昭和22年10月8日の新聞広告。杉田劇場では市川門三郎一座が9月に演じて好評だったという「奥州安達ケ原袖萩祭文」を、10月7日から13日まで再演している。これがどんな歌舞伎なのか、まったく知らないので、ネットで検索してみたらこんなのがヒットした。
山入歌舞伎「奥州安達ヶ原・袖萩祭文の段」(山入近隣会芸能発表会)
現代の人たちが観たら眠くなってしまいそうな気がするのだが、当時の杉田劇場には大勢の観客が押し寄せ、京浜急行はずいぶん儲かったという話もある。
戦争が終わって2年。ほかの多くの劇場では映画を上映している。たとえば……
港北映画劇場 「九十九人目の花嫁」(榎本健一)
六角橋会館 「激怒」(宇佐美淳)
横浜銀座 「朱と緑」(上原謙)
横浜宝塚劇場 「藤十郎の恋」(長谷川一夫)
マックアーサー劇場 「逃亡者」(大友柳太郎)
アメリカ映画をやっている劇場も出てきているのだが、杉田劇場は頑なに歌舞伎にこだわっていたようである。
10月7日から13日まで「奥州安達ケ原 袖萩祭文」と「男の花道」を上演しているのだが、10日の夜6時には「浪曲の夕べ」を開催するという予告も出ている。ただ、その下に「雨天の際十一日」と書かれているところを見ると、庭で浪曲をやっていたようだ。
舞台のセットを解体しないための上演方法だったのだろうか。
上の図は旧杉田劇場の敷地と建物の平面図である。劇場の外には海に面して庭があった。ここでお客さんは浪曲を聴いていたのだろうか。
むかし、何度もこの劇場に来たという古老の話では、庭の端にあるトイレがとても臭かったという。この近くで聴いていたお客さんは、料金割引になっていたのかな。
さて、広告の話に戻ろう。杉田劇場の左側には横浜国際劇場の広告が載っている。空気座による「肉体の門」だ。連日満員のようである。
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