一恵齊芳幾が描いた『杉田十境眺望図』。何回も見ているうちに、妙なことに気がついた。デフォルメされているとはいえ、実在する名称はその位置関係からすぐわかる。
たとえば、根岸湾の右側を見てほしい。③と番号を振った場所は、おそらく本牧岬だろうということはすぐ分かる。
そこを拡大してみよう。たしかに「本牧岬」と書いてある。その本牧岬から北へ進むと、どこに至るのか。
現在の関内地区だ。開港後の幕末は「開港場」と呼ばれていたところである。④の場所を拡大すると……
「凡北辺横濱新湊交易場」と書かれている。
②の場所を拡大してみた。「白旗ノ宮」と読める。場所は現在の白旗だ。そこにお宮さんがあったのかどうかはよく分からないが、昔話によるとこの辺りに「白旗権現」があったという。(広報よこはま磯子区版2017年5月号9ページ)
そして問題の①である。
「我娑羅山」と読めるが、こんな山があったのだろうか? 位置的には白旗の奥の方になるが……。
あれぇ? もしかして…
と思って、神奈川県神社庁のホームページを見てみた。
森浅間神社の項。そこにはこんなことが書かれていたのである。
《字古浜の山上に在って我砂羅山と称し、古来、航海安全を頼って参詣する者多く、森三ヶ村の総鎮守であった》
字古浜というのは、現在の屛風浦付近、まさに森浅間神社のあるところだ。もしかしたら、我砂羅山と我娑羅山とは同じなのではないだろうか。違いは「砂」と「娑」だ。
娑→砂と変化したのだろうか。あるいは逆に砂→娑ということもありえる。それとも単なる書き間違いか……。
いずれにしてもこの絵は興味深く、謎が多い。
by うめちゃん
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