったく相手にされず、特に「学会」などからはバカにされて見向きもされなかったが故に、これまでは地方企業相手の地方ドサ回り講演会とか、せいぜい地方新設大の講師にでもなるしかなかった松下塾人脈だとかの元官僚出身者やヤメ官コンサルを「大学教授」に就任させてあげたりという、”ポストと利権のプレゼント”としてのビジネススクール化に邁進している真っ最中というところなんだろうな。
ところで、いまだに”改革派”による執拗なまでの市大”改革”のそもそもの動機がどうしてもわからない、なんて言う人たちは、上記のような状態に置かれていた者たちが、果たして、これまでの大学教員の主流たる「研究者出身教員」や、何かと「大学の自治」などという概念を持ち出すような教員らに対して、どういった感情を抱いていたかを、ほんのちょっとでも想像してみるとヒントになるかもしれないな。
例えばさ、改革以前の「横浜市立大学」時代に、「元市職員で”行政経営”と”ABC”が専門で学会での実績はない」ってヒトがいきなり幹部教授にしてくれって言って来たとしたら、教授会はその人をご要望どおりに、いきなり幹部教授にしてあげましたか?
な、しないでしょ?
つまり、
”既に持てる者”たちが、それを当たり前だと思って無自覚に過ごしていたとき、”持たざる者”にとってはそれをノドから手が出るほど手に入れたかったというわけである。
そして、彼らは時として”既に持てる者”たちには想像も出来ない手段に訴え出るのである。
かいかくしてでもうばいとる
↓
ねんがんの、きょうじゅとりじのいすをてにいれたぞ!
と、いうわけだ。
「論文審査」も「学会発表」も「椅子の順番待ち」もすっ飛ばして、そこそこ世間の評価もあり名の知れた大学の幹部教授や理事のイスをいきなりゲット出来る奥の手があったわけだなあ。