1年半が経とうとするが、最近になって朝と帰りの挨拶をする様になった。
其れも小声で。
性格なのか、育った環境なのかは知らぬ。
そうは云っても31歳である。
いい大人だし、人によっては妻子も在る。
出した工具も出しっぱなしで帰る始末。
「云わねば、解るまい」
と云うだろうが、吾は、其奴に手取り足取り説明した。
使ったら片付ける。
こんな事は、躾の出来た幼児でも出来る事だ。
引いた椅子はしまう。
脱いだ靴は揃える。
糞をしたら尻を拭く。
此の基本行動が出来ない奴である。
一度ツッコんで聞いたのだが、生まれ付きの発達障害でもなさそうだ。
親の躾が出来ていなかったのと、誰にも教えて貰えなかったのだそうだ。
「おはよう」「お疲れ様でした」も此れ迄の職場で挨拶というものを交わした事が無いと云った。
奇特な奴だ。
立ち仕事が基本なのだが、内容によって座り仕事も在る。
此奴に座り仕事をさせると寝てしまう。
後ろから見ていると、手が止まっているのである。
動いていても、作業が一向に進まない。
10分で出来る事が30分掛かる。
こんな緩い気持ちでやられると非常に困る。
納期に間に合わない。
一つの作業が終わっても一向に声を掛けず、ボーッとしているのである。
吾
「おい、どうした?」
奴
「作業が終わったんで」
吾
「いや、終わったんでじゃなくて、終わったら声を掛けてくれ。次にやってもらう作業が在るから」
奴
「はぁ」
仕事が終われば掃除をするが、其れすらもやらなかった。
吾は、幼児に言い聞かせる様に云って、させる様にした。
奴のおかしな所は未だ在る。
吾が段取り中に、部品の入ったBOXを倒してしまった。
部品が散乱したのだが、直ぐ横にいた奴は知らぬ顔をしていた。
奴の足下に部品が転がって来てもである。
其の表情が怖かった。
目の前の状況が起きていない、存在していない様な顔付きをしていたのである。
そんな出来事が無かった様な。
目の前で何かが倒れたり、落ちたりすれば手を差し出す。
其れは無意識のうちに体が反応する。
だが、奴はそんな事はお構い無しに、ガラスの瞳を浮かべて座り仕事を続けるのである。
奴は、路上に於いて目前で人が卒倒しても気付かぬのだろうな。
此れは一種の病気ではなかろうか。
そこで奴に問うてみた。
「さっき、部品が散乱して、お前の足下迄転がってきたが気付いていたか?」
と。
すると奴の答えはこうだ。
「あ、はい其れは知ってましたが、拾おうとは思わなかった」
吾
「何で?」
奴
「僕が拾うものという事を思い付きもしなかった」
?????
奴の云っている事がサッパリ理解出来ない。
今の時節、ちょっと強めに注意しただけで、ハラスメントだと云われる始末。
巷では、「誉めて伸ばす教育」というのが在る。
職場でも其れを導入すれば業績が上がると云われている様だが、其れは此の遣り方を狂信する連中の思い込みであろう。
まぁ、声を荒げる事をしなければいいのかも知れぬ。
吾は此奴に対して、声を荒げて云い聞かしている訳では無い。
声を荒げる気も起こらぬ。
育った環境で形成された人格を、一他人の吾が矯正出来る筈も無い。
高校や大学を卒業した新卒に対する、最低限の職場のルールを説明して実践してもらうのであれば話は別だが、31にもなって、挨拶や清掃が出来ぬ者は、製造部署には向いていないし、何処の職場も要らんだろう。
31歳に又一から社会通念や職場での振る舞いを説かねばならぬ程暇では無い。
即戦力とはいかなくとも、最低限の事はやって貰いたい。
併し、よくこんな使えぬ奴を中途で採用したものだと呆れている。
面接で、此奴の何を何処を見て決めたのか理解に苦しむ。
面接には相当数の希望者がいたと聞く。
其の希望者の中から此奴を選んだと云う事は、其の他の希望者は此奴以下だったのだろうかと思うと嘆息してしまう。
昨今は、良き人材が其れだけおらぬと云う事なのだろう。
夏に向けて更に忙しくなるのに、此奴に手を取られてしまって、仕事がこなせるのだろうかと不安で仕方が無い。
獣医学者で、京都大学医生物学研究所附属感染症モデル研究センター准教授である、宮沢孝幸氏の著書「ウイルス学者の責任」(PHP新書)に、「仕事が出来ない人程大事」の様な事が書いてあった。
仕事が出来ない人を大事にする会社は良い会社、良い組織だと。
まぁ、此れは此の方の一方的な主観であるから、万事に値する訳では無い。
少なくとも、吾のいる職場、部署では、此奴の様な作業者は不要である。
リスクが服を着て歩いている様なものである。
此奴が来る所は、職場ではなく、もう一度幼稚園から出直して頂きたい。
そう思わせる程に香ばしい31歳の男である。