99年秋。FAでダイエー(現ソフトバンク)ホークスから一人の大物投手が読売巨人軍に入団しました。
「工藤公康」
西武ライオンズ、ダイエーホークス、そして読売巨人軍と優勝請負人として一時代を築き上げた名投手であるのは
今更説明する余地はないと思います。その工藤さんが42歳になっても未だ衰えることなく先発投手陣の一角として
ローテーションを守り抜いている姿は、そのストイックさを知る者としては決して驚くことではありません。
長嶋ジャイアンツが日本一になった翌年の2001年、工藤さんは左肩を痛めファームでの調整を強いられました。
当時38歳の工藤さん、連日スポーツ新聞に「今年限りで引退か?」の記事が・・・ それを知ってか知らずか、
「この世界、全力で走れなくなったら終わりだよ」
そういい続けて投球練習ができない分、黙々と走っていました。一人黙々ならドラマの主人公のようで尚カッコいいのかも
しれませんが、全体練習が終了してさっさと引き上げようとする若手投手たちに
「ちょっと軽めに練習付き合ってくれないかなぁ~」
と、やさしい言葉で誘われたら最後。それはもう地獄のランニング大会となるのでした。
もちろん先陣を切るのは工藤さんで、先にバテてしまうのは入団したてのルーキーたち。約20年前の入団当時、
東尾修さんに鍛えられた練習方法で同じように若手投手陣に背中でプロの厳しさを語っているようでした。
では工藤さんは非科学的な投手かというと全くの正反対。練習後、ほぼ誰もいなくなったジャイアンツ球場の
トレーニングルームで後片付けをしている私を見つけるたびに、そこからはトレーニング談義の始まり。
そこに宮田征典統括コーチが加わり延々と2~3時間はトレーニング論から人生論まで、それはもう学校教育では
学ぶことのできない桁外れの貴重な時間でした。
その工藤さんは私のような年下のトレーニングコーチにも分からないことがあれば素直に「教えてくれ~!」ですし、
オフには筑波大教授の指導の下、超がつくほどの科学トレーニングを行っています。
64年製作のイタリア映画「山猫」。アラン・ドロンの名台詞。 We must change to remain the same.
「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」
幼少の頃に見たこの映画ですが、未だ元気な工藤さんのピッチングを見ていると最近このフレーズを思い出します。
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