今朝、まじまじと鏡に映る自分の顔を見た。
目は充血し、隈が出来、彼方此方に皺が増えた。
薬漬けではないが、常に薬を携えている。
体中は不定愁訴に襲われている…。
其れでも食欲と性欲は人一倍在る。
人間の本能の一つである、食欲と性欲が旺盛なので、まぁ大丈夫か…。
あ、そうそう…。
Facebookを徘徊していたら、小学時代の級友が窓口を開設していた。
当時から二枚目の奴で、人気が在ったH。
当時の級友に呼び掛けていて、同窓会を開きたいと云うものだった。
何人かが既に応答しており、吾もアクセスした。
軈て、当時の顔ぶれ全員が集まった。
皆が、Hの窓口で挨拶や久し振りの遣り取りを楽しんでいた。
グループラインでも作れば便利なのになぁと思いながら吾もコメントを入れてみた。
吾 「H君、そして皆さん久し振りです、○○です。皆元気でしたか?久し振りに顔合わせしたいですね」
H君 「?…誰ですか?」
吾 「〇年〇組で、当時よく遊んだじゃないですか。※※ですよ(ニックネーム)」
H君 「※※…?」
他の旧友 「※※君って?居たっけ…」
その後数人の旧友達が思い思いのコメントを入れて懐かしんでいた。
だが、吾の存在は彼等の記憶には存在していなかった。
あれだけ一緒に遊び、家に泊まりに行ったりして仲良くしていた奴も、一向に解らない、知らない、憶えが無いと云うのである。
他の旧友達は、「おお!生きていたかw」と冗談を飛ばし合い乍ら盛り上がっている。
流石に、皆の記憶に吾がいない現実を見て、フェードアウトした。
当時、遠足も行った、修学旅行にも行った。
動物園に遠足に行った時に、皆と肩を組んだ写真も在る。
だが、吾を知らぬと云う。
楽しい思い出として残していた其の写真を捨てた。
そんな無で、吾が彼等の記憶に存在していない過去の写真を後生大事に持っていても意味が無いし、そんなくだらぬ過去を引き摺っても無駄である。
此れによく似た事が最近も在った。
吾は数社の転職歴が在る。
一つ前の職場の同僚と街で出くわした。
吾 「おお、I 君久し振りだなぁ」
I 君 「ん? 何?」
怪訝な目つきで吾を見るI 君は無言。
I 君 「何か用?」
と、何とも素っ気ない。
明らかに拒絶されていると感じた吾も、何も云わなかった。
I 君は顔を背けて去って行った。
結構な割合で嫌われていたものだ。
I 君以外の同僚を街中で見掛け、声を掛けた時も、吾の顔を見るなり、ギョッとした顔をされてしまった。
明らかに不快な表情だった。
当時、彼等とは特にトラブルも無く、上手く付き合って来たと思っていたが、実はそうではなかった。
職場を辞めた時点で、彼等とは縁が切れたのであるから、以前の職場の同僚に未練を感じる必要は無い。
一度でも縁が切れた人々は、所詮は己の人生途上を通り過ぎただけの存在。
彼等にとっても、吾の存在は同様である。
職場の同僚とは只其れだけの存在である。
今の職場も同じ。
幾ら懇意にしていても、職場を辞めたら其処迄の関係。
過去と云うものが凡て無駄とは云わぬ。
人によって、過去が今の自分を支えてくれていると云う人も現実に要る。
実際、「過去」にはそう云う力も在る。
だが、過去が後の自分の人生に悪影響を及ぼし続ける負の力も在る。
未来に向けて、今と云う過去を作り上げるのは自分次第。
未来の自分に好影響を与え続ける今をどう作るか…。
此の事に早い時期に気付いていれば、もっと楽に生きて来られたかも知れぬ。
毎日が余りにも目まぐるしく、高邁な思考に浸る暇も無い。
脇目も振らず駆け抜けて来たが、付図自分の周りを眺めた時、心を拠せる家族も居らず、馬鹿話をして心の傷を舐め合う友人も居ない。
確かに在るのは、独り善がりにのさばっている吾である。
人望、人脈も無いしカネも無い。
吾の歳になれば、起業して代表に収まっている者もいるし、自動車販売店の店長を務める者もいる。
高校時代に授業をサボり、停学を何度も食らった奴が、某自動車メーカーの販売店の店長でバリバリやっている。
学生時代の素行等は、社会に出れば一切関係無い。
他人を惹き付ける、寄り付きたくなる魅力を持った人も居るが、何を食ったらそうなれるんだろう…。
今も此の記事を、寂れたぼろ車の運転席で書いている。
吾の生活の脚になってくれている、愛車だけでも大事にしてやらねばと思う。
此奴のお蔭で便利に過ごさせて貰っている。