先日、大阪の岸和田でだんじり祭が行われた。
行動制限下である為、以前の様な人出は無かった。
其れでも町は活気付く。
祭りは日本人の心の拠り所でもあり、心に灯りを灯す着火剤でもある。
又、以前の様に各地で祭りや神事が復活して欲しいものである。
此処最近、異国の風習を取り入れ、おかしな格好をして街中を練り歩く人々が増えた。
10月31日に、ハロウィーンなる異国の祭りが在る。
元来から此の祭りはキリスト教とは一切関係無い祭りである。
アメリカへの大量移民以降、移民等がコミュニティー内で行っていたものが外に広がり、いつの間にかアメリカ、キリスト教の祭であるかの様に位置付けられていった。
我が国のお盆の様に、此の異国の祭りも祖霊への感謝を表するものと云われているが諸説在る。
本来祭りとは、其の起源となった国や地域の大切な行事である。
だが、時代の経過と共に其れを曲解し、本来の意味合いを全く無視して面白可笑しく騒ぎ立てるものにしてしまった。
其のハロウィーンが我が国でも取り入れられたのは此処最近の事である。
我が国に蔓延しつつある、本来の趣旨を見失い仮装パレードと化したハロウィーンは迷惑此の上無いものとなってしまった。
歩道はゴミが散乱し、練り歩く連中は大声で騒ぎ立て、人の迷惑を省みず我が物顔で街中を闊歩する。
吾が思うには、此のハロウィーンも、収穫に感謝し、祖霊を向い入れる。
そう云うものであると考える。
時代と共に、汎ゆるものが変遷して行く。
物が今程無い時代は、自然が身近に在り、其れを肌身に感じていた。
時の流れと進化は変える事が出来ないが、何も何の所縁も無い異国の祭りを取り入れる事もあるまい。
クリスマスも同様である。
幼少期は殆ど祖父母に育てられた為、馴染みが無い。
青年期は、交際相手とイヴの夜からホテルに湿気込み、SEXに興じていたものだ。
婚姻時代も、子供にクリスマスプレゼントを渡していた。
内心はアホらしかった。
何でこんな風習が流行ったのかと辟易していた。
今以て吾は、異国の祭りが廃る事を希う。
異国の祭りを普及させる事よりも、日本古来から行われている日本の祭り(奇祭も含む)が廃れない様に注力する事が急務である。