古代百済の最後の都として知られる扶余への旅 (2012年 8月)
日本と百済の外交関係は4世紀後半から始まり、高句麗・新羅に比べて友好的であった。
『日本書紀』には百済の歴史書が多く引用され、百済から輸入された文物も多い。
扶餘郡は奈良県の明日香村、福岡県太宰府市と姉妹都市。
ソウルからバスで、2時間半の位置
ソウルの高速バスターミナルからバスで扶余へ
バスの「乗車券」指定席です
12番のりば、座席番号16
扶余のバスターミナルに着き、目的地落花岩まで1kmを歩きます
まずは静かな商店街を通り抜けます
扶余の交差点、道幅に対して車の少なさ
信号機のない🚥広い道
扶蘇山城
扶蘇山城入口
扶蘇山城は、百済が中国・唐と新羅の連合軍に滅ぼされるまでの約120年間(538年~660年)、王都・泗沘の繁栄を支えた。
ユネスコ世界文化遺産に指定
扶蘇山城の西側から山へ入って行く
脇道の少し下った所に半月楼がある。
半月楼からの景色
落花岩
百済が陥落した際、約3,000人の宮廷女官が扶蘇山の断崖・落花岩から白馬江に身を投げ貞操を守ったと言い伝えられている。
白馬江:
川を東へ行くと群山に至る
落花岩の下
遊覧船
遊覧船に乗って落花岩や扶蘇山城を見る事ができる。
下山します
山から降りた所
←白馬江路□市外バスターミナル→
百済歴史文化館へタクシー移動
欽明天皇の時・百済国より仏法始めて日本へ渡り。
三十数年後、推古天皇の時に聖徳太子始めて仏法を弘める。
百済仏教の日本伝来
538年 日本へ仏教伝来
百済仏教の日本伝来
538年 日本へ仏教伝来
597年 百済の王子が日本へ○○聖徳太子の絵 (○○部、解読中)
扶余観光案内図
落花岩は山の頂上
百済歴史文化館は川の向こう側
百済歴史文化館からの帰りは、公共交通手段がなくタクシー💴🚕呼んでバスターミナルに直行を告げるが。
ここで食べて行けと小さな冷麺の店で下ろされる🍜
真夏にキンキンに冷えた冷麺美味しかったけど🍧
【白村江の戦い】
百済の滅亡後も、百済の遺臣たちは百済復興を願い、各地で抵抗を続け、人質として日本へおくられていた百済の王子豊璋も、高句麗や日本の支援を受けて、唐・新羅連合軍と戦いますが、内部分裂を起こしてしまいます。
日本(倭国)からも、3万7千人余りの軍が送られ、豊璋らとともに、663年、「白村江」(今の錦江)の河口付近で、唐・新羅の連合軍と戦いますが、大敗に終わりました。