時に令和4年1月
5日より営業を開始した我々に軽い人員配置が行われた。
と言っても私の教育係が決まっただけであるが。
やはりエースが抜けた穴は大きく、所詮入社半年の私ではあまりに荷が重すぎると判断した上層部は実に優秀だろう。但しその教育係の負担は単に純増である。
かくして、業務全般の相談役並びに課題決定等が行われ、運用からそろそろひと月が経過する頃合である。
こちらに関しては特に問題もなくスムーズにやれているとは思うのだが、問題は対営業部長閣下その人であった。
私と大ベテラン先輩の2人を5日の夜に飲みに連れ出したかと思うと製品知識の大マウント大会が執り行われた。無論矛先は私である。
こと無駄と言われる内容について忌み嫌われる当社内でも屈指の嫌われ者であることは散々聞かされていたが、よもやここまでとは思わなかった。
私もその日中に大嫌いになった。
つまるところ彼は昭和時代の営業スタイルを未だに貫き通しており、偉くなった営業マンという立場にあぐらをかき、気遣いという概念を消失させた人型シーラカンスに相当する人物であったのだ。
それでも尚私の人生で出会ったバグり方としてはまだマシな方かもしれぬ。
特に、事あるごとに前職と比するとどの観点から見ても今の方が恵まれているのである。
まぁ少なくとももう二度と飲みに行くことは無くなったが、今後も適切な距離感を保ちながら教育係の先輩と毎日頑張る次第である。
以上