今日のPCR検査は唾液を綿棒に含ませる方式で、検体は18日に地元の保健所へ提出されるので、結果判明にはしばらく時間がかかりそうだ。
さて、前回 書こうとしていた本題。
こじつけのような話だが、悪いニュースが絶えないので、学生時代に撮影した「幸福」な写真を記事にしようと思いついた。
昭和61年から62年にかけての年末年始、廃止予定の赤字ローカル線と青函連絡船に乗る為、今はなきワイド周遊券を使って、北海道を一人で旅行した。
この旅行の最中に、山陰本線の餘部鉄橋から列車が転落する大事故が起きた。
私はこの事故を、夜行急行「大雪」で到着した網走駅で知り、あまりのショックに動悸がしばらく止まらなかったのを覚えている。
網走駅から、紀行作家 宮脇俊三が「時刻表2万キロ」の中で絶賛していた湧網線を皮切りに、名寄本線、深名線と乗り継いだ。
豪雪地帯の朱鞠内駅で日はとっぷりと暮れ、駅前にあった小さなよろず屋で、真空パックに入ったみたらし団子を調達。
真っ暗で景色も何も見えない中、晩飯代わりの団子を食いながら、列車に揺られて深川駅へ。
深川駅から札幌駅まで戻り、今度は夜行急行「まりも」に乗って帯広駅へ向かった。
当時、鉄道旅行の定番「ワイド周遊券」は急行列車の自由席に乗車可能で、宿代を浮かすために帯広までの途中「まりも」の上下列車が交換する、根室本線の新得駅で列車を乗り換えて、再び札幌に戻る強者がたくさんいた。
夜中の3時ごろ帯広駅に到着、待合室で時間を潰した後、広尾線の始発で向かったのが
「幸福駅」
まだ夜が明けぬ幸福駅で、乗ってきた列車を見送る。
幸福駅で下車したのは、私と
帯広駅まで同じ「まりも」に乗ってきた、新婚旅行中の若い夫婦だけ。
帯広駅に滞在中、この二人から
「近くで買ってきましたから、どうぞ」
あんな時間に店が開いていたらしい「ミスタードーナツ」をお裾分けしてもらったので、幸福駅から少し歩いた所にあった店で生ぬるい缶コーヒーを買い、お返しをした。
店の主人に気温を聞くと、
「零下20℃ぐらいじゃないかなぁ、これでも今日は暖かい方だよ」
だったらしいが、持っていたカメラが途中から動かなくなった。
2時間近く滞在してから次の列車で終点の広尾。そこから国鉄バスで襟裳岬へ抜けた。
この後、全国鉄道最東端の東根室駅から納沙布岬、最北端の稚内駅から宗谷岬にも行き、写真も多く撮ったはずだが、今 残っているのは、今日紹介したこれだけ。
残念だがどうしようもない。
だが、今も記憶は鮮明に残っている。
苦しい状況の中でも、希望の光を見つけて「幸福」な人生を送りたいね。
芹洋子 EP「愛の国から幸福へ」【自作フォノイコライザーSPPE-4(MC) レコード再生音】
~ここから追加~
自分のYouTubeチャンネルに、国鉄広尾線 湧網線の、写真と走行音のスライド動画をアップしていたのを
忘れていました。
今のように、スマホで簡単に動画が撮れる時代ではなく、音も聞き取りにくい非常に出来の悪い動画となりますが、
よろしければご笑覧ください。
国鉄広尾線・幸福駅界隈 1987 冬
湧網線 網走~常呂924D 写真&走行音集
湧網線 常呂~中湧別924D 写真&走行音