本当の自分を探すと云う理由で、彼方此方歩き回ったり、県外や海外等方々歩き回る人が多くいた時代が在った。
テレビの番組でも、「自分探し」と云うキーワードを取り上げて特集を組んだ番組が在った。
吾の身近にも、「自分探し」を口にする奴がいて、職場を転々としていた。
人其々に「其の人らしさ」とと云うのが在ると思う。
人の一生の内に、自分らしさを自覚出来る人は殆どいない。
真の自分を知るには、今在る自分を否定せず、受け入れる処から始まる。
厳しい現実から逃避して楽な環境に身を置いて、彼方此方歩き回って徘徊する事ではない。
此れ迄語り継がれている「自分探し」と云う言葉は、唯単に現実から逃げるだけの甘えであった。
今此の時の状況を打破する努力をしつつ、其れが結果的に打破出来ず失敗したとしても、其れに立ち向かえている自分が其処にある事に気付く。
結果的に良くはないが、現状打破の為に行動を起こせた自分に初めて気付いた。
そう云う自分を知る事が出来たなら、新たな自分の発見である。
自分探しと云う言葉を使うとすれば、現実から逃げて方々を徘徊せず、現状打破の為に凡ゆる行動を起こして努める。
其の中からのみ新たな善き己を知る事が出来るのである。
今の情けない自分、頑張っている自分、受け入れ難い姿をしている自分も凡てが其の人である。
今の自分を否定せず、そう云う自分も受け入れて生きて行く事の方が実り多い。
自分を変えた処でそう簡単には環境は変わらないが、其の努力をせず凡てを環境に責任転嫁して自分探しと云って逃げ回るだけでは自分を知る事は出来ない。