先日一人、定年退職していった。
人によっては送別会を開いてもらったり、あえて送別会を
拒否したり、また今回のように送別会の話が本人からも
まわりからも出ない場合もあって、様々である。
何十年働いても、最後は「ご苦労様でした」の一言で
去って行く、実にあっけないものだった。
送り出す方は他人事だから、あまり何とも感じてないだろうが、
本人はいろいろと感慨深いものがあるだろう。
最近は特に能力主義の職場も増えて、目に見える能力を
発揮できない人は「ハイ、さようなら」という感じは否めない。
が、どんなに気に入らない会社であっても、何十年も働けば
否が応にもどこかに寂しい気持ちがあるはず。
最後の挨拶の後、去っていく後ろ姿には何となく哀愁が漂っていた。
それにしても最近の60歳なら、若いからまだまだ働ける。
またどこかで働くのか、それとも引きこもるのかは
知らないが、元気でやっていって欲しいもの。
・・・で、終わらせてはいけないw。
いずれは自分自身にも訪れることだから、その時が
来たらどうありたいのかを考える良い機会を与えて
くれたのだ。
自分自身だったらどうだろうか。
会社勤めにおいては定年は避けて通れない。
ここで一旦、人生のリセットである。
また自分自身が、それまでやってきたことに対するまわりの
最終評価が下される瞬間でもある。
人生観は人それぞれだから、誰からも惜しまれずに去っていく
ことを選ぶのもかまわないし、反対に努力してたくさんの
人達に惜しまれ、残念に思われることを選ぶのも自由。
個人的にはどちらを選ぶかと言われれば、もちろん後者w。
そしてどちらも嫌なら、自分で起業するという道もある。
とにかく早いうちから後悔の無いよう、いろいろと考えて
おくべきだろう。
人によっては送別会を開いてもらったり、あえて送別会を
拒否したり、また今回のように送別会の話が本人からも
まわりからも出ない場合もあって、様々である。
何十年働いても、最後は「ご苦労様でした」の一言で
去って行く、実にあっけないものだった。
送り出す方は他人事だから、あまり何とも感じてないだろうが、
本人はいろいろと感慨深いものがあるだろう。
最近は特に能力主義の職場も増えて、目に見える能力を
発揮できない人は「ハイ、さようなら」という感じは否めない。
が、どんなに気に入らない会社であっても、何十年も働けば
否が応にもどこかに寂しい気持ちがあるはず。
最後の挨拶の後、去っていく後ろ姿には何となく哀愁が漂っていた。
それにしても最近の60歳なら、若いからまだまだ働ける。
またどこかで働くのか、それとも引きこもるのかは
知らないが、元気でやっていって欲しいもの。
・・・で、終わらせてはいけないw。
いずれは自分自身にも訪れることだから、その時が
来たらどうありたいのかを考える良い機会を与えて
くれたのだ。
自分自身だったらどうだろうか。
会社勤めにおいては定年は避けて通れない。
ここで一旦、人生のリセットである。
また自分自身が、それまでやってきたことに対するまわりの
最終評価が下される瞬間でもある。
人生観は人それぞれだから、誰からも惜しまれずに去っていく
ことを選ぶのもかまわないし、反対に努力してたくさんの
人達に惜しまれ、残念に思われることを選ぶのも自由。
個人的にはどちらを選ぶかと言われれば、もちろん後者w。
そしてどちらも嫌なら、自分で起業するという道もある。
とにかく早いうちから後悔の無いよう、いろいろと考えて
おくべきだろう。
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